2012-01-01から1年間の記事一覧
某月某日 ――1947年の夏、ひとりの無名の若者がNYからヒッチハイクでマサチューセッツに住む劇作家テネシー・ウィリアムズの家に向かった。若者はウィリアムズ家に着くと、うちじゅうの電気や水道の故障を手際よく修繕したのち、おもむろにリビングでコワルス…
頃日、文体について書き継ぐためにあれこれと本を読み漁っているのだが、いささかというより相当大きなテーマなのでなかなか先が見えてこない。というわけで今回はちょっと別のことについて書いてみたい。 過日(11月18日)朝日新聞一面トップに日本維新の会…
前々回、「文体について(その1)」と題した文章を掲載するまでに、ひと月あまり間があいた。更新が滞ったのは、その間、ちょっと気の張る原稿を書いていたためだった。気の張るというのは、柄にもなく日本の古典文学をテーマにした原稿だったことにくわえ、…
片岡義男は、ハワイのマウイ島生れの日系二世の父親と滋賀県に生れた日本人の母親のもとで、幼児期からバイリンガルで育った。英語と日本語をほぼひとしく話したが、《子供の僕の核心に、より深く届いていたほうがドミナントだったと考えるなら、それは英語…
「世のなかは絶えまのない動きのなかにあり、変化は最終的には常に進歩の方向にあるのです」 こういう文章をわたしたちはよく見かける。評論や論文などの書物のなかであったり、演説で耳にしたりする。そして、こういう言い方をわたしたちはすこしも怪しまな…
1940年5月19日、家族といっしょにフランスのサン・ナゼール港を発ったウラジーミル・ナボコフは、一週間余の船旅の果てに5月28日の朝、ニューヨーク港に到着した。1919年の4月に祖国ロシアの地を発って以来、イギリス、ドイツ、フランスと転々と移住した…
「食わず嫌い」の語釈として、ある辞書は次のように書いている。 1 食べたことがなく、味もわからないのに嫌いだと決め込むこと。また、その人。 2 ある物事の真価を理解しないで、わけもなく嫌うこと。(「大辞泉」) 語の第一義は食に関するものだが、一…
平岡正明の『人之初(ひとのはじめ)』という本を書店で見つけた。「未発表だった《自伝》が遂に陽の目を見る」と腰巻にある。これは、読まないわけにいかないな。 買って、とりあえず鈴木一誌さんの「解題」に目をとおす。ほほう、鈴木さんも平岡正明の愛読…
平凡社ライブラリー版『椿説泰西浪漫派文学談義』が刊行された。カバー装画はブレイクの「エルサレム」。平凡社ライブラリーのシリーズにしっくりと馴染んでいる。慶賀の至り。 原本の青土社版(1972年刊)は縦長の四六変型判で、透明の合成樹脂カバーに書名…
いまから六十年余の前、林達夫はこう書いた。 「戦後五年にしてようやく我々の政治の化けの皮もはげかかって来たようであるが、例によってそれが正体をあらわしてからやっと幻滅を感じそれに食ってかかり始めた人々のあることは滑稽である。」 林達夫といえ…
George Steiner at The New Yorkerを読んだのをきっかけに(原著を読了したというわけではありません、為念)、スタイナーの本を引っ張り出し(『脱領域の知性』も出てきた)、あれこれとつまみ食いならぬつまみ読みをした。読書の至福とはこういうことなの…
ひとつのエピソードを書きとめておきたい。老人ホームに居住するひとりの高齢の女性の話だ。かりにAさんとしておこう。Aさんは、ある事故によって数年前から「失語症」の状態になっていた。といっても、脳の器質的な障害による失語症ではない。日常生活に…
George Steiner at The New Yorker が届いた。前回、例に挙げた意味不明の邦訳の本当の意味はなにか、興味をお持ちの方も一人か二人はいらっしゃるのではないかと思い、つづきを書いてみることにした。不明なのは例に挙げた箇所だけではないけれども、挙げ始…
ジョージ・スタイナーが雑誌「ニューヨーカー」の定期的な執筆者で、少なからぬエッセイを同誌に寄稿したことはよく知られている。このたび翻訳された『「ニューヨーカー」のジョージ・スタイナー』(近代文藝社)の序文で、ロバート・ボイヤーズはつぎのよ…
山崎栄治の詩 「《あ》って言ってごらん」に出合ったのは数年前のことだ。古本屋の均一本の山のなかから掘り出した詩誌「同時代」(昭和39年、第18号)に載っていた。ご覧のように原詩は無垢と一種の終末観のイメージが綯い合わされた傑作である。一読、これ…
――**ちゃん、あ・そ・ぼ。 ――ちょっと待って、宿題やらないで遊びに行くとうるさいんだ。 ――じゃあ、先に行ってるよ。 ――うん、すぐ行く。待ってて。 ――お・は・な。あ・じ・さ・い。《あ》って言ってごらん。《あ》って言ってごらん。 アパートのわきに車…
ずいぶん長く更新しなかったな。この間、吉本隆明さんや安永蕗子さんが亡くなられて、感慨もひとしおだった。近親者の死(吉本さんと同年)にも見舞われた。まだ肌寒い北陸で野辺の送りに立会いながら、「朝には紅顔ありて夕べには白骨」の無常が胸に沁みた…
言語は理念の楽器である。……数学の公式を使うのと同じように言語を使うのだということが、みんなにわかってもらえるならば! ――ノヴァーリス*1 小説は言葉によって書かれる。どんな言葉で書かれるかというと、世界に存在するあらゆる言葉(言語)で書かれ(…
『小さな天体』を読了。同時に『3. 11――死に神に突き飛ばされる』(岩波書店)を読んでいたので、日記で3月11日がだんだんと近づいてくるのがスリリングだった。3月11日以降の日記はそれまでとトーンががらりと変わっている。 日記の後半、コペンハーゲン…
前々回書いた『小さな天体』をまだ読んでいる。読み始めてひと月以上になる。理由ははっきりしている。寄り道をするからである。この本は加藤典洋さんの海外での日々の暮しが綴られている。起った出来事、会った人たち、考えたこと、そして、書いている原稿…
1月25日朝日新聞朝刊に掲載された斎藤美奈子の文芸時評は、今期芥川賞を受賞した二作を取り上げ、ワイドショーなどで話題の田中慎弥の「共喰い」についてこう書いている。「淀んだ川や釣った鰻が性器の暗喩になっているあたりは陳腐だが、すぐに映画化でき…
頃日、加藤典洋の『小さな天体』を読んでいる。副題に「全サバティカル日記」とあるように、勤務する大学のサバティカル休暇で2010年3月末から翌年の同時期まで、デンマークのコペンハーゲンとアメリカのサンタバーバラで過した日々の日記である。タイトル…