「暗号と象徴」をめぐって――ナボコフ再訪(7)



 1940年5月19日、家族といっしょにフランスのサン・ナゼール港を発ったウラジーミル・ナボコフは、一週間余の船旅の果てに5月28日の朝、ニューヨーク港に到着した。1919年の4月に祖国ロシアの地を発って以来、イギリス、ドイツ、フランスと転々と移住したエミグレがようやく見出した安住の地だった。14年余りを過したベルリンで、ナボコフは亡命ロシア人作家としての地歩を築いてはいたが、新天地アメリカではほとんど一介の移民に過ぎない存在だった。実際に仕事に就きはしなかったが、最初に紹介された職は書店の配送係だった。人を介して知り合ったエドモンド・ウィルソンの紹介で雑誌に書評を書く機会が与えられ、パリ滞在時代に完成していた英語で書かれた最初の小説『セバスチャン・ナイトの真実の生涯』(1941年)もようやく日の目を見ることになった。
 マサチューセッツ州ウェルズリー大学にロシア語講師の職を得て、どうにか生計の基礎を築いたナボコフは、ウィルソンをつうじて、文芸誌「ニューヨーカー」の編集者で創立者の一人であるキャサリン・ホワイトとはじめて会った。文芸誌「アトランティック・マンスリー」に掲載されたナボコフの小説を高く評価していたホワイトは、「ニューヨーカー」にナボコフに寄稿してもらうだけでなく出版も手がけたいとウィルソンに語っていた。「アトランティック」よりかなり原稿料の高い「ニューヨーカー」への作品の寄稿は、ナボコフにとって願ってもないオファーであった。
 アドヴァンス(前渡金)を受け取ったナボコフが最初に「ニューヨーカー」に送った短篇「時間と引潮」は、しかし、ホワイトの意に添うものではなかった。ホワイトはナボコフの「博学めかしたスタイル」を拒絶し、「パロディだというのに、ときに読むのが辛くなる」とナボコフに苦言を呈した(1944年9月28日付書翰)。それを読んだナボコフは不快感をあらわにした。「少々驚いているのですが、貴社の出版顧問の方々は私の物語の要点を完全に見落とされております」(1944年10月26日付*1)。「時間と引潮」は、結局「アトランティック・マンスリー」(1945年1月号)に掲載されることになった。
 「ニューヨーカー」に載ったナボコフの短篇にかんして、ホワイトとの間でもっとも数多く手紙がやりとりされたのは「暗号と象徴」である。
 「暗号と象徴」は、とりたててこれといったストーリーのない小説である。「言語強迫症」という不治の精神錯乱でサナトリウムに入院している息子を老夫婦が訪ね、アパートに戻ってきた夫婦へ間違い電話が二度もかかってくる、おおざっぱにいえばそれだけの話である。そして、「またもや電話が鳴った」という一文で終わるオープンエンディングの結末で、読者は本を閉じたあとまで、あたかも老夫婦の不安が感染したかのような気分が尾を引く。このほんの数ページの短篇をめぐって三十余人の書き手が論攷を寄せた研究書『短篇小説の解剖』がこのほどアメリカで刊行された(Yuri Leving ed., Anatomy of a Short Story: Nabokov’s Puzzles, Codes, ‘Signs and Symbols' )。タイトルのAnatomyは、ノースロップ・フライの『批評の解剖』Anatomy of Criticism を踏まえたものだろう(フライの本家はロバート・バートンの『憂鬱の解剖』)。
 こうした本は、おそらくアメリカでも異例のことではないかと思われる。たとえば日本でいえば、三島由紀夫の「仲間」の読解をめぐって大勢の筆者が寄稿した400ページ近い本といった感じだろうか*2。いずれにせよ「暗号と象徴」は「フィアルタの春」と並んでナボコフの短篇小説のマスターピースと目される小説で、『短篇小説の解剖』はその魅力を多面的に解き明かそうと試みている。
 

 「言語強迫症」Referential maniaとは、「身のまわりに起こっていることすべてが自分個人の存在に対する暗号めいた言及だと思い込む」妄想で、空の雲も木々も小石も滲みも日陰も、ようするに森羅万象が彼にかんする情報を暗号でやり取りしていると彼は思い込んでいる。小説のなかではハーマン・ブリンクなる人物が論文のなかで使ったとされているが、ナボコフはホワイト女史への手紙に、ハーマン・ブリンクは架空の人物で、「言語強迫症」は「被害妄想の一種」で、自分が命名したものだと書いている(1947年7月6日付)。
 先にこの物語の概要を「おおざっぱ」に記したけれども、むろんこの短篇の魅力はそうした概要にあるわけではない。たとえば、夫婦が誕生日祝いの「すべて種類の違うフルーツ・ゼリー十個入りのバスケット」を持って息子に会いに行く場面――往きの地下鉄では、途中で電車が故障でストップし(「列車は二つの駅のあいだで命の流れが切れてしまい」)、次に乗ったバスでは騒がしい高校生たちでぎゅうぎゅう詰めになる。そして、息子が何度目かの自殺を図ったと言われて面会できず、贈り物を持ったまま、すごすごと帰ってくる場面――雨に降られてバス停までたどり着くと、「数フィート先の、風になびいて雫を垂らしている木の下で、まだ羽の生えそろっていない小さな死にかけの小鳥が一羽、水たまりの中でぴくぴくもがいて」いるのを見つける。ふたりは疲れきって地下鉄の駅まで一言も会話をかわさない。


 「夫の年老いた手(ふくれあがった血管、茶色いしみだらけの皮膚)が、傘の柄のところで握りしめられたり痙攣したりするのを目にするたびに、彼女は涙がこみあげてきそうになるのを感じた。気を紛らそうとあたりを見まわすと、乗客の一人で、足の指にだらしなく赤いマニキュアをした黒髪の娘が、年配の女の肩にもたれて泣いているのに気がついて、かすかなショックを受け、同情と驚きの入り混じった感情を覚えた。」


 こうしたディテールのつらなりこそがこの小説の、というよりナボコフのすべての小説の要なのだが、のちに「ヴェイン姉妹」を「ニューヨーカー」に没にされた際、ナボコフは「私の物語はすべて文体の織物(ウェッブ)であり、一瞥したくらいでは、ダイナミックな内容をたいして含んでいるようには見えません。(略)私にとっては「文体」こそ内容なのです」(1951年3月17日付)とホワイト女史に手紙を書き送っている。同じ手紙のなかで「暗号と象徴」についても次のような言及がある。


 「私が今考えている物語の大半は、この方向で、つまり表面の半透明のストーリーのなかに、あるいはその背後に二番目の(主要な)ストーリーを織り込むという方法に従って作られることになります(過去にもこのような物語を何篇か書いています――こういった「内部」を持った物語を、実のところ貴社はすでに掲載しています――年老いたユダヤ人夫婦と彼らの病んだ息子の話です)。」*3


 ホワイトはナボコフの手紙に対し、文体の織物はけっこうだが、文体と内容とが合っていないと読者は織物(ウェッブ=蜘蛛の巣)に囚われて蠅のように死んでしまう、と返信した。ホワイト女史は、「暗号と象徴」は気に入ったが「ヴェイン姉妹」は気に入らなかった。そこには「ニューヨーカー」という雑誌の性格が関わってくるのだが、それについては後述する(「ヴェイン姉妹」はのちに「ハドソン・レヴュー」に掲載された)。
 ナボコフがこの手紙に書いている「半透明のストーリー」とは、先に「おおざっぱ」に記した概要で、「半透明」とはオープンエンディングの結末などを指すのだろう。ではそのストーリーのなかに、あるいはその背後にあるもう一つの「(主要な)ストーリー」とは何か。むろん、それをめぐって400頁にも及ぶ研究書が書かれたわけだが、老夫婦の身のまわりに起こる不吉な出来事もまた、一種の「暗号めいた言及」であるのかもしれない。仮にそうだとするなら、とブライアン・ボイドはナボコフの伝記で書いている。「電話のコールは少年がついに自殺したことを告げ知らせるものなのだろう」*4と。


 さて、「時間と引潮」にかんするナボコフとホワイトとのやりとりは、こののちに起こることを象徴している、とオルガ・ヴォローニナは『短篇小説の解剖』に書いている(「『暗号と象徴』にかんするナボコフと『ニューヨーカー』との手紙」)*5レイモンド・カーヴァーの作品がクノップフの担当編集者ゴードン・リッシュによって大きな変更を強いられたことはよく知られている。ナボコフはすでに名声を得てはいたが、アメリカの、とりわけ「ニューヨーカー」の読者には馴染みのない作家であり、ホワイトが読者に受け入れられやすいように変更を求めることは当然でもあった。だが「文体」こそ内容なのだというナボコフにとって、語句の一々に干渉されることは我慢ならなかった。「ナボコフとホワイトとの間に生じた誤解の真の核心は、ナボコフの作品の読者像の違いだった」とヴォローニナはいう。


 「「ニューヨーカー」は、ある程度の教養があり、”熱烈な”から”それほどでもない”までの幅広い範囲の文学的関心をもつミドルクラスに属する「平均的な」読者を想定していた。ナボコフにとっては、そういう読者はいないも同然だった。「ニューヨーカー」の頁の後ろに潜んでいるまぬけや俗物を想定するのはやめてくれ、とナボコフは編集者に言い続けたが、ホワイトは受けつけなかった。」


 だが、ホワイトがナボコフの文学を理解しない独断的な編集者であったというわけではない。タイトルの「暗号と象徴」Signs and Symbolsを「象徴と暗号」Symbols and Signsにせよといった意味不明な変更要請もあったが、共同作業をするうちにナボコフはホワイトの判断を高く評価し、彼女の「要点を理解する迅速さ」に感謝する手紙を送りもした(1948年3月29日付)。ナボコフとホワイトとの共同作業はわずか五年間にすぎなかったが、二人がやり取りした手紙は「彼女の的確さとほとんど母性的といってもいい注意深い観察力を明かしている」とヴォローニナは書いている。「そしてまた、ナボコフの編集者へのたしかな感謝の思いもまた伝えている」と。
 『短篇小説の解剖』の「あとがき」として、ジョン・バンヴィルは「いちばん悲痛な物語」を寄せている。
 バンヴィルは「暗号と象徴」を「ナボコフがかつて書いた作品のなかでいちばん悲痛な物語である」という。「かれの書く物語すべてに、和らぐことのない慢性の歯痛のように脈打つ悲しみが底流している」。ナボコフロシア革命によって「無国籍で貧しい亡命者の世界への放浪」に送り出されたが、その体験が年老いたユダヤ人夫婦を描くのに大いに役立ったと述べる。


 「わたしたちはナボコフの作品の透き通った表面の背後に、ある解決しがたい感覚をいつも抱いてきた。それが何かはわからないが、“なにかが起こっている”ことに気づかされ、それを感嘆して眺めるといった感覚である。その不可思議な性質は、彼の作品に充満している。視えない、いたずら好きで、おせっかいな神がここにいる。「暗号と象徴」においてもっとも不穏で含みがあるのは、おそらく息子が完全に発狂しているのでないことだ。そしておそらく、精神錯乱と思われる孤独のなかで、彼は、「すべてが暗号であり、そのテーマはすべて自分なのだ」という単純な事実を認識した。同様のことはわれわれすべてにとっても真実であり、あたかもわれわれとは無関係であるかのように世界をやり過ごす代わりに、われわれは「つねに警戒を怠らず、人生の一瞬一片にいたるまで、ひたすら物の蠢きを解読し」なければならない。すなわち、リルケが「ドゥイノの悲歌」で、もっとひそやかに詠ったように。


  ……この地上に存在するすべてのものが、われわれ人間を必要としているらしく思えるからだ。これらのうつろいやすいものたちが、ふしぎにわれわれにかかわってくる、ありとあらゆるもののうちで最もうつろいやすいわれわれに*6。」


 [注] なお、「暗号と象徴」及びナボコフの書簡に関して、邦訳のあるものはそれに従った。

ナボコフ全短篇

ナボコフ全短篇

Anatomy of a Short Story: Nabokov's Puzzles, Codes,

Anatomy of a Short Story: Nabokov's Puzzles, Codes, "Signs and Symbols"

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*1:ナボコフ書簡集1』(みすず書房、2000年)では1944年9月28日の日付になっている(p.53)。ここではAnatomy of a Short Story所収のOlga Voronina,Vladimir Nabokov’s correspondence with The New Yorker regarding “Signs and Symbols,”1946-8 の記述に従う。ちなみに、ナボコフの詳細な伝記を著したブライアン・ボイドは、ナボコフが手紙に付した日付はまるで当てにならないと述べている(『ナボコフ=ウィルソン往復書簡集』[作品社]の編集ノート)。

*2:三島由紀夫の「仲間」は東雅夫編のアンソロジー『地と薔薇の誘う夜に 吸血鬼ホラー傑作選』(角川ホラー文庫)に収録されているように、いまではヴァンパイア一族を描いたものと読むのが定説となっているようだが、このたび東雅夫氏の編集で出た労作『幻想文学講義』を拾い読みしていて、「暗号と象徴」も一種の幻想小説というべきかもしれないと思った

*3:ナボコフ書簡集1』みすず書房、2000年、p.112

*4:Brian Boyd, Vladimir Nabokov: The American years, Princeton University Press, 1991,p.119

*5:Olga Voronina,Vladimir Nabokov’s correspondence with The New Yorker regarding “Signs and Symbols,”1946-8

*6:リルケ手塚富雄訳『ドゥイノの悲歌』岩波文庫、1957年