The Dust of Time――追悼テオ・アンゲロプロス



 1月25日朝日新聞朝刊に掲載された斎藤美奈子文芸時評は、今期芥川賞を受賞した二作を取り上げ、ワイドショーなどで話題の田中慎弥の「共喰い」についてこう書いている。「淀んだ川や釣った鰻が性器の暗喩になっているあたりは陳腐だが、すぐに映画化できそうな、わかりやすいドラマ性を備えている。往年のATG映画ですね、テイストは」
 なるほどね。長谷川和彦の『青春の殺人者』とかですね*1。一瞬にして映像が目に浮かぶ。まあ「レッテル貼り」といえばそのとおりだが、さすがにうまい。しかし、「往年のATG映画」といってすぐにピンと来るのは、名画座で追っかけて見た世代を含めてもせいぜい五十代以上の人たちのそれもごく一部だろう。ATG映画の何本かは名作として見られ続けてゆくだろうが、総体としての「ATG映画」が時代の中で持っていた意味は、もはや若い世代には伝わらないだろう。そういうものだ。
 その日の夕刊に、テオ・アンゲロプロスの死が報じられていた。交通事故による脳出血が死因と伝えられる。76歳。新作の撮影中だったという。最後の作品はThe Dust of Time(仮題「第三の翼」、日本未公開)。撮影中の新作は、『エレニの旅』『第三の翼』に続く三部作の最後、「もう一つの海」だった。
 アンゲロプロスには二度会ったことがある。いずれも編集していた雑誌のインタビューだったが、一度目は蓮實重彥氏に聞き手になってもらった。1982年、『アレクサンダー大王』の日本公開のための来日時だった。フランス語によるインタビューで、言葉を解さぬわたしは隣りで口をあけて見ていただけだ。二度目は99年、『永遠と一日』の日本公開のときだった。アンゲロプロスの滞在する六本木のホテルで、フランス語の通訳を介してわたしがおこなった。インタビュー記事のまえがきで、こう書いている。


 「十七年ぶりに会うアンゲロプロス監督の、小柄な身体にエネルギーをたたえた風貌にはいささかも変わりはない。「お変りになりませんね」というと、にこりともせず「いや、歳をとりました」。古くからの友人である大島渚監督の身体をしきりと気づかう様子が印象に残った。
 『永遠と一日』は、ブルーノ・ガンツ演じるアレクサンドレという作家・詩人の「最後の一日」を描いた作品だ。盟友ジャン=マリア・ボロンテの死という辛い体験がこの映画に色濃く影を落としている。作家に迫りくる陰鬱な死の影、対照的に夏の陽光がふりそそぐ地中海を背景に水玉模様のドレスで舞う記憶のなかの妻、緊張するバルカン状勢を象徴する悪夢のようなアルバニア国境、そして夜の街を走り抜ける奇跡のように美しい〈魂のバス〉のシークェンス。映画は、ポエジーを原動力に、時間と空間を融通無碍に往還する。この作品は九八年のカンヌ映画祭パルムドール賞を受賞した」


 現実と幻想を往還する主人公の魂の彷徨がみごとな映像でとらえられた傑作である。インタビューではふれなかったが、映画音楽もすばらしいものだった。最後で、「次は、壮大な『アナバシス』をたずさえて日本にいらっしゃることを期待しています」と述べている。アンゲロプロスは次作に『アナバシス』の映画化を予定していたようだが、六年後に公開されたのは『エレニの旅』だった。『エレニの旅』については、西谷修が著書『理性の探究』で興味深いことを書いていた記憶があるが、生憎とその本はもう手元にない。
 アンゲロプロスの日本への紹介は『旅芸人の記録』が最初である。この映画に惚れ込んだ川喜多和子さんが、なんとしても日本の観客に見せたいと尽力された。四時間の長尺で、岩波ホールで、どうにかして一日三回上映したのではないかと思う。ギリシャ語を翻訳した字幕を担当したのは小説家になる前の池澤夏樹だった。本国の公開から四年遅れの1979年に日本公開。この翌年だったか、あらたに映画雑誌を創刊することになり、その準備号に掲載するため川喜多さんと長谷川和彦の対談をおこなった。ゴジ(長谷川和彦)は二作目の『太陽を盗んだ男』を撮り上げたばかりの意気軒昂とした頃。対談は夕刻から始まり、途中からゴジの独演会の様相を呈し、深夜零時をすぎても留まる処を知らず、新宿はゴールデン街の飲み屋に場所を移して深更まで蜿蜒とつづいた。雑誌に掲載したのはそのごく一部で、長谷川和彦自伝ともいうべき部分はカットした。今村(昌平)組スタッフとして『神々の深き欲望』に参加していた頃のこと、神代辰巳の助監督をしていた頃のこと、久世光彦演出(沢田研二藤竜也の)『悪魔のようなあいつ』のシナリオを書いていた頃のこと等々、居合わせたみんなが抱腹絶倒の話術に聞きほれた。サービス精神旺盛で、神経の細やかな人(これはもっと後になってわかったことだが)なので、みんなを飽きさせまいと話しているうちに歯止めがきかなくなってしまったといった態だった。
 この話は次の映画(3作目)の公開の際に公けにしようと録音テープを保存していたが、いつまで経っても次の映画は登場しなかった。いまもなお。三十年。川喜多和子さんは亡くなり、アンゲロプロスも亡くなった。録音テープは喪失し、わたしも映画の周辺から離脱してもう十余年になる。往事渺茫。The Dust of Time。
 この時の話で『旅芸人の記録』が話題になった。これは活字になったと思うが(当時は本物の活版だった)、長谷川和彦のことばで記憶に残っていることがある。映画は1シーン1カットの長回し、旅芸人たちを引き(望遠レンズ)でとらえた映像が特長である。ゴジはこう言った。「いいんだよ。たしかに力のあるカットだよ。それは認めるよ。認めはするんだが、(キャメラが)ちょっとは寄れよ。寄りたかったら、寄ればいいじゃないか。我慢しないで」
 酔いにまかせたことばだったが、本心もいくらかはあったと思う。『太陽を盗んだ男』で助監督についた相米慎二が翌年、監督デビュー作として撮った『跳んだカップル』は1シーン1カットの長回し、子供たちを蜿蜒とロングショットでとらえた映像が喝采を浴びた。ゴジは『跳んだカップル』をどう見ていたのだろうか。その相米慎二も今はもういない。

*1:青春の殺人者』は中上健次の「蛇淫」を映画化したものだ。地方の町を舞台にした性と暴力の物語。斎藤美奈子が「共喰い」で思い浮かべたのも『青春の殺人者』だろうか。