新しい文学、新しい政治



 頃日、文体について書き継ぐためにあれこれと本を読み漁っているのだが、いささかというより相当大きなテーマなのでなかなか先が見えてこない。というわけで今回はちょっと別のことについて書いてみたい。
 過日(11月18日)朝日新聞一面トップに日本維新の会と太陽の党の合併の記事が出ていた。石原慎太郎東京都知事が代表に就任し、橋下徹大阪市長が代表代行となった。新党の党名は日本維新の会で、太陽が維新に合流した形。太陽はあっという間に消滅、日は昇り、日は沈む。
 誘蛾灯におびき寄せられる蛾のように世の中は悪い方へ悪い方へと進みつつある。今回の出来事はわたしにはその象徴の一つのように思えるのだが、これを停滞し閉塞した政治状況に吹き込む新しい風のように考える人もいるのだろうか。会見で橋下氏はこう発言したそうだ。「食べ物から趣味嗜好から好きな女性のタイプまで全部一致させるのは北朝鮮だ」。やれやれ。まるで小学生が口をとんがらせて言い返してるみたいだね。
 ちなみに二面の解説記事にこんな文面があった。「(石原氏は)小説「太陽の季節」で芥川賞を受賞して作家としての頂点を極めた」。芥川賞は文壇の新人賞である。たぶん政治部の記者であろう筆者の無知は致し方ないとしても、この新聞社には校閲部がないのかね。何から何まで真っ暗闇よ、筋の通らぬことばかり、と歌った鶴田浩二を思い出す。


 新しい風。新しい波。ニュークリティシズム。ヌーボーロマン。アールヌーボー。既成の価値観を顛倒しようとする企てにはつねに「新しさ」が求められる。新しさはやがてたんに新しいということだけで一つの価値と見なされる。
 過日、古本屋の店頭で投げ売りの古い雑誌を買った。十五年以上前の「三田文学」。巻頭に「復刊十周年記念講演」と銘打って江藤淳古井由吉の講演録が掲載されている。江藤淳はさておき、古井由吉の「『内向の世代』のひとたち」と題された講演にいささか興をおぼえた。以下はその講演の概要である。
 1970年のこと。河出の雑誌「文藝」で、阿部昭坂上弘黒井千次後藤明生、それに古井由吉とで座談会をおこなった。いずれもデビューして間もないかあるいは小説家としてようやく認められはじめた新人だが、そろって三十過ぎ、妻子もある「おじさん」である。「セコハン新人」と呼ばれたと古井さんは自嘲する。だが、文芸ジャーナリズムとしては「新しい文学の出現」と銘打ちたい。司会の寺田博編集長がしきりに煽るのだが、かれらは一向に乗ってこない。社会人としてはそれなりのキャリアがあるしもう若くもない。「自分の表現をできるだけ緻密に追求したいけど、もう新しいとか、そういうような心境じゃないんだ」、かれらは口には出さないがそういう思いをかかえていた。つまりは「新しい文学」などと言われるとだれもが面映ゆいと感じていたのだろう。
 その半年後、同じメンバーでまた座談会がおこなわれた。古井由吉はこう語っている。


 《(座談会の後で)お酒を飲んでいるときに、阿部昭が僕に対してこういった。「古井ね、おれたちはしょせん新しい文学なんだよな」と。(中略)阿部は新しいことというのを一番強く拒んだ方なんです。その男がふとそんな言葉を漏らした。ここにどうも、「内向の世代」という存在の大事な何かがあるんじゃないか。》


 「しょせん新しい文学なんだよな」。じゃあ旧套を墨守した文学なのかといえば、そうではない。そうではないが、新奇さを売り物にしているわけじゃないんだ、と、そう言いたい気持ちをのみ込んで嘆息する。やれやれ、おれたちはしょせん新しい文学なんだよな。
 ここでは「新しい文学」も「新しさ」も手垢にまみれたイメージにすぎない。新しさとは新しさという既成のイメージにほどよくおさまるものではない。真の新しさは不意打ちのように登場し、新しいという命名はつねに遅れてやってくる。
 石原慎太郎が大学在学中に芥川賞を受賞した「太陽の季節」はまぎれもなく「新しい文学」だった。そして八十歳のいま新しい党を結成して一国の宰相をめざすという。石原慎太郎阿部昭の述懐をついに理解しないだろう。おれたちはしょせん新しい党なんだよな、と間違ってもいわないだろう。ちなみに石原慎太郎は「内向の世代」の作家たちとまったくの同世代である。