雪月花不思議の国に道通ず
北村薫さんの『雪月花 謎解き私小説』が文庫になった。単行本が出版されたのが2020年8月だから、2年半後の文庫化ということになる。ちょうどいい頃合いだが、もうそんなに経ったのかというのが実感。単行本は読んだあと三島由紀夫に縁の深い方に差し上げたのでいまは手元にない。文庫版で読み返して驚いた。ほとんど内容を憶えていなかったからだ。初読といっていいほど。ワタシハイッタイナニヲヨンデイタノダロウ。
再読して感銘を新たにしたので、なにか感想を書いてみたいと思ったが、これがなかなか難しい。副題に「謎解き私小説」とあるように、「謎」を探索するプロセスをエッセイ仕立てにした小説なのだから、「答え」をバラすわけにはゆかない。文庫版の解説で池澤夏樹さんは「オチ」をバラしてしまっているけれど、これは反則ですね(まだ読んでいない人は、解説は後回しにしたほうがいいと思う)。
三島由紀夫にかかわる「ゆき」という一篇のラスト、
――今、これを読むのか。
という不思議さにうたれた。こう書かれていた。
とあって、次の最後の一行をバラしてしまったのだから、罪深い。殺人事件の「犯人」の名前を書いてしまったようなものだ。
高屋窓秋に「雪月花不思議の国に道通ず」という句があるけれど、思わぬ巡り合いの不可思議、その感動を読者に共有してほしいとの願いが最後の一行に込められているのである。
本書には「よむ」「つき」「ゆめ」「ゆき」「ことば」「はな」の6篇が収められていて、長短さまざまだが、「ゆき」はやや長めの一篇。冒頭の「よむ」は、名探偵ホームズの相棒ジョン・H・ワトソンのミドルネーム「H」はなにの略か(ウィキペディアに出ている)というマクラから始まって、「読みの創造性が作品を深める(とくに短詩形文学において)」と、『去来抄』の去来の句「岩はなやここにもひとり月の客」への先師芭蕉のコメントを引き、さらに芭蕉に異を唱えた子規を召喚してみせる。この子規の芭蕉批判の文章は山本健吉の『古典詞華集一』(小学館)からの孫引きだが、この『古典詞華集』はなかなかの優れモノで、わたしも重宝している。「完訳 日本の古典」という全60巻シリーズの別巻で2分冊になっているものだ。
ここでのメインの探索は、萩原朔太郎の『月に吠える』のなかの「天景」という有名な詩で、「しづかにきしれ四輪馬車」という文が三度繰り返される。この「四輪馬車」をどう読むかがテーマである。七音五音の組合せが繰り返される音数律の短詩なので、「よんりんばしゃ」という読みはない。残るは「よりん」か「しりん」か。
新潮社が出しているCDは「しりんばしゃ」と読んでいるという。だが、北村さんの所有する朗読CDでは、岸田今日子も谷川俊太郎も「よりんばしゃ」だという。この探索のプロセスが読みどころなのでこれ以上は書かないが、北村説は「よりん」である。大岡信は『折々のうた』でこの詩を掲出し、「しりんばしゃ」とルビを振っているという。中高生の現国でこういう問題を取り上げれば、きっと面白い授業になっただろうと思う。かつて高校の国語の先生だった北村さんらしい話の運びだ。
さて、では萩原朔太郎自身はどう読んでいたか。どう読まそうとしていたのか。
朔太郎に「詩の音楽作曲について」という詩論がある。それによれば、朔太郎の詩に作曲したものが「現代詩の夕べ」というラジオ番組で放送された。なかに「天景」があり、朔太郎はそれを聴いて「僕の詩を逆の正反対に表現したやうな作曲だつた」と感じたという。
(「天景」という)僕の詩は、初夏の明るい光に輝いた自然を、軽快な四輪馬車の幻想に表象して、一種の浪漫的なノスタルヂアを歌つたもので、徹底的に明朗爽快の詩であるのに、その音楽に作曲されたものは、何かひどく陰気で物悲しく、甚だ暗いセンチメンタルの感じがした。
と感想を述べている。残念ながら、四輪馬車の読みかたについては触れていない。もし、朔太郎自身の考えとは違う読み方をしていたら一言あっただろうから、きっと同じ読みだったのだろう。それがなにかはわからないが、文学作品は作者の考える読みが「正解」というものでもない。「よりんばしゃ」であろうが「しりんばしゃ」であろうが、北村さんが書いているように「文字という対象が、読み手の中に入って音になる。それが、人によって違うところに、読みの創造性もあり、面白さもある」のだから。
もう一篇、「はな」について、かんたんに触れておこう。
中村真一郎の本で、一番最初に買ったのは――多くの人がそうだろうが――角川文庫の『芥川龍之介の世界』だ。まだ、文庫本にパラフィン紙のカバーがかかっていた、半世紀も前の話である。
と北村さんは書いていらっしゃる。パラフィン紙のカバーがかかった文庫本は、いまでもわたしの手元にある。多くの人が中村真一郎の本で最初に買うのが『芥川龍之介の世界』だというのはちょっと首を傾げるが、中学生の頃に芥川の小説に関心を持った少年少女が、さらに芥川を論じた本に手を伸ばす、といった想定だろうか。北村さんのような利発な少年だったらそうかもしれないけれど。
わたしが最初に手にした中村真一郎の本はなんだったろう。小説でないことはたしかだが、おそらく『現代小説の世界――西欧20世紀の方法』だったかと思う。講談社現代新書の1冊で、調べると1969年刊とあるから、高校を卒業した頃か大学に入った頃に読んだのだろう。もう手元にはないけれどこれは繰り返し読んだ本で、フォークナーの『野生の棕櫚』だとかハクスリーの『恋愛対位法』だとか、この本で知った文庫本がいまも家のどこかにあるはずだ。
「中村の『俳句のたのしみ』は、新潮文庫に入った時に読んだ」と北村さんは書かれている。わたしも新潮文庫で読んだくちで、奥付には平成八年発行とある。奥書に「この作品は平成二年十一月新潮社より刊行された『俳句のたのしみ』と私家版『樹上豚句抄』(平成五年十二月)を再編集したものです」と記されている。元版より6年後の文庫化ということになる。当時はそんなものだったか。
さて、その『俳句のたのしみ』に上田無腸(秋成)の句が取り上げられている。
「かき書の詩人西せり東風(こち)吹て」
これは「おかしい」と北村さんはいう。「かき書の詩人」では意味をなさない。「かき書の詩人」とは蕪村のことで、無腸が詞書で蕪村を「和風漢詩」を作る人だと書いている。ならばここは「かな書の詩人」でなければならない、と北村さんはいう。仰せの通り。「西せり」は西方浄土へ行く、つまり死ぬということ。
《かな書の詩人西せり》、即ち、《漢詩を俳句の形に作り変えた蕪村が亡くなった》――ということであり、他に考えようがないのではないか。
そこで、『俳句のたのしみ』の単行本を確かめると、すでに「かき書」となっている。然らば、と中村が読んだ有朋堂文庫の『名家俳句集』の「無腸句集」にあたると、中村が引用している通りの表記である。「出典はこれだった。(略)活字化する際の誤りとしか思えない」。我発見セリ! の心躍りが伝わってくる。
編集の方がこの《かき書》についての疑問を中村先生にお伝えしたところ、感謝された、と聞いた。(略)太陽に向かって、片言を申し上げた思いであった。
と北村さんは書いている。『名家俳句集』が刊行されてからおよそ90年後に、ようやくこの「誤植」が指摘されたわけである。
ちなみにこの『名家俳句集』、わたしも所持している。かつて古書展で求めたものだ。北村さんは昭和二年の本と書かれているが、わたしのは昭和五年の奥付。よく売れて改版したのだろう。背に「名家俳句集 全」と金箔押しのある袖珍本で、なかの「無腸句集」のある句に付箋が貼ってある。もちろんわたしが気に入って貼ったものだ。
さくらさくら散て佳人の夢に入る
その次の頁にあるのが「かき書の詩人西せり東風吹て」である。
あらためて、文庫版の『俳句のたのしみ』を見てみると、見開きの右頁に「さくらさくら」、左頁に「かき書の詩人」の句が掲出されている。中村真一郎が『名家俳句集』を使って『俳句のたのしみ』をものしたのだから、なんの不思議もないけれど、わたしのなかでこの2冊が『雪月花』の文庫版を媒介に、いま、ここで出遭ったのは不思議な思いがする。まことに「雪月花不思議の国に道通ず」というしかない。
中村真一郎は「さくらさくら散て佳人の夢に入る」について、こう評している。
広瀬惟然坊あたりが試みはじめて、芭蕉の周辺の連中によって抑圧されてしまった、無邪気で童謡のような自然な口調の復活である。しかし、「さくらさくら」と繰り返したところに、風に吹かれて次々と散って行く花びらの風情が、映画でも見るように視覚的に感じられるのは、偶然か、作者の工夫か。いずれにせよ、当時の基準からすれば、素人の句作だろう。
「素人の句」か。でも、いいよねえ、この春風駘蕩とした感じは。