「かやつり草」の余白に――岩本素白の随筆(その3)


 平凡社ライブラリーから『素白随筆集』が出た。素白が生前に刊行した二冊の随筆集『山居俗情』と『素白集』とを合本したもの。わたしは原本を架蔵していないが、原本の旧仮名遣いを踏襲したむね記されている。漢字は新字になっているけれども、藝、附など特定の漢字には旧字が用いられている。見識といえよう。
 『山居俗情』の冒頭に、読我書屋雑筆の総題のもと五篇の随筆があり、その第一篇「かやつり草」は、素白が初めて歌誌「槻の木」(昭和九年四月)に寄稿した随筆である。文庫版『東海道品川宿』の解説で、編者である来嶋靖生さんが≪「読我書屋」とは素白が自ら名付けた斎号で、客間の壁に扁額として懸かっていたという。麻布善福寺の裏手の丘の上、現在の元麻布一丁目三六に当たる。≫と書いていられる。素白はこの善福寺の裏手、旧地名でいえば麻布区山元町三六の住いであけくれ読書に勤しんだ。
 「ある夏の日の午後であつた」と素白は「かやつり草」に書く。庭で土いじりをしていた妻女に「かやつり草といふのを知つておいでですか」と問われる。都会育ちゆえ知らないと妻は思ったのだろう。むろん知っている。蚊帳つりの遊びもしたことがある。甘根、すかんぽ、茅花、それに水引、蒲公英、野菊。そういう草花に幼少より親しみそれらを愛してもきた。近時そうした野の草を庭に植える人の少ないのを寂しく思う。都会育ちゆえに自然を愛し得ぬとするのは謬りであり、むしろ都会人であるからこそ一茎の草にも魂をゆり動かされるのではあるまいか。そんなことを考えている素白を妻は庭からだまって見ていた。それに気づき、かやつり草は子供の時分によく持って遊んだものなのだ、といいわけをしつつ素白は一冊の古書を取り出して妻女に示す。金沢のひと高桑闌更の『俳諧世説』の一節で、芭蕉が金沢に来た折に立花北枝(のちに蕉門十哲のひとりに数えられる)が「かやつり草と申すは、いかやうの物なり」と芭蕉に問うたところ、芭蕉はあたりを探してこれがそうだと差し出した。そのときの北枝の句にこうある。

  翁にぞ蚊屋つり草をならひけり

 素白はそのくだりを引用したのち、こう書く。


 「私にはこの何の奇もない事を、淡々と叙した文が限りなく面白いのである。それは水引草を愛すると同じやうな一つの性癖であるかもしれない。然し雑草に水を灑ぐ事は知つてゐても、彼女にはかう云ふ書物の事は分らないであらう。」


 何の奇もない事といえば、この素白の随筆もまた何の奇もない事であろう。だがそれが限りなく面白いのはなぜだろう。素白に倣って一つの性癖としてもわるくはないが、田舎者の野暮を承知でもうすこしふみこんでこの文の妙を解き明かしてみたい気持ちがつのる。
 素白が感興をおぼえたのは長年連れ添った妻にかやつり草を知らぬかと問われたところにある。野の草を愛する気持ちは妻と渝るところはない。だが自分はそれを古書に温ねてさらに感興を催す。その気持ちは妻と共有すべくもない。長年連れ添いながら互みに知らぬところを持っている。いや、こういうべきだろうか。互みに知らぬところを持ちつつ夫婦は長年連れ添っている、と。妻は『俳諧世説』を知らず、かりに読んだとしても自分のように「限りなく面白い」と思わぬであろう。それを諒とする素白の気持ちがこの随筆に底流している。
 野の草とおなじように人生を慈しむ姿勢が素白の随筆にみごとに表白されている。同床異夢といえばそれまでだがそう書かぬゆかしさがこの随筆の妙であろう。そんなことを思いながら頁を繰っている。


素白随筆集―山居俗情・素白集 (平凡社ライブラリー)

素白随筆集―山居俗情・素白集 (平凡社ライブラリー)