もう少し小津について話してみよう

 

 2018年12月12日、小津の生誕115年、没後55年のメモリアルデイに1冊の本が刊行された。田中康義『豆腐屋はオカラもつくる 映画監督小津安二郎のこと』。

 田中康義氏は1930年生れ、松竹で『早春』『東京暮色』『彼岸花』と3本の小津作品の助監督を務め、『ケメ子の唄』(68)で監督に昇進、数本の監督作品を撮ったのち、プロデューサーに転じた。プロデュース作品としては、曽根中生博多っ子純情』(78)、大森一樹のデビュー作『オレンジロード急行』(78)などがわたしには懐かしい。また、松竹と東京国立近代美術館フィルムセンター(現・国立映画アーカイブ)とが協同で行なった小津作品のデジタル修復に田中康義氏は音響監修として参加されている。
 版元は金沢の龜鳴屋。茶のクロス装、表紙は、映画のスタンダードサイズと同じ縦横比率の空押しの上に銀幕の題箋、文字の赤・白・黒の三色は映画『彼岸花』のタイトルバックを模したもの。 

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(左)表紙 (右)『彼岸花』タイトルバック

 奥付に貼られた著者名を記した記番紙も、『東京暮色』の小津自筆シナリオの表紙*1を模すなど、いつもながら藝の細かい龜鳴屋の装本である。

 ちなみに『彼岸花』(58)は小津作品では初めてのカラー映画で*2、当時よく使用されていた国産のフジやサクラ、アメリカのイーストマン・コダックなどではなく、ドイツのアグファ・カラーを用いた。アグファ・カラーは赤の発色がいいことで知られ、小津自身も赤を目立たせたくてアグファを選んだと語っている。茶の間のあちこちに出没する有名な真っ赤なヤカンをはじめ、画面には赤い彼岸花、赤い座布団、白い花瓶など、「クレジット・タイトルで行われた色彩の遊戯」*3がこれみよがしに繰り広げられる。もっとも、アグファ・カラーで撮影されたが、国産のサクラ・カラーでポジフィルムにプリントしたために、せっかくの赤が妙に赤茶けて駄目になってしまった、と撮影監督の厚田雄春は語っている*4

 

 本書は、さすがにかつての助監督の著者だけあって、小津作品の撮影現場に即したエピソードなどなかなか興味深い。ここでは、助監督を務めた『彼岸花』のエピソードを一つ紹介しよう。汗牛充棟といっていい小津関連の書物でも、おそらく一度も言及されたことのない貴重な証言であると思う。

 それは聖路加病院の階段の踊り場のセット撮影で、完成された映画ではカットされて存在しない場面であるという。二人の看護師が「画面の左向きにカメラに横を見せて立って」いる。一人が空を見上げて「ああ、いいお天気」というと、もう一人が窓の外を見て「ね、お昼、東興園に行かない? おいしいのよ、シュウマイライス」という。最初のテストが終ると、小津が微笑を浮べて二人に近づいて「俺はこのカット、ピーカン(晴天)のつもりで撮ってるんだ。確かめるなよ」といった。ダメ出しに来た小津を見て二人の女優は一瞬緊張したが、その意図をすぐに理解して「わかりました、すみません」と笑顔で答えたという。

 「そして小津さんは戻り際に「おい厚田家、大丈夫か、ピーカン。二人が心配して表をのぞいて見てるぞ」とカメラマンに声をかけ、スタッフは大笑いです」

 「厚田家(あつたけ)」とは厚田雄春のことで、小津は親しみを込めてそう呼んでいた(厚田雄春自身は「あつたけ」を「厚田兄ぇ」と表記している*5)。「大丈夫か、ピーカン」というのは、むろんジョークで、「二人の背景の踊り場の壁は斜めに差し込んだ陽光で白く輝いて」おり、「二人がわざわざ窓外の空を見上げて確認しなければ「いい天気」とは言えないという画面ではなく、またその二人のセリフを聞いて初めて観客に天気がいいことが伝わるわけでも」ない。だから小津は女優の仕草に「確かめるなよ」と注意を促したのである。

 「ああ、いいお天気」という台詞にも「特別な意味」があるわけではなく、「夜勤明けで朝の忙しく緊張した時間から解放された二人が、フト一息ついてその気分で思わず出た」といったもので、窓外を見るという「一見自然な芝居」も、だから小津にとっては「一番嫌う〈説明の芝居〉」になるのだという。もっとも、監督によっては「何の芝居もせずに、「いいお天気」と言うと、「おい、確かめもせずにどうしてそのセリフが言えるんだ」などと叱られたり」することもある、と田中康義氏は注釈している。

 この場面は、映画ではカットされており、公刊されている完成台本*6にも〈シーンナンバー27 築地 聖ロカ病院の遠景〉に「いいお天気である」とト書きが一行あるのみで、実際の映画でも風景ショットが二つ重ねられている。じつはその前のシーン26、平山家の茶の間の場面で、平山(佐分利信)と幸子(山本富士子)の対面しての会話があり、話が一段落ついて幸子が「(ふと庭の方に目を移して)やあ、ええお天気」といい、庭を背にしていた平山がからだをひねって庭の方を向いて「ああ」と応じ、カメラがふたたび切り返して遠くを見るような幸子をとらえたところで場面が切り替わるのである。そこで、看護師二人がまた「いいお天気」というといかにもくどくて、撮影はしたものの編集でオミットしたのだろう。

 小津の映画では空はいつも晴れ上がっていて、『浮草』や『宗方姉妹』など数作をのぞいて画面に雨が降ることはない。小津安二郎が亡くなった1963年12月12日、東京の空は雲一つない抜けるような晴天だったという*7

*1:人目にあまり触れることがないが、インターネットの「デジタル小津安二郎」の資料リストで見ることができる。 

http://umdb.um.u-tokyo.ac.jp/DKankoub/Publish_db/1999ozu/japanese/11.html

*2:主要キャストの山本富士子のために、会社(松竹)の注文でカラーに踏み切ったともいわれる。和服なども、特別に染色された(『小津安二郎を読む』フィルムアート社、1982)

*3:デヴィッド・ボードウェル、杉山昭夫訳『小津安二郎 映画の詩学青土社、1992

*4:厚田雄春蓮實重彦小津安二郎物語』筑摩書房、1989

*5:同上

*6:井上和男編『小津安二郎全集』下巻所収、新書館、2003

*7:小津安二郎物語』