ひと月ほど前になろうか、新聞に一冊の句集の短い紹介記事が載った。長岡裕一郎の『花文字館』。そしてそれが、かれ長岡裕一郎の遺句集だと知った。小学校の同級生の訃報が突然届けられたような驚きと悔恨にも似た淡い哀しみとがあとにつづいた。
わたしは長岡について、若き日に短歌をつくり、やがて句作に転じたらしいこと以外なにも知るところはない。知人のいくたりかが長岡と親交があり、いずれは会うこともあるかもしれないと思っていたが、その機会は永遠に失われた。
かつて一度だけかれの短歌にふれたことがある(id:qfwfq:20051218)。「現代短歌体系」(三一書房)で新人賞次席に選ばれた五十首のうちの一首を引用した。かれの短歌作品の代表作といっていいかと思う。新人賞の詮衡座談会で、十八歳・大学浪人のはじめてつくった歌に、撰者の中井英夫が「あんまり達者で、舌巻くほかはない」といい、塚本邦雄が「恐ろしいような才能」と嘆息した。のちにわたしが、同様に言葉を操る才能に舌を巻いたのは高柳蕗子の歌集『ユモレスク』と小池純代の歌集『梅園』ぐらいだろうか。長岡の歌は受賞作「思春期絵画展」五十首と、のちに同人誌「UTA-VITRA」創刊号に発表された「星の九柱戯」九首(九人の同人の名を詠み込んだ超絶技巧作)、「蝶瞰図」二十首しか知らない。
句集『花文字館』を注文して取り寄せた。東京藝大で油絵を専攻したという長岡の花の絵がカバーや扉を飾っていた。
門松の切れ味すごき夜を歩く
一九九四年に、加藤郁乎が「年間秀句ベスト5」に撰んだという代表作。軒燈にそこだけぽっと浮んだ竹の鮮やかな斜めの切口と凍てつく寒さまで眼裏にたつ佳句。西洋の絵画が絵具を何層にも重ねて世界を表象するとすれば、墨の濃淡だけで世界を表象するのが東洋の絵画である。何万語を費やした叙事詩と十七音の俳句の対比にそれは通ずるかもしれない。
傘雫いくつか部屋に入れし春
狼の背に運ばれて冬の種子
雨雨雨紫陽花舞踏譜蒐集家
絲蜻蛉の定規で計る月の色
春のやわらかな雨を傘に受けながら帰宅し、玄関に閉じた傘を立て掛けると小さな水溜りができる。ちいさい春見つけた、と口をつく。狼の背にのって疾駆した花の種子は春には野に可憐な花を咲かせるだろうか。雨雨雨は縦書きにして読んでみるといい。紫陽花に降りしきる雨がみごとに視覚化されている。美男美女美女の歌を思い出させる技巧。句集の巻末にお姉さんが弟と「とうすみとんぼ」の思い出を書いていらっしゃる。哀切な文だが、この句には稲垣足穂を思わせる童画の趣がある。
本歌取りを思わせるような句もある。
飛べぬから痩せた踵に影を縫う
きみはきのふこころ裾濃の琥珀いろ
白南風よさらば扉は開けておく
軽羅着て軽羅の契り花洎夫藍(サフラン)
「怒らぬから青野でしめる友の首」(島津亮)。踵に影を縫いつけて飛ぶことを断念した少年と青野で首をしめる男の姿が重なる。
「君はきのふ中原中也梢さみし」(金子明彦)。昨日とはいつのことか。それは遥か未生以前のことかも知れぬ。
「ほととぎす迷宮の扉の開けつぱなし」(塚本邦雄)扉から侵入するのは、はつなつの薫風か杜鵑か。叩けよさらば開かれん。だが予め開かれた扉には奸計が仕組まれている。
「疾風に逆ひとべる声の下軽羅を干して軽羅の少女」(相良宏)。軽羅の少女は三十歳で夭折した相良宏の遺稿「無花果のはて」の一首だった。中井英夫は相良の透明な歌を草水晶に譬えた。
眠れ船帆にたそがれをたたみこみ
さようなら風に碇も櫂もなし
長岡裕一郎は昨年四月三十日に五十三歳で永眠した。
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