「リア家の人々」――文体の人、橋本治(その2)


 橋本治という人は、文芸評論家などにとっては扱いに困るやっかいな小説家なのだろう。たとえば小林秀雄三島由紀夫なら、著作は膨大であるにしても評論家や小説家としての軌跡を辿ることはそれほど困難な作業ではない。だが、大学在学中にイラストレーターとして脚光を浴び、「桃尻娘」という一風変わった小説でデビューしたこの小説家は、小説だけにとどまらず、枕草子源氏物語平家物語といった古典の再話をするわ、社会時評や宗教論の本を出すわ、あまつさえ少女まんがや歌舞伎や映画や歌謡曲や美術や編み物の本を出すわで、トータルとしての「橋本治」を論じることはとうてい誰の手にも負えなかったのである。それゆえに、橋本治はいうならば「色物」として作家の埒外に置かれてきたのだし、だれもまともに橋本治の小説を論じようとしなかった。だから『生きる歓び』『つばめの来る日』『蝶のゆくえ』といった短篇小説集の文庫版解説も橋本治自身が書かなければならなかったのである。
 『生きる歓び』と『つばめの来る日』は「一つのシリーズ」で、「人間に関する橋本の短編シリーズ」と言うべきものだろう、と橋本治は自注する*1。「橋本がこうした短編を書こうとした動機は、既に一九八〇年に出版された糸井重里との対談集『悔いあらためて』の中に発見される。その発言の趣旨は、「日本に一億の人間がいれば、一億の物語があるはずである」というもので(略)、橋本は、こうした短編小説を、少なくとも百本は書きたいと語っている」と*2。『つばめの来る日』の後に刊行された『蝶のゆくえ』や『夜』に収録された短篇もまた「人間に関する橋本の短編シリーズ」の一環といっていい。こうした短篇を書き継ぐことは、一方で長篇を書くためのレッスンでもあったにちがいない。
 橋本治の小説はその時期によって三つに大別できる。第一期は「桃尻娘」シリーズから『愛の矢車草』『愛の帆掛け舟』まで、第二期は『生きる歓び』に始まる短編シリーズ、第三期は『巡礼』から『橋』を経て最新作の「リア家の人々」(「新潮」4月号)にいたる、「戦後史三部作」というべき長篇小説。今後、四部作や五部作になる可能性はむろんあるわけだが、これらも「人間に関する橋本の長篇シリーズ」であり、短篇との明確な違いは、長篇においては人間の「物語」を描くと同時に日本の「歴史」をも描こうとしている点にある。いや、そうではなく、ある特定の時代に生きた人間のイストワール(物語=歴史)を、その時代との関わりのなかで描こうとしているというべきか。
 文体でいえば、「愛の〜」二部作は「桃尻娘」の延長線上にあるけれども、『生きる歓び』の頃から徐々に変貌をはじめ、『蝶のゆくえ』や『夜』にいたって長篇「戦後史三部作」を牽引するにたる強度をもった文体に到達するのである。


 「リア家の人々」の文体に着目しているのが産経新聞文芸時評石原千秋である。石原は文芸時評の一回分をまるまる「リア家の人々」に費やし、「圧倒された」と評する。だが、粗筋を紹介したのち、石原はこう書く。


 《奇異に感じたのは、その文体だ。視点はご都合主義的に切り替わる。文三と小料理屋の女将との関係を書くところなどは、まるで同人誌の文体である。「へたうま」というより、「へた」そのものである。年代記のような書き方は退屈でもある。》*3


 べつに視点が「ご都合主義的に切り替わ」っているわけではない。これはむろん全能の作者、いわゆる「神の視点」であって、神という奴は入りたい時に入りたい所へ勝手に入ってゆくものなのである。神に都合を問うてはいけない。「同人誌の文体」とは何か。いったい小説に「同人誌の文体」とか「商業誌の文体」とかいうものがあるのだろうか。同人誌の小説のように「へた」な文体(文章というべきだろう)という意味かもしれないが、同人誌の小説にうまい文章もあれば商業誌の小説にへたな文章もあるのは自明の理である。「年代記のような書き方」を退屈と感じるのは趣味の問題だろう。


 《しかし、僕たちは「橋本治」がそういう作家ではないことを知っている。だとすれば、この文体は退屈な人生を送る砺波文三その人なのだ。橋本治は、480枚の原稿と「橋本治」という固有名詞とを掛け金に、この小説を書いたのだろう。「作風が変わった」のではなく、砺波文三という文体を書いたのだ。「橋本治」という固有名詞には、そう信じさせるだけの強度がある。そこで逆説的に、作家は固有名詞を生きるのではなく、文体を生きるのだと言うことができる。》


 文体が砺波文三なのだ、とは意味がわからないが、年代記のような退屈な書き方は退屈な人生を送る砺波文三に見合ったものである、といいたいのだろうか。「作風」と「固有名詞」については、この時評の前段に関わる。夏目漱石の作風が前期と後期において同じ作家と思えぬほど変わったと読者は感じるけれども、それは「夏目漱石」という固有名詞に読者が「信頼」を寄せているからだ、と石原はいう。橋本治の場合も、わざと「へた」で退屈な文体を選んだと思わせるほど読者の信頼を得ている、といいたいのだろう(だが、「480枚の原稿と「橋本治」という固有名詞とを掛け金に、この小説を書いた」とはいったいどういう意味か。「掛けがね」でしょうね、まさか「掛けきん」ではないと思うけれども)。最後のフレーズも何がいいたいのかよくわからない。文体に着目したところはいいけれども、全体に意味不明の時評である。
 「リア家の人々」は、石原千秋のいうように「へた」でもわざと退屈に書いた年代記でもない。沼野充義東京新聞文芸時評*4で書くように「小説の書き方から見ると、正統的で奇をてらった仕掛けを用いない、堂々たる作品」である。沼野充義ならトルストイ的と評してもいいはずの古典的リアリズム小説であり、佶屈と紙一重の「年代記のような書き方」は『双調平家物語』の執筆を通じて鍛え上げたものである。
 リア(砺波)家の三人の娘たちは、それぞれ自分なりの論理と感情にしたがって生きている。父である砺波文三もまた自分なりの論理と感情にしたがって生きている。その齟齬を「悲劇」と呼ぶならば、何処にでも転がっている卑小な悲劇の一つにすぎない。内面に空虚を抱えた父と、おなじく内面が空洞の末娘とは一対の合わせ鏡である。砺波文三は娘たちに追い出されもせず、荒野をさまよいもせず、発狂もしない。ただ、「そうか」とつぶやくばかりである。ここにあるのは荘重な悲劇ではなく、人にも時代にも抗うことなく生きてきたひとりの男が築いた「家」の空疎さであり、それを自覚した男の諦念である。
 『生きる歓び』の自作解説で橋本治は、「ここには「生きることに対する積極的な歓び」というようなものはない。九篇に共通するものは、ある種の「あきらめ」である」と書く。


 《あきらめの美しさ、あるいはまた、あきらめの静けさというものが、九作品には共通して見られる。あきらめて生きるのではない。「あきらめることを静かに受け入れて、生きる歓びというものは、その後にゆっくりと現れるものだ」ということが、こうしたタイトルをつける作者のメッセージであるように思われる。》


 ただ、「そうか」とつぶやく砺波文三に「生きる歓び」が訪れたかどうかは問うところでない。

*1:『つばめの来る日』解説

*2:『生きる歓び』解説

*3:産経新聞3月28日朝刊。全文は、いまのところウェブで見ることができる。http://sankei.jp.msn.com/culture/books/100328/bks1003280923007-n1.htm

*4:東京新聞」3月31日夕刊