2010-01-01から1年間の記事一覧

「わからない」とは何か

今朝(12月28日)の朝日新聞に斎藤美奈子が書いている「『わからない』の効用」と題する文芸時評を読んで、前回書いた「『が』という地獄」に通じるところがあったので、急ぎ書いておきたい。そろそろ家の掃除だとか正月を迎える準備だとかしなければいけな…

「が」という地獄

このあいだアマゾンで本を注文したら、わたしの「買い物傾向」から類推したらしい4冊の本がかたじけなくも「推薦」されていた。そのラインナップを見てちょっとうなってしまった。4冊の本とは、フリオ・リャマサーレス『黄色い雨』、ロベルト・ボラーニョ…

真珠母色の裸婦たち――『パスキンの女たち』を読む(その2)

ごめんごめん。前回、村上佳菜子とか浅田真央とか安藤美姫とか、スケーターの方たちのお名前を出したので、ヤフーやグーグルで検索して迷い込んで来られた方が少なからずいらしたようである。失礼しました。今回も、あらかじめお詫びしておく。でもまあ、そ…

スポーツをする女――『パスキンの女たち』を読む

先週の土曜、12月11日に北京で行なわれたフィギュアスケートのグランプリファイナル(ISU Grand Prix of Figure Skating Final)で、初出場の高校生村上佳菜子が3位に入賞した。16歳の新鋭のぴちぴちと躍動する演技を見ていると、安藤美姫や鈴木明子はも…

すがれた老人――『マビヨン通りの店』を読む

山田稔さんの久々の新刊『マビヨン通りの店』(編集工房ノア)が出た。リトルマガジン「海鳴り」「CABIN」に発表された文を中心に13本のエッセイを収録。半分以上をすでに発表誌で読んでいるにもかかわらず、こうして一冊にまとまれば発売日に書店へかけつけ…

さみしくてあたたかかりき

書店で雑誌を立ち読みしていたら、瞼の奥が急に熱くなり忽ち文字がぼやけた。これはいけないとあわててレジに急いだ。家に持ち帰って読みながら幾度も目頭をおさえた。 翌日の朝日新聞朝刊にこの雑誌、「文藝春秋」十一月号の広告が掲載されていた。全五段広…

A confession of the unfilial son

ひと月ほど前に書いた拙稿に鄭重なコメントをいただいた(id:qfwfq:20100829)。コメントをくださった「なおひこ」さんは幼い頃にお父さんからシベリア抑留体験の話を何度も聞かされた、と書いていられる。わたしの父も出征したが、戦争の話を父から聞いたこ…

40×40字7枚分の散文を読みながら、これはフローベール=フーコーの夢想したエッセ・クリティックだとつぶやいてみる

二〇一〇年九月一日水曜日の午後、神保町の東京堂書店へ『随想』と題された新刊を購入するために赴く。文藝誌「新潮」で連載されていたエッセイが一冊に纏まり刊行されたことをその日の朝の新聞広告で知ったからで、この辺りにあるはずと一階新刊コーナーの…

追悼河野裕子

先月12日、歌人の河野裕子さんが亡くなった。 河野裕子さんと会ったのは三十年以上も前で、そのことは何年か前に書いたことがある(id:qfwfq:20051120)。それ以降会う機会はなかったが、九年ほど前、原稿を依頼したおりに電話ですこし話をした。河野さん…

ハルビンの大庭柯公

戦争に関する文献を50冊もまとめて読むと、気分はもう戦争、である。ついでに、録画しておいたNHKスペシャル「玉砕〜隠された真実」に、BSハイビジョンの「偽装病院船〜捕虜となった精鋭部隊」「王道楽土を信じた少年たち〜満蒙開拓青少年義勇軍」もま…

正直と親切――正義にあらがう(その2)

この夏、仕事の関係で戦争にかかわる大量の文献に目を通した。戦争とは昭和前期のいわゆる「十五年戦争」である。それらの文献はわたしの考え方、偏見、謬見に多かれ少なかれ変更を迫ることになった。よい機会を与えられたとおもう。ひとつ、つよく印象に残…

この世の外ならどこへでも

《「O(にウムラウト)」 バッハマン教授はみか子の前で正しく発音して見せる。この発音にはドイツ語学科に代々伝わる誤った発音法がある。「お」を言うつもりで「え」の口の形をして 「う」と言う。みか子はやってみる。 「おぇー」 「ミカコ!」 バッハマ…

正義にあらがう ――あるいは、さよなら快傑黒頭巾

「ぼくはいま、ぼくの大好きな快傑黒頭巾と別れるところなんですよ」 ――庄司薫『さよなら快傑黒頭巾』 少年時代の、といってもまだひとケタの年齢の頃のわたしのヒーローは、御多分に洩れず、月光仮面であり赤胴鈴之助であり少年ジェットでありまぼろし探偵…

新訳『賜物』あるいは『記憶よ、語れ』――ナボコフ再訪(5)

ナボコフの作品は短篇、長篇にかかわらずいずれも大好きだけれども、もっとも鍾愛する作品はといえば、まず『記憶よ、語れ』に指を屈する。はじめてナボコフの作品にふれたのが十代の終わり、英語の授業で読んだFirst Loveだった。大津栄一郎注釈のFIRST LOV…

長谷川四郎のソング

5月7日金曜の夕刻、不忍の旧安田楠雄邸で催された<音楽と朗読の夕べ・長谷川四郎のソング>に出かけた。南陀楼綾繁さんの企画で、長谷川四郎の詩や短篇小説を黒テントの俳優・久保恒雄さんが朗読し、詩に曲をつけた平岩佐和子さんがピアノを演奏しながら…

もう一つの「素面の告白」――『榛地和装本 終篇』

藤田三男さんの『榛地和装本 終篇』の面白いのは、これがこの手練の編集者の一種の自伝になっているところにある。こう書くと首を傾げる読者もいるかもしれない。これは文藝編集者の文壇回想録の一種ではないかと。むろん一面ではそうに違いないけれども、そ…

羊男は電子書籍の夢を見るか

『1Q84 BOOK3』発売日の4月16日朝、会社の隣りのビルにある小さな書店で一冊購入してから出社した。店内にまだ客はいなかった。「たくさん入荷しましたか」と問うと、レジの店長は「実績に応じて割当てられるので、うちじゃそれほど入りません」…

「リア家の人々」――文体の人、橋本治(その2)

橋本治という人は、文芸評論家などにとっては扱いに困るやっかいな小説家なのだろう。たとえば小林秀雄や三島由紀夫なら、著作は膨大であるにしても評論家や小説家としての軌跡を辿ることはそれほど困難な作業ではない。だが、大学在学中にイラストレーター…

文体の人、橋本治

紀伊國屋書店が出している「scripta」で、斎藤美奈子が橋本治の『桃尻娘』について書いている(連載「中古典ノスヽメ」第8回)。これはネットで読むことができる*1。 《『桃尻娘』は「小説現代新人賞」の佳作に入選した(受賞作ではなかったのだ)、橋本治…

人は死んで文を残す

追悼文を読むのが好きだ。とりわけ作家を追悼した文章に目がない。先頃編集をした随筆集(敬愛する編集者が丹精を籠めて書かれたもの)にも数篇の追悼文が収められてい、いずれも一読忘れがたい余韻を残す。それをいうなら追悼と銘打っていない文章でさえ、…

あなたって何かこう不思議なしゃべり方するわねえ

1月27日、サリンジャーが死んだ。享年91。 村上春樹が『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を翻訳したのが、つい2、3年前と思っていたが、もう7年前になる。このところ、わたしの身辺ではなぜか3〜4か月ぐらいで1年になる。デフレだかインフレだか知らな…

二月は残酷きわまる月だ

先週、近親者の葬儀で北陸へ行った。ところどころに残雪があった。東京へ戻ると、北陸に劣らぬ寒波に身も凍えた。 帰宅してパソコンをひらくと、近親の青年の急病を伝えるメールが届いていた。重篤の病で、それから二週間を経た今でも意識が戻らない。いつま…

詞華集顛末記――承前

前回のつづき(もう一週間たったのね。まったくもって光陰矢の如しである)。 さて、もう十五年ほども前、いまとは別の出版社に勤めていたころのことである。わたしは前年の春から半ば自ら志願したかたちで京都の本社に転勤していた。ある日、呼ばれて社長室…

胸にセロリと新刊書

北村薫さんの新刊『自分だけの一冊――北村薫のアンソロジー教室』を読む。 カルチャーセンターでの講義をまとめたもので読みやすく、200ページたらずの新書なのであっというまに読み終える。そのなかでひとつ「おお、これはこれは」と思ったことについて書き…