スポーツをする女――『パスキンの女たち』を読む



 先週の土曜、12月11日に北京で行なわれたフィギュアスケートのグランプリファイナル(ISU Grand Prix of Figure Skating Final)で、初出場の高校生村上佳菜子が3位に入賞した。16歳の新鋭のぴちぴちと躍動する演技を見ていると、安藤美姫鈴木明子はもとより、不調で欠場した20歳の浅田真央ですらもはや過去の選手と錯覚させるほどの勢いが感じられた。若さというものの残酷さをこれほどくっきりと見せつけられたのは久々のことだった。虫明亜呂無さんならどういう感想を持たれたろうか、と、ふと思った。虫明さんの新刊『パスキンの女たち』を読んだばかりだったからかも知れない。
 『パスキンの女たち』は、虫明さんの二冊のエッセイ集*1を編んだ高崎俊夫さんが、虫明さんが遺した小説から精選して新たに編集した短篇小説集である。短篇集『シャガールの馬』(講談社・78年刊)のような、スポーツを主題にした小説がおもに選ばれている。
 いま、「スポーツを主題にした小説」と書いたが、それらはスポーツ選手を主人公にした小説であるけれども必ずしもスポーツが主題であるとは限らない。スポーツをする人間を描くことがそのまま人間の本質を描くことに通じている、といったほうがいいかもしれない。むろんすぐれた小説であればすべて、主題がスポーツであれ武道であれ、あるいは主人公が画家や書道家や調理師であれ、かれらを描くことは人間の本質を描くことに通じているにちがいない。だが、虫明亜呂無の特異さは、人間の本質というにとどまらず、主人公が女性なら女性の本質といったものを鮮やかに提示している点にある。そういう作家はそれほど多くはいない。ここでいう「本質」とは本質主義におけるそれではなく、意識や心理の在り方の特質といった意味合いである。
 たとえば『パスキンの女たち』の巻頭におかれた「紅茶とヒース」は、高崎さんの〈編者あとがき〉を引用すれば「昭和三年、アムステルダムのオリンピック大会・女子八百メートルに出場し、銀メダルを獲得した伝説の天才ランナー人見絹江(ママ)をモデルにした小説で、七篇の中でも、傑出した名篇である」のだが、この人見絹枝の八百メートル走について虫明さんは『ロマンチック街道』(話の特集、79年刊)所収の「大理石の碑」において詳細に活写している。
 もともと百メートルの短距離ランナーであった人見は、レースの最初はスピードを抑え、第三コーナーでトップを行くラトケをとらえ、ラストスパートに入った瞬間、イギリスの選手と交錯し危うく転倒しそうになる。人見が体勢をたてなおした時、ラトケはすでにおよそ二十メートル先を走っていた。体力を使いはたした人見は朦朧とする意識をふりしぼり、ラトケを追う。十メートル、五メートルと差を縮め、あと一メートルの距離がどうしても縮まらないまま二人はゴールを通過した。


 「ラトケはゴールを通過し、テープを切った瞬間に意識を失い、コースの上に全身を崩れおとしていった。人見も倒れた。以下、ゴールに辿りついた九人の女子選手は全員が仰むけになり、両足を爬虫類のように空にむかってあがきつづけ、やがて、それも力つきて、手足を不自然に歪曲したまま腹を波うたせつつ、それぞれ失神状態に陥っていった。」


 あまりの過酷さに女子八百メートル走は、二十二年後のローマ大会で復活するまで中止されることとなったという。
 彼女が「世界の人見」になったのは、大正十五年にスウェーデンで開かれた第二回世界女子国際競技大会(通称女子オリンピック)に単身で出場したときからである、と『仮面の女と愛の輪廻』所収の「牧羊神の笛が聞こえる」で虫明さんは書いている。この大会で人見は100ヤード走3位、円盤投げ2位、走り幅跳び1位、立ち幅跳び1位、総合得点15点で個人優勝のみならず、20人近い選手を送った他国のなかで、たった一人で日本を4位に押し上げた。いかに優れたアスリートであったかが窺えよう。


 さて、人見絹枝をモデルにした「紅茶とヒース」は、スポーツをする女性を描いているけれども、先述のようにスポーツが主題の小説ではない。
 虫明さんは前述した「牧羊神の笛が聞こえる」というエッセイにおいて、女性の水泳選手を描いた「水からあがる時」という小説を発表したときに、男性読者から「女性の生理や、心理が理解できないという声をいくつか聞いた」と書いている。むろん女性の読者は抵抗なく受け入れたのだが、その小説は「ひとことでいえば、女性がいかによき男性と出会うことがむつかしいかを書いていて、水泳はその契機、もしくは、媒介、あるいは手段にしかすぎないのだが、男性読者(むろん文芸批評を専門とする男性をも含めて)は、水泳と女子水泳選手との関係をとらえた物語りとして読んでしまうらしい」とその理由を分析している。言い換えれば、かれらはスポーツが主題の小説であると思いこみ、女性の意識や心理の在り方を描いた小説として読むことができなかったというわけである。「世の男性はなかなか女性の意識や、心理や、言葉の内容を受けいれず、また、かりに受けいれたとしても、それは男性流に受けとり、解釈しているのにしかすぎない」と虫明さんは慨嘆しているけれども、それは、まあ、無理もあるまい。
 「紅茶とヒース」は次のような文章ではじまる。


 「里見楠枝が内藤完二から、「本を書いてほしい」と頼まれたのは、三月初旬の土曜日であった。
 夕暮れ時で、楠枝の所属するD新聞社会部運動課では、来年七月、アメリカのロサンゼルス市でひらかれる第十回オリンピック大会が財政困難から返上されるかもしれないという外電を特集記事にしているところだった。」


 この小説はロサンゼルス・オリンピック*2の前年、すなわち1931(昭和6)年に時代が設定されている。ラトケとの接戦の末、銀メダルを獲得したアムステルダム・オリンピックの三年後である。前年の1930年秋、プラハで行われた第3回国際女子陸上競技大会をはじめとする苛酷なヨーロッパ遠征で絹枝=楠枝は体調を崩し、結核の疑いがもたれていた。内藤はかつてのD新聞の同僚で、そこを解雇されていまは小さな出版社で働いている。ふたりは喫茶店「ボア」で十か月ぶりの再会をはたす。その十か月、すなわち楠枝のヨーロッパ遠征中に、「楠枝のもとに長く居た国子」が内藤の元へと走るといういきさつがあった。楠枝は内藤と会う前に化粧室で髪をととのえ、唇に紅をさす。


 「楠枝は紅を薬指のさきで唇にうすくとかしながら、化粧室の鏡にむかって、女には若さがあるかぎり、どんなものにも敗けはしないのだ、と、呟いた。」


 だが、病いにむしばまれた楠枝の顔は色つやを失い、膚にも張りがなかった。「楠枝は今更のように自分の衰えに狼狽した。それが消えると、疲労感が躯の奥からひろがってきた」。このとき、絹枝=楠枝は二十四歳になったばかりだったが、「若さがあるかぎり、どんなものにも敗けはしない」と呟きつつ自分にはその若さはすでに失われてしまっているという苦い自覚があった。この導入部だけで、この小説の主題が奈辺にあるかは明らかだろう。
 楠枝のもとを去った国子は、かつて喫茶店「ボア」でレジをやっていた。国子目当ての客がくるほどの「看板娘」だったが、客としてやってきた楠枝と目が合うと、「目の光に翳りが走り、蒼みをふくんだ顔の色に赤味がゆきわたった。楠枝はそれを官能に訴える刺戟として受けとめたものだった」。だが、その国子は楠枝のヨーロッパ遠征中に内藤と同棲していた。
 小説の最後になって、国子が楠枝を訪ねて来る。十か月ぶりに見る国子は、内藤の体臭を身にまとっていた。いや、楠枝には「なんとなく、そんな気がした」。国子は楠枝に「わたし変ったでしょ?」と挑戦的に問う。「変ったぐらいで、大きな顔しないでよ」という楠枝に向って、国子はこう言い放つ。


 「そう、昔どおり、図々しくてね、人の顔色うかがって、卑屈で、横柄で、蓮っ葉で、猫みたいに甘やかされると、いい気になって、つけあがって……出ていけというなら、今云ってよ。出ていくわよ」


 国子はいわゆる「小悪魔」タイプのコケティッシュな女で、類型的ではあるけれども楠枝の反射鏡としてたしかな存在感がある。ふたりの「痴話喧嘩」がしばらく続いてお決まりの和解となるのだが、途中で国子のこんな科白がある。長いが、そのまま引用する。


 「わたしを新しい女中と思えばいいじゃない。あんたにボアで、家にこないかと云われたときから、わたしはそう思ってればよかったのよね。わたしは自惚れてたのが、いけなかったのよね。あんたは、あんたの云うことを、いつでも、はいはい調子よく聞いてくれる人が必要だったのよ。あんたに、いつも自信をもたせる人がまわりにいなくちゃ、ならなかったのよね。そうじゃなくちゃ、女の身で、世界を相手に、あんな大きな仕事なんかできるもんじゃないわ。わたしは、もっと、早く、それに気づくべきだったわ」


 これは国子の科白でありつつ、虫明さんの女性スポーツ選手観を示したものといっていいだろう。女の身で世界を相手に大きな仕事をするトップアスリートとはいかなる存在であるのか。その「〈女性〉性」を描いて出色の短篇小説である。虫明さんにはたしか80メートルハードルの依田郁子について書いたエッセイがあったのではないかと思うが、依田郁子人見絹枝と同じタイプの女性だったような気がしないでもない(手許にある本を探してみたけれども見つけられなかった。あるいは勘違いかもしれない。だが、依田郁子はいかにも虫明的ヒロインではあるまいか)。
 アムステルダムのオリンピックで銀メダルを手にしたちょうど三年後の1931年8月2日に、人見絹枝は肺結核で24歳の生涯を終えた。先述の「大理石の碑」というエッセイで、虫明さんはこう書いている。
 「スポーツは、所詮エロチシズムの変形にしかすぎないのである」


パスキンの女たち

パスキンの女たち

*1:『女の足指と電話機』『仮面の女と愛の輪廻』、ともに清流出版刊。

*2:第10回ロサンゼルス・オリンピックに競艇選手として参加した田中英光は、自らの体験をもとに「スポーツ小説」の先蹤となる名作『オリンポスの果実』を発表した。