『雪国』裏ヴァージョン――川端康成『雪国』について(その3)

 

 前述の水村美苗の「ノーベル文学賞と『いい女』」というエッセイには、『雪国』の英訳に関してもう1ヶ所、興味深い指摘があった。島村が駒子に「君はいい子だね」といい、それが「君はいい女だね」という言い方に変わる場面である。ざっとおさらいしておこう。新潮文庫では145頁。

 宿で、冷酒で悪酔いした島村を小さな子を抱くように介抱する駒子。島村はおさなごのように安心して駒子の熱い体に身をまかせたというから、添い寝でもしていたのだろうか。「君はいい子だね」島村はぽつりという。「どこがいいの?」と問う駒子に「いい子だよ」と繰り返す島村。要領を得ない言葉に駒子は「そう? いやな人ね。しっかりして頂戴」と取り繕いながら、ふと合点がいったかのように含み笑いをしながら、借着してお座敷に出るような私のどこがいい子なのよと混ぜ返す。さらに、初めて会った時に、島村が自分に芸者の世話をさせようとしたことまで言い募る。島村は、最初の駒子との出会いから馴染みになるまでのゆくたてを振り返ってでもいたのか、「一人の女の生きる感じが温く伝わって」きて、「君はいい女だね」という。「どういいの」という問いにも「いい女だよ」と繰り返すだけだ。「おかしなひと」と駒子は怪訝そうにしていたが、一転して何かに気づいたように「それどういう意味? ねえ、なんのこと?」と突然激して島村を詰問する。

「言って頂戴。それで通ってらしたの? あんた私を笑ってたのね。やっぱり笑ってらしたのね。」

 真赤になって島村を睨みつけながら詰問するうちに、駒子の肩は激しい怒りに顫えて来て、すうっと青ざめると、涙をぽろぽろ落した。

 (略)

 島村は駒子の聞きちがいに思いあたると、はっと胸を突かれたけれど、目を閉じて黙っていた。

「悲しいわ。」

 駒子はひとりごとのように呟いて、胴を円く縮める形に突っ伏した。

「あんた私を笑ってたのね」という言葉は前にも聞いた覚えがある。そう、初めて「あんなこと」があった後のことである。「心の底で笑ってるでしょう。今笑ってなくっても、きっと後で笑うわ」と駒子はむせび泣いたのだった。あの時からずっと島村は笑っていたのだと思い、「くやしい、ああっ、くやしい」と泣きじゃくる駒子。

 英訳では「君はいい子だね」は’You’re a good girl.’ 「君はいい女だね」は’You’re a good woman.’となっている。水村美苗はくだんのエッセイで、You’re a good girl.は問題ないが、You’re a good woman.は「君は正しい人だね」あるいは「あなたは正しい人です」というニュアンスになるという。つまり倫理的な意味での「善き人」を表す。したがって、You’re good.とでもすれば、「You’re good girl in bed」というニュアンスをもちえたかもしれない、と水村はいう。

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 だが、仮に島村が’You’re a good woman.’ではなく、’You’re good girl in bed.’という意味で’You’re good.’といったとしたら、駒子はどう聞きちがえたことになるのだろうか。’You’re good girl in bed.’といわれたと思い、激昂したのではなかったか。さらにいえば、駒子が怒ったのは、たんに性的存在として見られたというだけではなく、「都合のいい女」と思われた、と思ったからだろう。金銭づくではないけれど、不見転芸者と同列に見られていた、駒子にはそれが口惜しかった。

「私はそういう女じゃない」、それが駒子の自恃なのだ。島村はそういうつもりで言ったのではなかったが、駒子の「聞きちがい」は故なきことではないのだと「心疚しいものがあった」。駒子に「それで通ってらしたの?」と問われれば、そうではないと言い切れない。だから疚しいのだ(サイデンステッカーは英訳の序文に「彼が何気なく“いい女だよ”とことばを変えた時、彼女は今まで利用されていた自分に気がつく」と書いている。角川文庫版『雪国』に収録)。

 島村はどう思っているか知らないが、私は島村を愛している。その愛がまったくの一人芝居だったのが悲しい。駒子は銀の簪を「ぷすりぷすり」と畳に突き刺しなどしていたが、ふいに部屋を出ると、思い直したのかすぐに戻ってきて島村を湯に誘った。

 翌朝、客の謡の声で島村が目を覚ますと、鏡台の前にいた駒子が立ち上がってさっと障子を開ける。

 窓で区切られた灰色の空から大きい牡丹雪がほうっとこちらへ浮び流れて来る。なんだか静かな嘘のようだった。島村は寝足りぬ虚しさで眺めていた。

 謡の人々は鼓も打っていた。

 島村は去年の暮のあの朝雪の鏡を思い出して鏡台の方を見ると、鏡のなかでは牡丹雪の冷たい花びらが尚大きく浮び、襟を開いて首を拭いている駒子のまわりに、白い線を漂わした。

 前回の末尾に書いた場面に照応する美しいシーンだ。そして、続けて、

 駒子の肌は洗い立てのように清潔で、島村のふとした言葉もあんな風に聞きちがえねばならぬ女とは到底思えないところに、反って逆らい難い悲しみがあるかと見えた。

 そういう女じゃないはずの駒子が温泉芸者に身を落している。肌の清潔さがよりいっそう駒子の悲しみを表しているかのようだった。

 この場面が『雪国』初版のラストシーンである。文庫本では2行空けて、新たに書き加えられたシークェンスが続き、繭蔵の火事の場面で幕を閉じる。これが『雪国』現行版となる。

 ここで、前述したBSドラマ版『雪国』について述べておこう。

 ドラマ版では島村が視点人物となり、彼のモノローグで物語が進行してゆくため、駒子の内面はうかがい知れない。それだけいっそうミステリアスな存在として印象づけられるのだが、ドラマでは原作のラストシーンである繭蔵での火事のあと視点人物が入れ替り、冒頭の場面にまで戻って駒子の日記(原作には文面は出てこない)をなぞりながら駒子のモノローグによって内面を明かしてゆく。ミステリーの謎が解き明かされるように、あるいは伏線が回収されるように*1

「私はそういう女じゃない」も「私が悪いんじゃないわよ。あんたが悪いのよ。あんたが負けたのよ。あんたが弱いのよ。私じゃないのよ」も「あんた、心の底で笑ってるでしょ」も、島村に対してではなく(心のなかで)行男に向けて発した言葉とされる。大胆でチャレンジングな解釈である。ドラマ版『雪国』は、制作者たちが小説『雪国』をどう読んだかという、ひとつの目覚ましい回答である。

 病気になった行男の療養費を稼ぐために芸者になったという噂を、「いやらしい、そんな新派芝居みたいなこと」と駒子は否定してみせたが、このドラマ版『雪国』は駒子と行男の秘められた純愛がテーマのまさに新派芝居となり、駒子の「悲しみ」はせつないまでに際立つ。駒子のモノローグで語られる物語は『雪国』のエモーショナルな裏ヴァージョンであり、実をいえばわたしは新派芝居が嫌いではない。

 駒子はいとまを告げる時でも決してその場を去ろうとはしない、とドナルド・キーンがどこかで書いていた。行動は口にした言葉を裏切り、言葉は感情と背馳する。

 川端がこの小説で行間に埋め込んだものはなにか。それは書かないということでその存在をより強く露わにするなにものかだ。レティサンス(闕語法)のお手本というべきだろう。読み込めば読み込むほどほんとうの姿が徐々に表れてくる、それが『雪国』だ。奥深い小説だと思った。

                               ――この項了

BSNHK『雪国』より

 

*1:駒子と葉子との関係も明瞭になるし、駒子が芸者に出るまえの本名も明かされる。また、島村と駒子が再会した宿で、駒子が島村の逗留をあらかじめ知っていたように見えるのは、行男を迎えに行った駅で島村の姿を認めたからだとされる。ちなみに脚本の藤本有紀は、NHKの『カムカムエヴリバディ』の脚本の「怒濤の伏線回収」で話題になっているらしい。見てませんけど。

black and white in the mirror――川端康成『雪国』について(その2)

 

 前回、島村と駒子の「あんなこと」について、思わず筆を費やしてしまった。しかし、ことはまだ終わっていない。肝心の「あんなこと」が小説でどう描かれているのかについて、ふれておかねばならない。

 呼び寄せた芸者と一緒に部屋を出た島村は、芸者を置き去りにしてひとりで裏山に登っていった。そして、山から下りてきたところで、くだんの二羽の蝶がもつれ合いながら飛び立つのだが、そこへ島村を探しに駒子がやってくる。島村は駒子にむかって、芸者は「止めたよ」と告げる。君に見劣りしないぐらいの女でないとその気にならないからねといったふうなことを言うと、駒子は「知らないわ」とそっけなく言いはしたものの内心悪い気はせず、「芸者を呼ぶ前とは全く別な感情が二人の間に通っていた」という成り行きとなる。「芸者を呼ぶ前」は一種のfriendshipの関係だったのが、芸者という性的存在が絡むことによって二人の関係が新たなステージに更新され、そこに性的な意味合いを帯びることになったのである。「はじめからただこの女がほしいだけだ、それを例によって遠廻りしていたのだ」と島村は気づく。そういう目で見ると女は「よけい美しく見えて」くるのだが、駒子を観察する島村の目は、いきおい官能的とならざるをえない。

 細く高い鼻が少し寂しいけれども、その下に小さくつぼんだ脣はまことに美しい蛭の輪のように伸び縮みがなめらかで、黙っている時も動いているかのような感じだから、もし皺があったり色が悪かったりすると、不潔に見えるはずだが、そうではなく濡れ光っていた。

 この駒子の口唇の描写は言うまでもなくvaginaの暗喩にほかならない。つまり、性的存在として駒子を見る島村の視線を川端の描写はなぞっているのである(駒子の口唇の描写はあとでもう一度出てくる。そしてそれはいっそう官能的な描写となり、「彼女の体の魅力そっくりであった」と語られる(むろん、体を重ねたのちのことである)。

 そしてその夜、駒子はなじみのスキー客に安酒をしこたま飲まされて、泥酔状態で島村の部屋へやってくる。「島村さあん、島村さあん」と声高に叫ぶ駒子の声は「それはもうまぎれもなく女の裸の心が自分の男を呼ぶ声であった」のだから先は知れている。「いけない。いけないの。お友達でいようって、あなたがおっしゃったじゃないの」「私はなんにも惜しいものはないのよ。決して惜しいんじゃないのよ。だけど、そういう女じゃない。私はそういう女じゃないの」と口では拒みつつ、それとは裏腹に駒子はからだを開いてゆく。

 酔いで半ば痺れていた。

「私が悪いんじゃないわよ。あんたが悪いのよ。あんたが負けたのよ。あんたが弱いのよ。私じゃないのよ。」などと口走りながら、よろこびにさからうためにそでをかんでいた。

 英訳ではこのあと1行ブランクが入る。それは女の放心状態を表すいかにも妥当な処置ながら、原文では空きはなく、「しばらく気が抜けたみたいに静か」だった駒子が、ふと我に返ったかのように「あんた、笑ってるわね」「今笑ってなくっても、きっと後で笑うわ」とむせび泣く。ここでも、袖を嚙むという動作で駒子の性的恍惚(trance)が暗示されるのみで、幼年の読者ならおそらくここも読み飛ばしてしまっただろう。島村は翌日、東京へ帰る。これが駒子との最初の出会いだった。

 ふたりが再会して、島村が例の人差し指を駒子に突きつけた夜、ふたりは一緒に湯に浸かり、島村の部屋で褥をともにするのだが、その場面も前に劣らずさらに「ぼかして暗示的に表現」される。

 部屋に戻ってから、女は横にした首を軽く浮かして鬢を小指で持ち上げながら、

「悲しいわ。」とただひとこと言っただけであった。

 女が黒い眼を半ば開いているのかと、近々のぞきこんでみると、それは睫毛であった。

 神経質な女は一睡もしなかった。

 固い女帯をしごく音で、島村は目が覚めたらしかった。

 ぼかしすぎでしょ。

 駒子が部屋に戻ると、もう蒲団のなかに身を横たえている。枕から浮かした日本髪の鬢を小指で持ち上げるというのは、鬢のほつれを小指で搔き揚げる仕種にほかならず、ということはすでに事は終わったあと、ということになる。

 和泉式部の和歌、

黒髪の乱れも知らずうち臥せばまづかきやりし人ぞ恋しき

を思わせる。

 そして「悲しいわ」とひと言漏らすまでが一文なのだから、この文章の凝縮力にはただならぬものがある。この「悲しいわ」という言葉もきわめてambiguousで、なぜ悲しいのか駒子自身にさえそのわけは確かではなかっただろう。

 ちなみに、「黒髪の乱れ」は女の乱れる恋心の暗喩にほかならず、「黒髪」は日本文学の伝統における必須アイテムである。川端もこの作品において駒子の黒髪、髪の黒さを執拗に描写しており(駒子が長唄の「黒髪」を口ずさむ場面もある)、『雪国』を「黒髪の小説」として主題論的に分析することも可能だろう(もう誰かがやってるでしょうね)。

 明け方、宿の人がまだ起きないうちに帰ろうと駒子は身支度をはじめる。鏡台に向かう駒子。窓外の雪が鏡の奥で真白に光り、雪のなかに真赤な頰を浮べた駒子の「なんともいえぬ清潔な美しさ」に島村は見とれる(島村は鏡に映る駒子を、汽車の窓硝子に映っていた葉子と重ね合わせている)。

 もう日が昇るのか、鏡の雪は冷たく燃えるような輝きを増して来た。それにつれて雪に浮ぶ女の髪も鮮やかな紫光りの黒を強めた。

 日の光りに輝いて目に痛いばかりの白い雪と底光りするような漆黒の髪との鮮やかな対比。それが鏡という縦長のスクリーンのなかでゆるやかに変化してゆくという幻想的で美しいシーン。川端会心の描写だろう。

                             ――この項つづく

豊田四郎監督『雪国』より

 

「あんなこと」や「こんなこと」――川端康成『雪国』について

 

 今年は川端康成の没後50年にあたる。そのせいか、NHKBSプレミアムで『雪国―SNOW COUNTRY―』が放送された(4月16日)。脚本藤本有紀、演出渡辺一貴、主なキャストは駒子が奈緒、島村が高橋一生、葉子が森田望智。奈緒の演ずる駒子は、「清潔な」と称されるとおりの透き通った表情で、雪景色のなかにひっそりと佇む姿は儚げで息を呑むほど美しい。いまどきの女優さんにはめずらしい雰囲気がある。

 冒頭、汽車に乗った島村が温気にくもる窓ガラス越しに葉子を認める場面。蒸気機関車の汽笛の効果音が入る。だが実際は、国境の長い(清水)トンネルを越えるには、煙の出るSLではなく電気機関車が用いられたといわれる(2つの映画版でも汽笛が鳴っていたが、これはもう定番か)。ちなみに、このBSドラマ版では島村のモノローグ(ナレーション)で物語が語られるが、冒頭では「国境(こっきょう)の長いトンネルを抜けると」と発音され、ラストで再度繰り返される際には「国境(くにざかい)の長いトンネルを抜けると」と発音されていた。「国境」の読み方には周知のように従来から議論があり、ここでは折衷案を取ったというところか。大庭秀雄監督『雪国』の予告編をYouTubeで見ると、「くにざかい」と発音していた。

 さて、今回のドラマ版は、島村のモノローグで物語が進行するため、駒子の内面は雪のヴェールに包まれたようにミステリアスだ。しかし、そのもどかしさに応えるかのように、ドラマは後半にちょっとした仕掛けを施し、駒子の内面を明らかにしてみせる。それについては後述するが、ドラマ版を見た余勢を駆って映画版の『雪国』を観る。豊田四郎監督の1957年の名作。岸恵子の駒子に魅了される。指先の、髪の毛の、一本一本までコケティッシュだ。その色香はときに妖艶ささえ感じさせる。八千草薫の葉子は対照的に清楚で、この世のものと思えぬほど神々しい。島村役の池部良岸恵子カップルに小津安二郎の『早春』が重なる。『早春』は『雪国』の前年、1956年公開だから、『雪国』のカップルに『早春』がなんらかの影を落としていたかもしれない。観客は当然二作を重ね合わせて観ただろう。

 続けて、小説『雪国』を読む。以前、再読しようと購入してそのままになっていた新潮文庫版である。中央公論社版の全集「日本の文学」で読んだ中学生以来の再読になるか。この小説は、徹頭徹尾、おとなの男と女の話であって、加うるに仄めかしと大胆な省略で読者を眩暈する。当時なにをどう読んだものやら覚束ないが、所詮中学生にこの小説がわかるわけがない。再読してそう思った。

 たとえば冒頭、島村が温泉宿の廊下で駒子と再会する場面。文庫版では16頁。

あんなことがあったのに、手紙も出さず、会いにも来ず、踊の型の本など送るという約束も果さず、女からすれば笑って忘れられたとしか思えないだろうから、先ず島村の方から詫びかいいわけを言わねばならない順序だったが(後略)

 なんの説明もなく突然「あんなこと」と書かれているので、読者は読み飛ばしてしまいかねないところだ。文庫版には以下のような「注解」が附されている。筆者は郡司勝義氏。

*あんなこと 著者は性にかかわる場面は、すべて直接に表現せず、ぼかして暗示的に表現をなしている。それが、一層深い含みをもたらしてくる。

 少し前の場面からたどってみよう。

 島村は、駅の待合室で青いマントを着て頭巾を被った女を見かけてはいたが、それが前に会った駒子だとは思わなかった。宿に着き、湯から上がって部屋に戻ろうとしたときに、長い廊下のはずれの帳場の曲がり角に、お引き摺りと呼ばれる裾の長い着物を着て立っている駒子がいた。小説では「女が高く立っていた」と書かれており、それを生かすためだろうか、BSドラマ版では階段を上りきった二階の踊り場で島村に背を向けて立っている駒子を仰角でとらえる。映画では、原作通り、駒子は長い廊下のはずれに背を向けて立っており、島村の存在を背中で感じるとくるっと振り返りわずかに微笑んでみせる。その駒子をカメラがズームしてバストショットでとらえる。駒子との再会がこのたびの逗留の目的でもあったのだから、島村は駒子の姿を見ても着物の長い裾から「とうとう芸者に出たのか」と思いはしても、出会ったことへの驚きはなかっただろう。いっぽう、駒子はといえば、島村がふたたび当地にやってきたことを知る由もないので、どこかで島村の姿を見かけたのか、あるいは宿の女中に教えられたのかもしれない。廊下での遭遇はむろん偶然ではなく、意図してのものだ(むしろ待ち伏せていたというべきか)。ふたりは「やあ」とも「おひさしぶり」ともいわず、示し合わせていたかのように黙って二階の部屋の方へと歩き出すのだから、ほとんど「道行」の場面といっていい。

 そして前述の「あんなことがあったのに…」に続くのだけれど、「あんなこと」といわれても中学生にはチンプンカンプンだったろう。島村はナシのつぶてにうち過ぎたことを後ろめたく思ってはいたが、駒子は「彼を責めるどころか、体いっぱいになつかしさを感じている」風情で、「なにか彼女に気押される甘い喜びにつつまれて」、つい調子に乗って「こいつが一番よく君を覚えていたよ」と人差指を女の目の前に突きつけるのだから、ただのエロおやじだというしかない。そう思いませんか? 駒子は「そう?」とさりげなさを装いながらその指を握ったまま階段をのぼり、部屋に入ったとたん「さっと首まで赤くなって」いるのだから、むろん、その人差指がなにを意味しているかは百も承知だ。

 小説の冒頭、汽車のなかで島村は退屈まぎれに人差指を動かしながら「結局この指だけが、これから会いに行く女をなまなましく覚えている」と思い、記憶のなかの女の姿はぼやけていても「この指だけは女の触感で今も濡れていて(略)鼻につけて匂いを嗅いでみたり」するのだから、「あんなこと」の正体は「こんなこと」かと大人にはわかるけれども中学生にはいささかハードルが高いだろう。文庫本には、「この表現は、きわめて触覚的で暗示的であり、肉感的な連想をさそう」と注記が施されているけれども、この注記じたいが「暗示的」で、性体験のない中学生にはもどかしさを感じるばかりだろう。

 以前ここで、水村美苗の「ノーベル文学賞と『いい女』」という、『雪国』の英訳について書かれたエッセイを紹介したことがある。

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 英訳者のエドワード・サイデンステッカーは『雪国』の「際どいエロティシズム」を中和するために、たとえばこの「鼻につけて匂いを嗅いでみたり」という「非常に強烈な文章」を省略している、と水村美苗が指摘していた(サイデン氏はhe brought the hand to his face,「手を顔に持っていった」と訳している)。むろん、その一種の「自己検閲」が川端のノーベル賞受賞に寄与したと水村は考えているのだろう。

 さすがに映画の池部良は人差指の匂いを嗅いだりといった品のない真似はしなかった。まさかね。第一、窓硝子の曇りを掌で拭うと向かいにいる八千草薫の姿がファンタスマゴリーのように現れる場面では、たしか手袋をしていたはずだ。

 それはさておき。小説では、この再会から一転して、ふたりが初めて会った場面へとプレイバックする。島村は宿の女中に芸者を呼んでくれと頼むが、生憎とみんな出払っていて、踊りの師匠のところにいる娘なら呼べるかもしれない、と女中はいう。やってきた女に、島村は不思議なほど「清潔な感じ」を受け、歌舞伎の話などを夢中でしゃべる女に「友情のようなもの」を感じる。翌日、再び訪れた女に、島村は芸者を世話してくれと頼む。よくそんなことを頼めるものだと憤慨する女に、君を友達だと思うから口説かないんだ、という島村。口説かないのはよしとしても、なぜ彼女に芸者の斡旋を頼んだのだろう。女を揶揄ってその反応を確かめてみたいとでも思ったのだろうか。これってセクハラだよねえ。「島村はこうなればもう男の厚かましさをさらけ出しているだけなのに」と書かれているので、自分でもその理不尽さ(セクハラ)を自覚してはいたのだろう。島村にすればとりあえず性欲を満たすための相手がほしかっただけで、目の前にいる女はまだ十代の素人で、身の上話を聞くとなにやら事情がありそうなので、そんな「身の上が曖昧な女の後腐れを嫌う」という気持ちもあって女に手を出さなかったのだが、それにしても彼女に芸者の斡旋を頼むのは筋違いというほかない。

 結局、女中が呼んで、やってきたのは人はよさそうだけれど「いかにも山里の芸者」といった、おそらく垢抜けない十七、八のお姉ちゃんだったので、すっかりやる気を失ってむっつりしていると、「女は気をきかせたつもりらしく黙って立ち上って行ってしまうと、一層座が白けて」、島村は芸者を帰すために郵便局に行こうと芸者と一緒に部屋を出るのだが、この箇所に附された注釈が不可解だ。

*黙って立ち上って 客つまり島村に気に入られないで、断わられたと、この女は判断したため。

 これではまるで立ち去ったのが芸者のようだ。駒子は島村と芸者をふたりにするために気をきかせて立ち去ったのだが、注釈者のカンチガイを誘発した原因のひとつに名前の表記がある。小説ではここまでずっと駒子を「女」と呼んでいた。島村が駒子に初めて会ったとき、彼女はまだ芸者ではなかった。そして再会したときもまだ島村は彼女の名前を知らない。島村が彼女の源氏名を知るのは、再会した翌日、文庫本でいえば49頁、「今朝になって宿の女中からその芸名を聞いた駒子もそこにいそうだと思うと」で、初めて「駒子」の名が登場する。小説は島村の視点に寄り添うように、それ以降「女」ではなく駒子と表記することになる。三人称で書かれた小説で、この律儀な書き分けは珍しい。ちなみに、映画には、再会したばかりの駒子に島村が「おい、駒子」と呼ぶ場面があるが、これはmistakeだろう。

 ともあれ、奥付を見ると、この文庫が最初に発行されたのは「昭和22年7月16日」となっている。郡司勝義氏の注釈は、おそらく「平成18年5月30日 132刷改版」からだろう。わたしがいま手にしているのは「平成24年12月20日 148刷」である。それ以降にこの注釈に訂正が施されているのかどうかはわからないが、少なくとも改版が発行されてから6年間は見過ごされてきたわけだ*1。ついでに書いておけば、芸者と一緒に部屋を出た島村が、芸者を残して裏山のほうへひとりで上ってゆくと、二羽の黄蝶が島村の足元から飛び立ち、「もつれ合いながら、やがて国境の山より高く、黄色が白くなってゆくにつれて、遥かだった」という箇所に附された注釈、

*蝶はもつれ合いながら この個所は駒子と島村との愛が破局に至るであろうことを暗示している。

 これは、角川文庫版『雪国』の澤野久雄の解説、

この小説の主人公は、山の宿で駒子に会うことを楽しみにしていながら、舞い上がる黄色い二匹の蝶に、いったい、何を見ているであろうか。「黄色が白くなってゆく」のは、やがては薄れるであろう愛の、はるかな予感であろうか。あるいは命の、薄れであろうか。

に示唆されてのことかも知れないが、注釈は批評や感想を述べる場所ではなく不適切だろう。

 澤野の解説文にしても、蝶が飛び立つのを島村が見たとはテキストのどこにも明示されていないのだから、こちらも不適切というしかなく、いわんや「薄れる愛の予感」だの「命の薄れであろうか」だのと感慨に耽っているのはみっともない。こうした埒もない「深読み」を誘発するのは川端の思わせぶりな書き方のせいであって、罪深い。

 こんな調子で小説を逐一辿っていると、BSドラマ版の「ちょっとした仕掛け」にまでなかなか到達しないが、長くなったのでこのあたりでいったん休止して、続きは後日にしよう。後日が数か月先にならないようにしたいものだ。

                           ――この項つづく

 

豊田四郎監督『雪国』より

 

*1:書店で確かめてみたら、「令和2年8月5日 157刷」でもこの注は健在だった。5月2日記

中野重治の電話

 

「七年前の春だったと思う、中野重治さんから手紙をいただいた」という書き出しでその文章は始まる。達筆にしるされたその名前は、すぐには「歌のわかれ」の作者とむすびつかなかった。なにごとかと訝しみつつ手紙を開いてみると、あなたの書いた小説「心中弁天島」を読みたいのだが、何年何月号であるのか御教示されたし、と書かれている。あの中野重治がなにゆえ一介の物書きの娯楽読み物に興味をもたれたのか、その故よしはわからぬものの「読んでいただけるなら、幸せこれに過ぐるはない」と感激した。

 学生時代、同居していた友人に詩人中野重治の存在を教えられ、貸本屋で『歌のわかれ』を借りて読んだ。大学に籍は置いていたものの、戦後の混乱のなかで寄る辺ない日々を過ごし、娑婆から遁走して坊主にでもなろうかと腐心していた頃だった。その本の印象は「一言でいうと清冽であった」。昭和二十九年暮のことだった。

 この文章の書き手はいうまでもなく野坂昭如なのだが、野坂は「心中弁天島」が収録されている刊行されたばかりの作品集(『軍歌・猥歌』か)ともう一冊を中野宅へ届けに押っ取り刀で参上した。同行した友人が玄関をあけると、中野重治本人がお出ましになり、「野坂の使いの者」だと告げると随分と驚いた。「あのおどろきようは、どうも野坂参三とまちがえたんじゃないだろうか」と友人は笑ったが、日本共産党の内部事情について疎い野坂昭如には要領を得ない受け答えだった。野坂はこの小文を次のように結んでいる。

 考えてみると、ぼくは中野重治さんについて、何も知らない、しかし、『歌のわかれ』は、なにものにもかえがたい、ぼくの青春の書であり、あの時期に、この小説とめぐりあえたことは、本当に幸せだったと思う。

 この短いエッセイは中公文庫の新刊、中野重治『歌のわかれ・五勺の酒』の巻末に収録されたものだ。

 来年2022年は中野重治の生誕120年であるという。帯に「生誕120年/文庫オリジナル」を謳い、「歌のわかれ」の末尾の一節から引用した「兇暴なものに立ち向かうために」のキャッチコピー。カバーはモホリ=ナジの抽象画。

 この文庫に収録された中野の小説は表題の二作のほかに「春さきの風」「村の家」「広重」「萩のもんかきや」その他、全九作品。巻頭に詩を一篇(「歌」)、それに中野自身の随筆四篇、さらに「解説」がわりに石井桃子安岡章太郎北杜夫野坂昭如らの中野について書かれたエッセイを収録するといった構成である。中野自身の小説にかんしては、いずれも「定番」といっていい作品で選定に新味はない。初めて中野の小説にふれる読者を想定しているのかもしれない。同様の文庫版アンソロジーであるちくま日本文学全集の『中野重治』の巻とは六作が重なっている。

 野坂ら四人のエッセイは、いずれも中野重治全集の月報に掲載されたものの再録である(安岡章太郎の文だけが定本版全集で、それ以外は新版全集かと思う)。北杜夫の文は以前読んだような気がするが、他はすべて初読である。あるいは一度読んだものの覚えていないだけなのかもしれない。わたしは中野重治全集全二十八巻(別巻一)のうち十五、六冊をもっているし(定本版と新版がまぜこぜだが)、単行本はたぶん二十冊ぐらいはもっている。さらに、旧版中野重治全集(四六判だった)の端本やら各種日本文学全集の中野の巻やら文庫版やらなにやらを合わせると五十冊はくだるまい。したがって、この中公文庫版に収録されている小説はすべて数種類の刊本でもっているのだけれど、それにもかかわらず、野坂のエッセイを読むためにだけでも本書を買ってよかったと思う。

 さて、わたしはかつて中野重治と、あるかなきかの些細な交流があった。そのことを「中野重治の電話」と題して書いたことがある。山田稔さんの『天野さんの傘』の刊行を記念して(そして、《「第5回かまくらブックフェスタ」への参加を記念して》)真治彩さんが作成された小冊子「感想文集『天野さんの傘』」に掲載されたものだ。「ぽかん」の別冊というべき同冊子は2015年の刊行で、すでに販売期間も終わっていることと思いここに再掲する。

           ***

  中野重治の電話

『天野さんの傘』は追悼文集といっていいほど知人友人たちのメモワールで埋め尽されている。生島遼一、伊吹武彦、長谷川四郎天野忠、松尾尊兊、黒田憲治、北川荘平、大橋吉之輔、そして富士正晴。「早々と舞台を去った」人々を「記憶の底を掘返して」ありありと現前させる、山田稔さんのエッセイの真骨頂である。

 松尾尊兊の訃報に接した山田さんは、書棚から松尾の『中野重治訪問記』を取り出して読み返す。松尾は京大人文研の助手仲間で、以来六十年に及ぶ交遊が続いていた。同著の記述をたどりながら、山田さんは在りし日の「松尾君」を呼びもどす。かつて「詩人の贈物」(『八十二歳のガールフレンド』)で書いたように、「思い出すとは、呼びもどすこと」なのだ。 

 わたしもまたこの本に導かれて書棚から『中野重治訪問記』を取り出してみた。松尾は師の北山茂夫が中野と親友であったことから、中野の知遇を得る。松尾にとって中野は愛読者として仰ぎ見る存在だったが、たびたびの訪問で中野も松尾に胸襟を開き、中野の死に際して夫人の原泉から「松尾さまは中野が心を開いて語りえたお一人だった」との書状が届くまでになっていた。「純朴」「晴朗とでもいうべき健康な明るさ」と山田さんがいう松尾の人柄が愛されたのだろう。

 松尾は中野邸を弔問したさいに、中野の書簡を集めるよう夫人に進言し、中野の死の翌年の一九八〇年、原泉は書簡蒐集に着手する。松尾は本書の序文で「厖大な来翰のうち文学者のものだけでも、中野さん自身の書翰とともに、『全集』の追録として、ぜひ公表してほしい」と記したが、それから三十余年を経た二〇一二年、七六五通を収録した六五〇頁におよぶ『中野重治書簡集』(平凡社)が刊行された。このなかには松尾尊兊に宛てた十三通も含まれている。すでに原泉も鬼籍に入り、息女の鰀目卯女さんが終始温かく見守ってくださった、と後記に書きとめられている。

中野重治訪問記』を読みおえ、浩瀚な『中野重治書簡集』を拾い読みしたわたしは、余勢を駆って石堂清倫『わが友中野重治』(平凡社)をひもといた。石堂は金沢の四高で中野の後輩にあたり、東大新人会でいっしょに活動した仲間である。同著は『中野重治訪問記』とは当然趣きがことなるが、中野をよく知る知己ならではの含蓄にみちている。中野は所属するコップ(日本プロレタリア文化連盟)への官憲の弾圧で投獄されたが、もし外部との交渉を断たれ、「一年でよいから一切文学に接する機会をうばわれ、単独で沈黙に立ち向うことがあったら、どうであったか」と石堂はいう。「甘える中野、甘やかした周囲は、小型か中型の愛情の世界に中野をとじこめはしなかったか」と。

 ちなみに、わたしは中野重治と一度だけ言葉を交わしたことがある。一九七六年、書評紙の編集者になった年のことである。その年の暮れに発行する翌年新年号のために、正月に相応しいネームヴァリューのある作家や学者に、「新年の抱負」といった短いエッセイを依頼することになった。文学の書評欄を担当していたわたしは、中野重治に原稿依頼の電話をかけた。記憶はさだかでないが、『中野重治全集』をしらべると第二十八巻に「白い杖のかわりはないか」という文章があり、末尾に(七六年十二月十五日)と日付が入っている。三百字ほどの短文である。おそらくこれにちがいない。わたしはこの原稿を受け取るために世田谷の中野邸へ赴いた。玄関先で封筒に入った原稿を原泉さんから受け取ったように思う。「今年はすこし落ちついて勉強したい」という書き出しだが、この年、中野重治は七十四歳、亡くなる三年前である。

 じつは中野重治とはもう一度言葉を交わしている。原稿が掲載された一月後だったか、中野さんから電話がかかってきた。稿料が届かないがどうなっているかという催促の電話だった。わたしは恐縮しながら、いかにも中野らしいと感心した。電話を切ったわたしが早急に支払うよう経理に督促したのはいうまでもない。

 

 

 

 

「群像」10月号を読んでみる(てか、目次をつらつら眺めてみる)

 

「群像」という雑誌があります。このブログをたまにご覧になるような方なら当然御存知でしょうが、あの「群像」です、文芸誌の。

 ふつう、日常会話のなかでグンゾーといっても通じません。「グンゾー?」と訝しげに訊かれて「いや、あの、ほらノーベルショーを取るとか取らないとか噂になってる小説家の村上春樹がシンジンショーを取った雑誌の…」とかなんとかゴニョゴニョいって問題を複雑にするのがおちです。今月号の「群像」に出ていたナントカの小説が、とかいって通じるのはきわめて狭い世界のはなしです。ま、それはともかく。

 最近、といっても、いつごろからか定かではないけれども、「群像」が分厚くなりました(どうやらリニューアル以降らしい)。手元にある10月号(今年の)なんてほぼ600頁ある。1頁に400字・約3枚入るとして、1冊1800枚! ゆうに単行本3冊分はあります。ちなみに文芸誌御三家の「新潮」10月号が約430頁、「文學界」10月号が約330頁であるのに比べると、ダントツに厚い。念のために書いておくと、この3冊はすべて図書館から借り出したもので、発刊後ひと月経つと借りることができるので、とりあえず借り出すことにしています。

 で、その「群像」10月号は創刊75周年記念号と銘打たれています。終戦の翌年に創刊されたんですね。河出の「文藝」なんて歴史はもうすこし古いけれど、倒産で休刊したり判型を変えたり満身創痍でなんとかつづいて、いまは季刊でやってます。頑張ってね。その創刊75周年記念号の巻頭が高橋源一郎の「オオカミの」という、これは短篇小説なんでしょうか。「デビュー作『さようなら、ギャングたち』から四十年」と惹句にあります。もう40年なんだ。ちなみに源ちゃんはわたしと生年月日がちょうどひと月ちがい。「さようなら、ギャングたち」は81年の掲載ですが、その2年前に村上春樹が「風の歌を聴け」で「群像」からデビューしたのでした。感慨深いです。

 目次をもうすこし辿ってみると、「小特集・多和田葉子」として多和田葉子の長篇小説「太陽諸島」の第1回目と池澤夏樹野崎歓の批評。「批評・エッセイ」というくくりで、柄谷行人「霊と反復」、蓮實重彦「窮することで見えてくるもの――大江健三郎『水死』論」があり、これが今号のわたしの「お目当て」です(40年前と変わりませんね)。あと、「創作」コーナーには瀬戸内寂聴大先生の掌編小説「その日まで」なんてのもあります。ほかのページより文字を大きくして、ここだけ1段組です。6頁ですが、通常の文字組なら3頁で終っちゃいます。だから文字が大きくて、余白も大きい。「玉稿」ですね。

 ちなみに、わたしもおよそ40年前に同じことをやりました。澁澤龍彦に映画評を書いてもらったときに、フォントを大きくして一段組。笑われましたけど。『ブリキの太鼓』の映画評で、今は亡きフランス映画社川喜多和子さんに「澁澤さんが書いてもいいって」といわれて、ありがたく原稿をいただいたのでした。それはさておき。

「女性蔑視はどうつくられるか」というシンポジウムが載っています。これは、

【報告】連続討論会——ラファエル・リオジエ 『男性性の探究』をめぐって | ブログ | 東アジア藝文書院 | 東京大学 (u-tokyo.ac.jp)

のオンライン・シンポジウムを「抄録」したもの。リオジエさんには『男性性の探究』という著書があり、なぜその本を書いたかというと、自分はフェミニストだと自称しているが、「目に見えないミソジニー(女性蔑視)に私自身が構造的に侵されている」と気づいたからだと仰っています。社会全体に女性蔑視・差別の構造があり、気づかぬうちにそれを内面化していたというわけです。

 で、ぱらぱらと頁をめくっていると、「言葉の展望台」という連載のなかの、

(自分はトランスジェンダーだが、LGBTを差別する人たちと)同じ程度には差別的な思想を身につけていた。そしてその思想に導かれるままに、自分自身の存在さえ拒絶し続けているのだった

という言葉と出遭います。筆者は三木那由他さん。276頁へだてて、リオジエさんと三木さんとが照応する現場に読者は立ち会うことになります。

 社会における差別を論じる「現代思想」の特集や単行本の論集でなく、1冊の文芸誌のなかではからずも遭遇する。そこに雑誌の醍醐味があります。ちなみに三木さんがこの文章で紹介しているメアリー・ケイト・マクゴーワンの『たかが言葉――発話と隠れた害について』(オックスフォード大学出版局、2019)は翻訳が待たれる本です。

 はからずも遭遇するといえば、こんな遭遇もありました。「群像」のデザインを担当している川名潤さんの連載「極私的雑誌デザイン考」(第21回)で、〈「WIRED日本版」「とサイゾー」〉と題されています。

 川名さんが20代の頃、愛読していたのが「WIRED日本版」で、

90年代後半から00年代はじめにかけて、日本の雑誌制作環境は、写植からDTPへと移行したが、その先達となったのがこの雑誌だ。日本でのフルDTPによる雑誌最初の一冊

と書かれています。

 「WIRED日本版」が1994年に創刊するすこし前に、わたしはその版元である出版社に入社したのでした。フルDTPなのは雑誌だけでなく単行本もそうで、それまでDTPで本を作ったことなどなかったわたしはえらく戸惑ったものです。編集部には「WIRED日本版」を立ち上げるスタッフもまだ一緒に働いていました(まもなくWIRED編集部として独立する)。

 そして川名さんが、「(「WIRED日本版」編集長の)小林弘人が「こばへんの編集モンキー」という名前で公開していたウェブ日記」で告知した新雑誌のデザイナー募集を見て応募したのが「私が憧れ、アルバイトで参考にしてきた雑誌「WIRED」残党による後継誌「サイゾー」のデザイン部」だったというわけです。

「WIRED日本版」は休刊し、編集長をはじめとする編集部の何人かがあたらしく会社を起して創刊したのが「サイゾー」で、できあがった創刊号見本を手にした川名さんは、クールな「WIRED」からかけ離れた「どこか昭和のカストリ雑誌」のような「サイゾー」の誌面に愕然とすることになります。わたしも「サイゾー」創刊号を見たときには「なんだか「アサ芸」みたいだなあ。小林くんが作りたかったのはこういう雑誌なの?」と拍子抜けしたものでした。

 だが、川名さんがADに「どういう雑誌をめざすのか」と訊ねると「お爺ちゃんがやってる印刷所が版下からひとりでなんとかして作った感じ」と答えたそうだから、その「昭和のカストリ雑誌」ふうスタイルは「確信犯」だったわけです。〈「WIRED日本版」「とサイゾー」〉は末尾に(以下次号、かも)とあるので、いま発売中の11月号を立ち読みしてこよう。

 この連載をふくめて、連載が30本ちかくあるというじつに盛りだくさんな内容で、これ1冊すべて読もうとしたらひと月はかかりますね。読みませんけど。

 

 

 

 

奇才須永朝彦の二著

 

 ユリイカ臨時増刊号『総特集 須永朝彦 1946-2021』が刊行された。今年5月に長逝した歌人・作家須永朝彦の全300頁余を費やしての追悼号である。須永朝彦の名を知る読者がどれほどいるのかわからないが、超の名がつくマイナーポエットには違いないだろう。ほぼ同時に山尾悠子編で『須永朝彦小説選』(ちくま文庫)も出た。山尾悠子が「ユリイカ」で書いているように「生前元気なうちに実現していれば」須永がどんなに喜んだろうと思うが詮方ない。晩年なにかと逼迫していたと聞くだけになおさらそう思う。二冊ともに江湖の喝采を博すことを冀う。

 寄稿している方々の多くが須永朝彦をいつ見知ったかと筆を起しているので、わたしもそうしよう。わたしが須永朝彦と出会ったのは、三一書房刊の『現代短歌大系』の第11巻「現代新鋭集」、もしくは「季刊俳句」創刊号のなかでだったと思う。いずれも1973年の刊行。「季刊俳句」創刊号には連載小説「聖家族」の第一回目が掲載されており、同誌が四号で休刊したため連載も四回で中断したが、このたび『須永朝彦小説選』に初めて収録された。山尾悠子によれば、最晩年の須永は「聖家族」を単行本として上梓したいと漏らしていたそうで、雑誌掲載時と収載された文庫版を比べてみると字句に若干の異同が見られるのは、著者自身が刊行を念頭に推敲していたためか。ともあれ、雑誌掲載からおよそ五十年ぶりに日の目を見たのは喜ばしい。

 『現代短歌大系』の「現代新鋭集」は、平井弘や村木道彦、浜田康敬、福島泰樹ら、まさに新鋭と呼ぶべき気鋭の新進歌人らをピックアップしたもので、そこに掲出された須永朝彦の歌だけが解説で完膚なきまでに批判されているのは異様な眺めだった。須永の歌を一刀両断のもとに切り捨てたのは竹内健。『現代短歌大系』は書棚の奥深くに隠れているので、吉村明彦が「ユリイカ」に寄稿した「須永朝彦との三九年」から孫引きしよう。

竹内健は須永の

 水衣に映ゆる面の喝食を水に問ふわが山吹の性

なる歌を取り上げ、

須永自身は神遊びの境にいるのかも知れない。だが「わが山吹の性」とは一体何事であるのか。こういうのを私は彼の分別と解釈する。彼の歌から私が連想するのは、テレビの子供出演者、いわゆるジャリ・タレである。

と批判した。さらに、

 みづからを殺むるきはにまことわが星の座に咲く菫なりけり

について、

「わが山吹の性」に発した須永の長い詠嘆風の歌は右の一首で終る。この歌を最期に須永が此世から去ったとすれば、「星菫」も「咎なくて死す」も詩となるであろう。しからざれば、この歌は嫌味である。誰に対しての嫌味なのか。読者に無縁である以上、須永自身に対して嫌味であろう。この歌人は、死を詠んで死と無縁であり、スペイン、ポルトガルを詠んでイベリア魂と無縁である。されば、歌を詠んで歌と無縁にあらざる事を祈る。

と筆致は秋霜烈日である。

 吉村明彦はこの竹内健の解説文を引用し、「真摯な批評であるが、そこまで酷評するなら採りあげる必要があったのか、と思う」と述べているけれども、竹内にしても批評するに値しないと思えば無視したろう。ここまで書かせるなにものかを須永のうちに認めていたからこその「酷評」だったにちがいない。塚本邦雄を通して現代短歌に目覚めたばかりであったわたしは、いささか厳しすぎるとはいえ、竹内健の批評に首肯するものがあった。須永の歌は技巧的ではあったが、どこか造花を思わせる人工的な煌びやかさで、なにより、塚本邦雄や春日井建らの歌にふれたときのような感動を彼の歌に味わうことがなかった。

 生身の須永朝彦に会ったのは一度だけ、たしか1976年だったと思う。書評紙の編集者になったばかりのことだ。当の書評紙は全8頁で、4~6面がそれぞれノンフィクション、文学、学術・思想の書評欄で、わたしは最初、学術・思想欄を、次いで文学欄に移り、最後は8面の映画・演劇・美術欄を担当した。7面は企画頁で、時々のトピックを担当者が取り上げて紙面を作っていたが、ときに営業部からのリクエストで記事広告というか全面タイアップ記事とすることもあった。

 あるとき、全5段広告(75年から刊行が始まった国書刊行会の世界幻想文学大系あたりだったか)出稿のバーターで関連記事をつくってほしいという要請が営業担当者から7面の編集担当者にあり、彼に頼まれてわたしが紙面を構成したことがあった。吸血鬼をテーマにすることにし、吸血鬼関連のブックガイドをわたしが書き、吸血鬼に関するエッセイを須永朝彦に依頼した。この頃には、須永の吸血鬼小説も読んでいたのだろう。原稿が書き上がり、受け取りに行った。それは、江戸川橋のわたしの会社から歩いてすぐのところのマンションの一室だった。たしか表札には須永ともう一人の名前が掲げられてあり、だれかと同居している様子だった。そのとき、なにを話したのか、短歌の話などしたのかどうか、まるで記憶にない。ちなみに、この記事を見た富山太佳夫(当時まだ著書もない大学の助手で、時折同紙に執筆していた)が、吸血鬼ブックガイドなら自分が書きたかったと言ったと人づてに聞いた。

 ともあれ、この追悼号はわたしの知らない須永朝彦の「素面」をさまざまに教示してくれた。とりわけ興味をひかれたのは塚本邦雄の小説集『連弾』への須永の書評で、「週刊読書人」に掲載された切抜きを須永の遺品のなかから発掘したものだという。1973年の執筆で、須永が塚本に「破門」された後のことになる。大要は以下のとおり。

 塚本邦雄の小説で評価すべきは「月蝕」をはじめとする第一短篇集『紺青のわかれ』のみで、以降「完成度は下降の一途」をたどるばかり、『連弾』など「無惨でさえある」。「修辞に綺羅を尽せば尽すほど言葉は形象を結ぶことなく硬直し、説得力を失う」。そして「私はふと、このままでは散文作家としての塚本氏は、奇才のなしくずしに終ってしまうのではないかという懸念を抱いたのであった」と結ばれる。

 わたしも塚本の数多い小説集からこれ一冊ということになれば、『紺青のわかれ』に指を屈するものだが、『連弾』その他が須永のいうような「無惨」な出来であったかどうかは、半世紀ちかく前に読んだきりなので、にわかに判断はできない。だが『連弾』以降も塚本の小説は手に入る限りは入手して読んできたのだから、須永のいうような否定的な印象は受けなかったとおぼしい。それよりも、この書評の「修辞に綺羅を尽せば尽すほど」のくだりなど、須永の短歌にこそ当てはまるのではないか。須永の「懸念」は、奇才須永朝彦のその後のゆくたてを予見するものであったような気がわたしにはしないでもない。

 

 

 

 

 

百句繚乱

 

 

『百句燦燦』は、塚本邦雄が精選した、というよりも鍾愛する現代俳句百句を掲出し、鑑賞文を附した詞華集で、その講談社文芸文庫版の解説を橋本治はこう書き出している。

 「私が書店の棚にある『百句燦燦』を見たのは、二十六歳の秋だった。」

 二十六歳といえば一九七四年、「桃尻娘」で小説現代新人賞を受賞(佳作)する三年前のことだ。橋本治にとって、塚本邦雄は「畏敬」する存在であったが、「現代俳句への関心もなかったし、知識もなかった」ので買うのををためらった(高価でしたからね。当時の三千六百円の定価は、今ならだいたい一万円ぐらいの感じだろうか)。だが、「ここにはなにか、自分の分かりたいものがある」と思い購入した。

 巻頭の一句、石田波郷の「金雀枝や基督に抱かると思へ」には「いかにも塚本邦雄好みだな」と思ったが、第二句目の下村槐太「河べりに自転車の空北斎忌」にはびっくりした。文字の並びが、そのまま「絵」になって見えたからだ。

「私が見た「絵」は、朱紅の空を背景にして高くそそり立つ、暗い河原の土手である。その上に頑丈な荷台を持つ自転車が一台立っている。人の姿はなくて、向こうから差しつける光を受けた銀色のスポークが光っている。空が錆びた朱紅の色なのは、夕焼けではなくて、北斎の描いた赤富士が巨大化して、一面の空になってしまっているからである。だから、そこには一片の雲もない。ただ、朱紅の空だけがあって、銀色のスポークを光らせる暗い自転車の影だけがある。その壮大にして残酷な悲しみが、すごいと思った。」

 橋本治は「この句が絵であってもいいのだな」と思い、そういえば、自分は短歌や俳句にいつも「絵」を見ていたのだ、と思った。わたしはこのくだりを読んで「そうかそうか、橋本治もそうだったのか」と思い、嬉しくなった。わたしもまた短歌や俳句に、絵を、イメージを読み取るのがつねだった。「河べりに」の句は、わたしなら映画『男はつらいよ』の冒頭に出てくるような土手に止めてある自転車を下方からあおり(仰角)で撮ったイメージで、空が青空なのは『男はつらいよ』に引き摺られているのかもしれないが、自転車は橋本治と同じくあくまで昔ながらの「頑丈な荷台を持つ自転車」でなければならない。塚本邦雄もこの句から受けるイメージを鑑賞文で仔細に描いているけれど、わたしの場合はそれほど詳細な絵ではなく、土手にとめられた自転車とどこまでも広がる青空だけの単純なものだ。

 ちなみに自転車といえば、塚本邦雄の短歌「医師は安楽死を語れども逆光の自転車屋の宙吊りの自転車」も、わたしが思い浮べるのは、自転車屋の店頭に吊り下げられた自転車がふりそそぐ陽光のなかに浮び上がっているという、ただそれだけの単純なイメージだが、自転車はなぜか逆さまに吊り下げられていて、医師も安楽死も登場しない。これらはどこにでもありそうなありふれた状景だが、それがなぜわたしに限りなく美的なものに思えるのか。俳句にせよ短歌にせよ、文字がイメージを喚起し、イメージが文字を喚起する。そのウロボロスに似た在り様にその秘密がありそうな気がするけれど、まだよくわからない。

 単純な状景といえば、赤尾兜子の句「「花は変」芒野つらぬく電話線」が喚起するイメージも、なにもないだだっ広いだけのススキ野に電話線がどこまでも続いているというもので、単純ではあるけれど現実にはありえない状景なので、シュールで不穏なイメージでもある。そこが「変(異変)」にもつながるのだろう。塚本邦雄は『百句燦燦』でこの句を掲出し、もっぱら上五句の「花は変」についてあれこれ考察を試みているが、塚本の鑑賞はイコン(イマージュ)よりもイデアの分析に傾いているようだ。

 このほど上梓された藤原龍一郎の労作『赤尾兜子の百句』では、この句について次のような鑑賞文が附されている。

カギカッコに入れられた「花は変」をどのように解釈すべきなのか? それは兜子の独特の直感なのかもしれない。花こそが変であるとは、類型的な花のイメージを壊すものである。九世紀の薬子の変や幕末の禁門の変といった歴史的な謀反事件をあらわす変なのか。

 それに配する芒野をつらぬく電話線は、凶報を伝えているのだろうか。映像を思い浮かべると、不吉な花のシンボルを塗りつぶす荒涼たるススキの野と電線。救いのない画面が浮かんでくる。」

 わたしのいう不穏なイメージと「救いのない画面」に、受け取り方の共通性があるように思われる。藤原氏はさらに一歩踏み込んで、電話線は凶報を伝えているのかもしれないという。なるほど。だとすれば、野原をつらぬいて延びるこの電話線は、禁門の変桜田門外の変といった凶事を現代に伝える時間機械のようなものであるのかもしれない。

赤尾兜子の百句』はふらんす堂の百句鑑賞シリーズの最新刊。兜子の句、百句を掲出し、短文を附したもので、兜子俳句の「誰にも似ていない異貌」をよく伝えている。「ささくれだつ消しゴムの夜で死にゆく鳥」や「音楽漂う岸侵しゆく蛇の飢」といった代表句に見られる、前衛俳句のなかでもとりわけ屹立した異貌と、初期俳句の清新な抒情、晩年の古典的な均整、といった変幻する「多面体」がこのコンパクトな一冊に凝縮されている。

 藤原龍一郎歌人として知られるが、かつて兜子主宰の俳句結社「渦」に所属し、藤原月彦の名で審美的な俳句を詠んでいた。わたしが藤原月彦の名を初めて知ったのは「季刊俳句」第二号(中央書院・一九七四年一月刊)に投句された「王権神授説」三十句によってである。月彦二十一歳、句歴三カ月の大学生だった。その伝説的な句業の全貌は、二年前に上梓された『藤原月彦全句集』で見ることができる。