2009-01-01から1年間の記事一覧

補説・小麦畑を渡る風

前回の記事にトラックバックをいただいた。思うところを若干補足しておきたい。 わたしとて日常生活においてはなるべく「むだ」をなくしたいと思い、そう心がけていないわけではない。目的地には最短距離・時間で着くようにするし、不要のものの溢れる身辺を…

小麦畑を渡る風

ジョージ・スタイナーは八十歳を目前にしてあたかも自らの仕事の総決算であるとでもいうように、書こうとして実現しなかった七冊の本についての試論を一冊の本にまとめた。『私の書かなかった本』My Unwritten Books *1と題されたその書物にスタイナーは簡潔…

「オリジナル・オブ・ローラ」をごらん!

驚いた。近頃新刊書を手にして驚くことは殆どなくなったけれど、この本にはびっくりした。 Vladimir Nabokov, The Original of Laura, Knopf. ウラジーミル・ナボコフの未刊の遺作(小説)である。 頁の上半分に手書きの英文が書かれたインデックスカードが…

人衆ければ即ち狼を食らう・補遺

さて、前々回「人衆ければ即ち狼を食らう――森鴎外と久保忠夫」(id:qfwfq:20091108)の末尾に、わたしは《仙台のバスではいまも「ヤギヤマイレグチ」と言ったり、デパートではいまも「缶入れですね」とか「十箇入れ」ですね、と言っているのだろうか。こんど…

少し距離をおいて――喪失と哀悼

「小津の映画は、つねに最小限の方法をもって、同じような人々の同じ物語を、同じ街東京を舞台に物語る。彼の四十余年にわたる作品史は、日本の生活の変貌の記録である。描かれるのは、日本の家庭の緩慢な崩壊と、国民のアイデンティティの衰退だ。だが、進…

人衆ければ即ち狼を食らう――森鴎外と久保忠夫

『明治文壇の人々』から馬場孤蝶の回想をひとつ抜書きすると――。 大正七、八年頃のこと、東京日日新聞で国詩を募集した。当選したある詩のなかに「……するより仕方がない」という句があった(国詩とは一般に詩歌とくに和歌を指すが、ここでは何の詩型かは不明…

秋風と二人の男

男は夕刻に友人と待合せの約束があり出かける用意をすませたが、家を出るにはまだ少し時間が早い。妻が台所で夕食の巻き寿司をつくるのを見るともなく見ている。妻は木の寿司桶に御飯をうつし団扇であおいで冷ますと、俎板のうえの簀に布巾を載せ、そのうえ…

ボンサンスの人――馬場孤蝶

連休中の某日、樋口一葉の日記を読む。仕事の必要に拠りてなれどつい読み耽り暫時酩酊し時の経つのを忘却す。 「毎夜、廓に心中ものなど三味線に合せてよみうりする女あり。歳は三十(みそぢ)の上いくつ成るべきにや、水浅黄にうろこ形のゆかたきて、帯は黒…

インディアン嘘つかない

インターネットや携帯電話といった新しいメディアはいまでは多くの人の生活に入り込み、だれもがさながら小中学生のようにあたかも生まれる前からあったかのごとく怪しまないが、一般に普及するにつれてその利便さと裏腹の、あるいは表裏一体の問題も急激に…

レッシング・レゲンデ

吉本隆明インタビューのDVDが届いた。「吉本隆明語る 思想を生きる」。京都精華大学創立40周年記念事業として作成されたもので、聞き手は同大学名誉教授の笠原芳光、webで申し込めば無償で送ってくれる。インタビューは2008年12月。今年の1月にNHKで放映され…

1Q84的世界のなりたち

「するときみは次がどうなるか知りたくて本を読むわけだね?」 「ほかに本を読む理由なんて、ないのとちがうっけ?」 ――ジョン・アーヴィング『ガープの世界』 『群像』8月号を図書館で借りて来た。月刊誌はひと月たつと館外へ貸し出してくれるのである。<…

「わかりやすさ」への配慮

「渡り鳥は、南へ向かふときでも北へ向かふときでも、秋でも春でも、なるべく町なかを避けたルートを選ぶものだ。鳥の群れは、空の高みから縞模様を描くこんもりとした田畑を横切り、森の縁伝ひに飛んでゐたかと思ふと、今度は川の彎曲や谷間に沿つて飛んで…

bye-byeさようなら

声のいい人だった。よくとおる口跡のいいバリトンで、啖呵売をすればさぞかし似合ったろう。浪花節や河内音頭を論じたりもしていたから香具師にも通じていたにちがいない。大道芸をタイトルにした本もある。そもそもかれの文章じたいが講釈師や香具師の話芸…

蹉跌と韜晦――小島亮の徳永康元論

『ブダペストの古本屋』が文庫になった。書店で見かけて好いカバーだなと思ったら、間村俊一のデザインだった。写真は著者徳永康元の撮影。解説は坪内祐三だろうと思って手に取ると違っていた。筆者は小島亮。解説タイトルに「韜晦のあり方――徳永康元を読み…

To the happy few ――『柳田泉の文学遺産』

村上春樹さんの新作『1Q84』が書店に文字通り山積みになっていた。発売日に上下巻あわせて六十八万部(四刷)という数字は純文学の小説としては前代未聞じゃないだろうか。純文学じゃなくても近年では記憶にない(ハリポタぐらいか)。わたしもその売上げ…

先頃入手した一冊の文庫本について書いてみたい。 佐多稲子著『女の宿・水・人形と笛 他七編』。カバーの表には、大柄の葉をもつ草花と「女の宿」の文字が彫られた版画(芦川保)に、明朝体で佐多稲子短篇集という墨文字が乗っている。素朴な味わいのある好…

アサミフチとは俺のことかと浅見淵

「槻の木」四月号に来嶋靖生さんの「浅見淵随筆集『燈火頬杖』(藤田三男編)を読む」が掲載されている。同号には渡辺守利氏の「浅見淵随筆集『燈火頬杖』のことなど」もあり、『新編 燈火頬杖』(ウェッジ文庫)の批評号となっている。 来嶋さんは、この文…

毒舌と老嬢――『目白雑録3』を読む

いまではもう世界の北野武と呼ばれることのほうが多かったりするビートたけしがツービートという名でかつては漫才をやっていたことを知らない若者も少なくないかも知れないけれど、赤信号みんなで渡れば怖くないだったか付和雷同好きな国民性(は昔も今も老…

書痴あるいは蒐集家の情熱

先日、さる方より塚本邦雄の『良夜爛漫』を頂戴した。わたしが塚本邦雄の大のファンであると御存知で、永年架蔵されていた同書を惜しげもなく下さったのである。『良夜爛漫』は『定家百首 良夜爛漫』より巻頭の「藤原定家論」と跋文を省いた三百十部・限定版…

去年の雪、いまいずこ

そうか、虫明亜呂無も「バンビ」の常連だったのか。刊行されたばかりの虫明亜呂無のエッセイ集『女の足指と電話機――回想の女優たち』を読んでそのことを知った。「秋の出会い」と題されたエッセイは次のような書き出しで始まる。 「阪神第一週を了えた翌日、…

風に碇も櫂もなし――『花文字館』を読む

ひと月ほど前になろうか、新聞に一冊の句集の短い紹介記事が載った。長岡裕一郎の『花文字館』。そしてそれが、かれ長岡裕一郎の遺句集だと知った。小学校の同級生の訃報が突然届けられたような驚きと悔恨にも似た淡い哀しみとがあとにつづいた。 わたしは長…

蘆江と緑雨――『東京おぼえ帳』を読む

――ひさしぶり。 ――ほんと。三年ぶりぐらいかしら。 ――そんなになるかな。 ――だって見てよ、これ(id:qfwfq:20050828)。 ――ほんとだねえ。これはこれは。 ――で、今日は何を仕入れてきたの? ――新刊の文庫で『東京おぼえ帳』。 ――あら、可愛い本ね。平山…… ――…

本とつきあう法

* 桶谷秀昭の「含羞の文学」について以前書いたことがある(id:qfwfq:20080907)。それは中野重治全集第二十五巻の月報のために書かれた随想で、この巻には中野の映画演劇評、読書随想等が蒐められていて、中野の著作のなかでもわたしのとりわけ愛読する一書…

真実一路のひと――『蘆花日記』を読む

某月某日TBSの鴨下信一さんと会う。お会いするのは五、六年ぶりか。ふたりとも病み上がりなので、ひとしきり病気の話。鴨下さんは胃を摘出されていて、わたしは生来の下戸なので、ふたりともコップ一杯のビールをもてあます。 昨年末に鴨下さんが演出され…

上司小剣コラム集出づ!

週刊文春の連載コラム「文庫本を狙え!」で、坪内祐三が『新編 燈火頬杖』について書いている(1月15日号)。坪内は、《「あさみふかし」の名前を知る人が何人ぐらいいるだろう――そういえばこの本の「忘れられた作家たち」という一文で紹介されている藤沢清…

カエサルのものはカエサルへ

昨年の暮、神保町の古書店で一冊の詩集を購った。ある詩人の第二詩集で、わたしは学生時代にその詩人の第一詩集を手に入れた。たびかさなる引越しにも紛れずそれはいまも手許にあり、三十年ぶりに詩人の健在ぶりを知ることになったのだが、その詩集には思い…