2011-01-01から1年間の記事一覧

境界線上の映画

暮れも押しつまって、半年前に引越した時のままになっていた荷物の整理にようやく手をつけ始めた。大半は処分していいものだが、一応中身を確かめようとするから手間がかかる。ファイルしておいた文書の中に、むかし書いた文章があった。トリン・T・ミンハの…

微笑の思い出

年の瀬には人がよく亡くなる。実際にはどうかわからないが、そんな印象がある。12月に入って竹村和子さんに続いて森田芳光さんの訃報に接して驚いた。お二人ともわたしの同世代である。森田芳光がメジャーデビューするきっかけとなった8ミリ映画『ライブイ…

『青白い炎』へのなくもがなの注釈――ナボコフ再訪(6)

つい先日のこと、電車に乗って吊革につかまり鞄から文庫本を取り出して読んでいたら、となりで小学生の女の子の声がした。「シャーロック・ホームズが…」と、少女は若い母親らしき女性に語りかけていた。おそらく子ども向けの探偵小説でも読んだのだろうと思…

世界の重さと存在の軽さ――「恋する原発」について

またまた斎藤美奈子でいささか気がひけなくもないのだけれど、10月26 日の朝日新聞朝刊の「文芸時評」で斎藤は文芸誌の新人賞受賞作を二作取り上げたのち、高橋源一郎の小説「恋する原発」(「群像」11月号)に言及している。 「義援金を寄付するために震災…

幾時代かがありまして――高島俊男『ことばと文字と文章と』を読む

高島俊男先生の『ことばと文字と文章と(お言葉ですが… 別巻4)』が出た。専門誌に掲載された一篇をのぞき、すべて書き下ろしである。なんと贅沢なことか(高島先生と小林信彦のコラム――小林信彦だけ敬称抜きなのはべつに他意があってではない――を読むため…

シュトックハウゼンの災禍・補説

10月7日の朝日新聞朝刊に、一頁全面をついやして「紙面審議会」の記事が掲載されていた。いくつかのテーマに分かれたうちの一つ、「ネット世論」という項で、内田樹委員と朝日の政治部長、編成局長らとの議論の抜粋(要旨)が載っている。 内田氏は、鉢呂氏…

シュトックハウゼンの災禍

1 9月16日の朝日新聞朝刊の片隅に記事訂正の告知が載っていた。以下その全文である。 「訂正 13日付「メディアタイムズ 鉢呂氏の放射能発言、経緯は」の記事で、「防災服の胸ポケットにしまっていた個人用線量計をのぞき、その日に測定された数値の一つを…

行きなさい、とツグミが言った

巨大な天災とそれにつづく出口の見えない人災の日々のなかで、その現実にかろうじて拮抗しうるのはわたしにとっては詩のことばだけだった。3月26日、わたしはここで大岡信の詩の一節を引いているが*1、そのころ座右において紐解いていたのは専らエリオットの…

期待と落胆――西村賢太論序説

西村賢太の小説の特長は、まずなによりもその文体にある。西村の独特の文体を形成している要素のひとつに、よく指摘されるように「西村語」とでも呼んでみたい頻出する用語が挙げられる。これは西村の小説のほとんどすべてに共通する語法である。 いくつか具…

テキストのヴェネツィア

旅行というものが好きではない。準備のことを考えるだけで意気阻喪し、うんざりしてしまう。かつて仕事でフランクフルトからパリ、アムステルダムへと旅したことは、以前ここで書いたことがある。ほかに外国へ行ったのは、二十代の終りに行ったマンハッタン…

三十年目の向田邦子

もう三十年も経ったのか。1981年8月22日、向田邦子が五十一歳で亡くなったのは晩夏の、いまと同じように蒸し暑い日だった。夏休みをとって田舎に帰省していたわたしは、墜落した台湾の航空機の乗客のなかに向田邦子らしい人物がいると伝えるTVのニュース…

それはそれ、これはこれ――『目白雑録4 日々のあれこれ』とその他のあれこれ

引越して、ほぼ、ひと月が経った。日々の暮しはおおむね旧に復したが、部屋のそこかしこに荷解きの済んでいない段ボール箱が積み上げられたままだ。50〜60箱ぐらいはあるだろうか。中身はすべて本や雑誌だ。 三月頃から引越しのための本の整理をはじめ、毎週…

海に散るさくら吹雪

巖浩(いわお・ひろ)のことを、わたしはなぜか谷川雁のような人だと思っていた。元日本読書新聞の編集長、“伝説の編集者”である*1。 「なぜか」と書いたが、じつは理由がなくもない。ふたりとも九州の生れで谷川雁の本名が巖であること、巖浩の後を継いで日…

大庭柯公と大島渚

このところ週末ごとに本の整理に忙殺されている。ひと月あまりかけて五千冊ほどを処分したが、目標に達するにはもうしばらくかかりそうだ。以前、「ハルビンの大庭柯公」(id:qfwfq:20100829)で、持っているはずだがどこに埋もれたかわからないと書いた中公…

このかなしみの大きな穴は

3月19日附「放射線防護に関するドイツ連邦庁の報告」は、当初の目的が達せられたと判断し、削除する。 今般の三陸沖地震による大惨事と福島第一原発の事故、その他それらに起因する諸々の余波はいまなお進行中である。なかんずく、災害によって肉親を亡くさ…

消えた新聞記者・大庭柯公

昨夏、「ハルビンの大庭柯公」(id:qfwfq:20100829)という短文で、柯公大庭景秋の閲歴にふれて「信頼のおける伝記がないのかもしれない」と書いたが、これは早計だった。伝記は公刊されていた。先だってたまたま手にした内村剛介編集の雑誌「初原」創刊号*1…

拾う

片岡義男の書くもの、とりわけ日本語に関するエッセイにはいつも驚かされる。思いもよらない角度からの指摘に意表を衝かれ蒙を啓かれる、といったふうである。「図書」2月号のエッセイ「西伊豆でペンを拾ったら」(連載「散歩して迷子になる」の第35回)も…

三島由紀夫の「素面」

藤田三男さんは河出書房の編集者時代に三島由紀夫の本を何冊も手がけていられる。編集者として見た三島由紀夫の「素面」を書きとめた文章は、装丁を手がけた本の書影とともに『榛地和装本』『榛地和装本 終篇』の二冊の著書に収められているけれども、なかで…

眼の中を墜ちゆく機影

新年歌会始の歌が発表された。今年のお題は「葉」である。皇后美智子妃の、 おほかたの枯葉は枝に残りつつ今日まんさくの花ひとつ咲く は歌境にこれといって目新しさはないが、いかにも美智子妃らしい歌である。まんさくの黄色い花が枝にひとつ早くもひらい…

ヴィヨンの小指

昨年暮れに放映された『坂の上の雲』で、正岡子規の臨終の場面が描かれた。このドラマで子規の文業の偉大さ大きさはそれほど伝わらなかったかもしれないが、人間としての正岡升の大きさは(その卑小さとともに)見ているわたしを強く打った。子規の晩年を庇…