これは詩ではない――渡邊十絲子『今を生きるための現代詩』を読む



 著者は本書の第1章に、ある詩との「衝撃的」な出会いについて書いている。「まったく意味がわからなくて、でも鋭く光っていて、密度があった」。その詩とは――。


 25 世界の中で私が身動きする=230
 26 ひとが私に向かつて歩いてくる=232
 27 地球は火の子供で身重だ=234
 28 眠ろうとすると=236
 29 私は思い出をひき写している=238
 30 私は言葉を休ませない=240
 31 世界の中の用意された椅子に坐ると=242
 32 時折時間がたゆたいの演技をする=244
 33 私は近づこうとした=246
 34 風のおかげで樹も動く喜びを知つている=248
 35 街から帰つてくると=250
 36 私があまりに光をみつめたので=252
 37 私は私の中へ帰つてゆく=254
 38 私が生きたら=256
 39 雲はあふれて自分を捨てる=258
 40 遠さのたどり着く所を空想していると=260


 この詩に出会ったのは13歳、中学生の少女だった著者である。お金を貯めて買った『谷川俊太郎詩集』のなかにそれはあった。国語の教科書で読んだ谷川俊太郎の「生きる」という詩にちっとも感動しなかった少女は、いっぽうでおなじ谷川俊太郎の「沈黙の部屋」という詩に「感情をはげしく波うたせながら」、それをノートに書き写していた。
 少女にとって詩とは、自分のなかにある何かと出会わせてくれるものではなく、未知のものに不意撃ちされるような体験をもたらしてくれるものだった。少女は貯金を手に書店を徘徊し、700頁を超える大部の詩集を手に入れる。そこで目にしたのが上に掲げた詩だった。
 「なんて自由なんだろう。ことばに番号をふるなんて!/言いかけて途中でやめてしまうなんて!」
 そのとき少女をとらえた感動と興奮は、やがて、それが一篇の詩ではなく『六十二のソネット』という詩集の目次の一部分だと知って終息する。だがその「恥ずかしい勘違い」の記憶に渡邊十絲子の詩人としての原点がある。だからこそ、そのエピソードを冒頭に記したのだろう。


〈私があまりに光をみつめたので/私は私の中へ帰つてゆく/私が生きたら/雲はあふれて自分を捨てる〉


 「そのときのわたしにとっては、これは詩以外のなにものでもなかった。いや、現在でも、これらの行を目次ではなく一篇の詩としてとらえる感じ方は、わたしのなかにちゃんとのこっている」と著者は書く。


 もし、中学生の少女が目を輝かせてこの詩を差し出したら、国語の先生は「これは詩ではない」と、にべもなく勘違いを訂正するだろうか。あるいは、谷川俊太郎ならこういっただろうか。「よく見つけたね。隠れていた詩を」
 一冊の電話帳だって詩集である、という意味のことをいったのは寺山修司だった。寺山はいたるところに詩を見つける名人だった。競馬場や拳闘のリングや、あるいは街頭も、寺山にかかればまぎれもなく一冊の詩集になった。「書を捨てよ、町へ出よう」とアジった寺山にとって、印刷された詩集などあるいは言葉の墓場であったのかもしれない。
 トランプの一枚一枚に詩の断片を印刷した詩集をつくったのは渡辺武信だった。シャッフルして読者が自分でつくる自分だけの詩。『首都の休暇・抄』と題されたその詩集のあとがきに渡辺はこう書いた。「ひとつのゲームとしてこのような詩集の刊行をこころみたぼくは、数少ないであろう読者がこのカードを実際に使ってたとえばドロー・ポーカーに興じながら、そこに加えられたフレーズの組合せによって、同時にもう一つゲームをひそかに進行させてくれることを望んでいる」
 かれらなら、詩は読むものの頭のなかにある、というだろうか。


 いっぽうで印刷された詩集のなかに詩の可能性を追求しようとした詩人がいる。アポリネールの『カリグラム』などがその象徴的な例だが、ここでは著者の引用する安東次男の「薄明について」という詩を挙げよう。


 薄明を
 そしきせよ


 薄明
 をそしきせよ


 そこから
 でてくるのは


 無数
 の
 ぬれて


 巨きな掌


 無
 数
 の
 ぬれて


 巨きな足
      (以下略)


 この詩は徹底して音読不能である、と著者はいう。ためしに改行を変えて書くと、


 薄明をそしきせよ
 薄明をそしきせよ
 そこからでてくるのは
 無数のぬれて巨きな掌
 無数のぬれて巨きな足


となり、「これではすっかり凡庸な詩になりさがる」と著者はいう。「意味は改行のなかにあるのだ」。この詩は絵画にたとえれば抽象画であり、一つひとつのことばは「画面を構成している絵具なのである」と。
 現代の詩は総じて目で読まれることを前提にして書かれている。それは改行の仕方だけではなく、「そしき」と書くか「組織」と書くか、「大きな」と書くか「巨きな」と書くか、といった表記法もまたその大きな要素である。むろん、それは詩にとどまらず、短歌や俳句でも同様である。


 黄のはなのさきていたるを せいねんのゆからあがりしあとの夕闇   村木道彦


 この短歌を、


 黄の花の咲きていたるを 青年の湯から上がりしあとの夕闇


と書けば、うたの輝きはいっきょに色あせるだろう。
 詩人が推敲に推敲をかさね一点一画をもゆるがせにできない詩であっても、あるいは、詩人の手のおよばない偶然にゆだねられた詩であっても、いずれにせよ、詩は読むものの頭のなかにあることにかわりはない。


 私があまりに光をみつめたので
 私は私の中へ帰つてゆく
 私が生きたら
 雲はあふれて自分を捨てる


 もしこれが詩ではないとするなら、詩はいったいどこにあるのだろうか。