Memorandum




某月某日
 ――1947年の夏、ひとりの無名の若者がNYからヒッチハイクマサチューセッツに住む劇作家テネシー・ウィリアムズの家に向かった。若者はウィリアムズ家に着くと、うちじゅうの電気や水道の故障を手際よく修繕したのち、おもむろにリビングでコワルスキー役の台詞を読みはじめた。30秒も経たないうちにテネシーは手をふって「上等、上等」と言い、若者を帰した。その年の12月、ブロードウェイで上演された『欲望という名の電車』で若者マーロン・ブランドが演じたコワルスキーを見て、芝居から足を洗った俳優が何人もいたという。
 デヴィッド・ギルモア『父と息子のフィルム・クラブ』(高見浩訳、新潮社、2012)のなかで映画評論家の「父」が息子に語るエピソード。《「『欲望という名の電車』はね」と、私はジェシーに説明した。「いってみれば、壜に閉じ込められていた精霊を解き放ったような芝居だったんだね。それを境にアメリカの舞台劇の演技スタイルは一変してしまったんだから」》


某月某日
 BSで森谷司郎監督『赤頭巾ちゃん気をつけて』を見る。何十年ぶりか。むかし見たときとおなじく、薫くんの兄貴を演じた中尾彬に魅了される。政治思想史を教える大学教授(丸山真男がモデル)と路上を歩きながら、夜のバーで酒を酌み交しながら、談笑する数分のカットバックだけで、彼がいかに優秀で魅力的な人物であるかが伝わる。『父と息子のフィルム・クラブ』の分類でいえば「静かな演技がすごい」の一例。
 薫くんの家へやってきて桜餅を10個ぐらいむしゃむしゃ食い、帰り際に「おまえはインチキな奴だ」と捨て台詞を放つ友人の挿話は太宰治の「親友交歓」が元ネタか。


某月某日
 森光子が亡くなったとき、マスメディアの多くが「大女優」と称しているのに違和感をもった。国民栄誉賞を受賞したせいだろうが、「大女優」ではないよねえ、と思うのはわたしだけか。むかしある映画会社のエレベーターに森光子と乗り合わせたことがある。和服を召された小柄な森さんの雪のようなうなじの白さが印象的だった。


某月某日
 井上雪子さんが亡くなった(今月19日)。享年97。朝日新聞に小さな死亡記事が出ていた。小津安二郎の『春は御婦人から』『美人哀愁』などに主演したが、いずれもフィルムは現存しない。小津さんはこのオランダ人を父にもつハーフの美人女優にぞっこんで、『美人哀愁』では彼女をえんえんと映しつづけ3時間半の長尺になった。蓮實重彦さんが近所に住む彼女にインタビューをおこなったのはちょうど30年前のことだ。「小津先生は、すごく私のおでこが気に入って下さいましてね」と井上雪子は語っている。『美人哀愁』の彼女は当時まだ15、6だった。


某月某日
 オルダス・ハクスリーの『いくたびか夏過ぎて』After Many a Summer の翻訳が出た。クリストファー・イシャーウッドの原作をトム・フォードが映画化した『シングルマン』のなかで主人公の大学教授(コリン・ファース)が学生に読ませていたのがこの小説。ハクスリーはテニスンの詩「ティソウナス」の一節からタイトルを借用した。
 「鬱蒼たる巨木の森も、時が到れば朽ちて倒れます。/雲や霧は、その重荷の水分を泣いて大地に降らせます。/人間はこの世に到り、土地を耕し、やがて地中に眠ります。/幾年月の後には、長寿の白鳥さえも死に果てるのです(And after many a summer dies the swan)。」(西前美巳編『対訳テニスン詩集』岩波文庫
 田村隆一に「いくたびか夏過ぎて」の詩があり、アメリカ文学者の福田陸太郎に同題のエッセイ集がある。このたび出た邦訳は高橋衛右訳『夏幾度も巡り来て後に』。版元が近代文藝社なので読むのをためらっているのだが。

父と息子のフィルム・クラブ

父と息子のフィルム・クラブ

夏幾度も巡り来て後に AFTER MANY A SUMMER

夏幾度も巡り来て後に AFTER MANY A SUMMER