2008-01-01から1年間の記事一覧

白鳥について私の知っている二、三の事柄

前回、浅見淵随筆集『新編 燈火頬杖』の藤田三男による解説文を引いて、「「細雪」の世界」は正宗白鳥によって強く推挽された、と書いた。その後、手許にある白鳥の本を拾い読みしていたら、思いがけず当の文章に出くわした。とんだ所へ北村大膳。その本とは…

批評家浅見淵の本領

谷崎潤一郎の「細雪」はよく知られているように戦時下に「中央公論」に連載される予定であったが軍部の忌諱にふれ、二回分が掲載されたのみで連載は途絶した(昭和十八年)。発表のあてのない小説を谷崎は孜々として書き継ぎ、十九年臘月秘かに中巻を脱稿し…

ある日の午後、静かな食堂で

「ある年のある日の午後、パリの第七区の静かな食堂で、私はE・H・ノーマン E.H.Norman氏とさし向いで晩い昼食をしていた。」*1 それはおそらく1952年か53年あたりのことだろう。時分どきを過ぎたレストランは閑散とし、ほかに客はといえば二組か三組のカ…

歴史のアイロニー――岡倉天心覚書(その2)

「なにがしという人間についての覚え書は、当のなにがしが取るに足らぬ人間であっても一般的な意義を持つ。ただしこの場合は、覚え書をつくる方の人間が取るに足る材でなければならない。正反対にではないが、なにがしという人間がしかるべき人物である場合…

一場の夢――岡倉天心覚書

岡倉天心が日本美術院での教え子ジョセフィン・マクラウドを伴ってアジャンタ壁画を見るために渡印したのは1901(明治34)年のことである。アメリカの富豪の娘マクラウドは、かねてより帰依していた聖者ヴィヴェカーナンダをガンジス河畔で天心に引き合わせ…

吾らは夢と同じ糸で織られている

かつて何かで読んだことがあるか、あるいは、どこかで耳にしたことがあるか、いずれにせよなんらかの手段によって既知のフレーズであることは確かであるけれども、ふとした折にあたかも自分のオリジナルであるかのように口をついて出てしまう言葉というもの…

ワイズマンのインタビュー記事を見ていたら金井美恵子を読みたくなった

木曜(23日)の朝日新聞夕刊にフレデリック・ワイズマンのインタビュー記事が出ていた。来年公開予定のThe Paris Opera Balletについて記者がパリでインタビューしたものだけれども、800字にも充たない記事の――本文は15字詰め46行だから正確にいえば700字に…

パリの異邦人――山田稔

此処一月許り身辺多忙を極め、静軒居士が江戸繁盛記の序に記す「枕辺有る所の雑書中記するに堪ゆるの事を鈔し以つて悶を遣る」事能はず。然れば曾て録せし漫文をハアドデイスクより取出だし以つて其の悶を遣らしめん而已。 パリの異邦人――山田稔 昨年暮れに…

心のうちのすさまじきかな――追悼西郷信綱

紫式部が清少納言をライバル視していたことはよく知られている。『紫式部日記』に清少納言を名指しで辛辣に批判した箇所がある。 《清少納言こそ、したり顔にいみじうはべりける人。さばかりさかしだち、まな書きちらしてはべるほども、よく見れば、まだいと…

わたしの心はかなしいのに

前々回、斎藤美奈子の時評をめぐって感想をしたためた。わたしの意図したのは時評の批評であったが、そこに取り上げられている小説を読みもせずにつまらないという印象を与えるような書き方は如何なものか、とのコメントをいただいた。そのことについては手…

しかしジャスミンは咲いている

ほとんど要約を許さぬ文章というものがある。桶谷秀昭の「含羞の文学」*1という短いエッセイ――というよりもこれは随想というに相応しいが――もそのひとつで、これについて触れようとすればほぼ全文を書き写すしかないが、そうもゆかないので覚束ないけれども…

「あなあな」と「ちんちん」――方法をめぐって

今週の朝日新聞に掲載された斎藤美奈子の文藝時評は、久々にレトリシャン・ミナコらしい才気の窺える文章だった(8月27日朝刊)。時節柄、新人文学賞を北京五輪に見立て、国内予選の通過者すなわち「群像」に発表された五人の新進作家たちの小説を寸評する。…

終戦と美的正義

今日、八月十六日の朝日新聞朝刊の紙面は北京オリンピックの報道一色だった。他紙もおおかた大同小異だろう。わずかに中面で政治家の靖国参拝の記事が申し訳程度に載っていた。戦後六十三年か。「戦争を知らない子供たち」と歌ったわたしの兄姉の世代のアイ…

山田順子ははたして「美人」か

――島崎藤村は要らない本を海に捨てたそうである。 ほんとですか島崎先生。なんと御無体な。 「先生は本が少したまると、品川沖まで小舟でこいで行って、水葬にして来られたのである。」透谷全集の編纂で知られる文学史家の勝本清一郎が随筆集『こころの遠近…

唖然、茫然、憮然

文化庁の国語輿論調査で、「憮然」や「檄を飛ばす」の意味を穿き違えているものが被調査者の七割以上にのぼったそうで、朝日新聞の天声人語子がこれをさっそく話題にして≪「日本語の乱れ」と嘆く向きもおられよう。だが、これらはもはや「誤」が「正」になっ…

人生足別離――じゃあね

六月二十四日、同僚がこの世を去った。七年間おなじ職場ではたらいた。高校大学とホッケーの選手だった。享年七十五。 七月五日、詩人がこの世を去った。二十代で初めて会ったボヘミアンだった。「大鰐通り」という素敵な小説を翻訳した。享年八十三。 七月…

万国の喫煙者諸君に告ぐ

ひとつの幽霊が国中を徘徊してゐる。喫煙者と云ふ幽霊が。国家権力と結託した喫煙者撲滅団体がこの幽霊に対する討伐の同盟を結んでゐる。 かつては国中到る処で自由に煙草を買ふことが出来たと云つても今の若者には想像もつかないだらう。コンビニエンススト…

なつかしさについて

いまとなっては定かでないけれども、おそらく永井龍男の『石版東京圖繪』*1がきっかけだったのだろう。一九六七(昭和四十二)年に中央公論社から刊行されたこの長篇小説は、帯のコピーを引用すれば「ほろびゆく職人の生活をとおして東京人の哀歓を綴り、懐…

がんぽんち、あるいは雨夜の品定め

岩本素白に「がんぽんち」という随筆がある*1。遠国から江戸へ出てきた侍が国への土産話に流行りの小唄を書きとめて帰った。「成ると成らぬは眼もとで知れる、今朝の眼もとは成る眼もと」という俗謡で、くだんの侍はそれを「成与不成眼本知。今朝眼本成眼本…

詩歌の青春――神変忌に

塚本邦雄の本をあれこれと繙いていたらこんな一節が目にとまり、思わず苦笑させられた。ある講演で日本語の乱れを慨嘆したくだりでのこと。 「夏目漱石の現代語訳が出ているという時代です。百年先の二十二世紀になったら、現代語訳の夏目漱石も、漢字まじり…

続・孤島へ持って行く本――『郷愁の詩人 田中冬二』

孤島へ持参した本のなかから、もう一冊について書いてみよう。和田利夫『郷愁の詩人 田中冬二』(筑摩書房・1991)。 1 わたしは田中冬二の詩のよい読者ではない。なのになぜA5判・450頁もある浩瀚な評伝を読んでみる気になったのか。それは大正から昭和…

孤島へ持って行く本――ナボコフ再訪(4)

孤島へ持って行くとしたらどういう本を選ぶか、という設問がある。最近の例でいえば「coyote」4月号の「アメリカの文学史を引き受けるような十人の作家から一冊ずつ選ぶとしたら」という質問に、柴田元幸さんはこう答えている。 フォークナーの『響きと怒り…

夢の浅瀬を渡る

しばらく入院していた。体に不調のあることは検査によって数ヶ月前からわかってはいたが、さまざまな事情があって五月中旬に入院することになった。施術それ自体はシンプルで、体内の患部を切除し、その周辺の配管をつくろったのち、創口を縫合する。それだ…

高祖保よ、君をしのぶよ

某月某日。高祖保の詩集『雪』を古書展で入手する。うれしい。 昭和十七年、自家版として文藝汎論社から百五十部限定で発行された。高祖保の第三詩集にあたる。 『雪』より、一篇、引こう。 「みづうみ」 ほととぎす啼や湖水のささ濁り 丈艸 私は湖をながめ…

心の降りる場所――横山未来子歌集『花の線画』

昨日(4月26日)の朝日新聞朝刊に、横山未来子さんの『花の線画』(青磁社)が第四回葛原妙子賞を受賞したと発表されていた。以前たまたまこの歌集を読み感心していたのでこの機会に再読し、あらためて感銘を受けた。そのことについてふれてみたい。 わたし…

「かやつり草」の余白に――岩本素白の随筆(その3)

平凡社ライブラリーから『素白随筆集』が出た。素白が生前に刊行した二冊の随筆集『山居俗情』と『素白集』とを合本したもの。わたしは原本を架蔵していないが、原本の旧仮名遣いを踏襲したむね記されている。漢字は新字になっているけれども、藝、附など特…

ノンちゃんかく語りき

本を読んでいて思わず「おお!」と嘆息することがある。いまなら差し詰め「マジすか?」とでもいうところだ。光文社古典新訳文庫のカフカを読んだときの「マジすか?」については以前書いたことがある(id:qfwfq:20070909)。最近驚いたのは野上照代さんの書か…

才子多病――結城信一と廣津賢樹

前々回ちらと書いた『結城信一 評論・随筆集成』と『作家のいろいろ』との異同について調べてみたのでご報告しよう。 『評論・随筆集成』は『作家のいろいろ』の増補版であり、「室生さんの死」と「室生犀星への旅」、そして<あとがき>を除く『作家のいろ…

シバザクラ、あるいは江藤淳の錯誤

二か月ほど前、江藤淳が「山川方夫と私」において、山川の死後、彼をモデルにした小説を発表し彼を無能の編集者として揶揄したYという流行作家の卑劣さを告発している、と書いた(id:qfwfq:20080127)。それにたいするコメントで、その小説は「シバザクラ」で…

おお我が友よ、タワリーシチよ!

「ユリイカ」3月号で翻訳家の岸本佐知子さんが洋書のジャケ買いの話をされていて、そうそう、そうなんだよな、とまるで岸本さんが訳されたニコルソン・ベイカーの本を読んだときと同じような相槌を打ってしまった。洋書は買ってもほとんど読まないので最近…