巻措くあたわざる『日活アクション無頼帖』


 さて、その『日活アクション無頼帖』であるけれども、坪内祐三が「無茶苦茶面白い」というのは別段オオゲサでもなんでもない。この本を評するに余人をもってしてもそれ以外に書きようがないのであって、帯の<カルトムービー『野獣の青春』『危いことなら銭になる』はいかに作られたか?>というキャッチコピーを見ると映画製作の舞台裏を書いた本かと思う人もいるかもしれないが――もちろんそれはマチガイないのだけれど、ま、要するに全編これ映画屋たちのゴシップで埋めつくされた抱腹絶倒の読み物なのである。ある種のゴシップ好きにとってはたまらない奇書だろう。
 この本を企画編集したのは畏友・高崎俊夫。高崎サンはこの本のあとに花田清輝映画論集『ものみな映画で終わる』をつくり、その前には、『ロバート・アルトマン わが映画、わが人生』や、ジョン・ヒューストンの自伝『王になろうとした男』を手がけ、松本俊夫の名著『映像の発見』を復刻するかと思えば中条省平が中学生の時に伝説の映画雑誌『季刊フィルム』に発表した映画論を発掘収録した『中条省平は二度死ぬ』を編集するなど、フリーランスで名著傑作を江湖の読者にちぎっては投げちぎっては投げと八面六臂の活躍をするタンゲイすべからざる人物なのである。その高崎サンがプロデュースした『日活アクション無頼帖』は、かつて、そう、もう四半世紀も昔になるけれども高崎サンと私とが二人で編集していた映画雑誌に連載されたもので、その頃<日本映画の黄金時代>という特集を組んだことがあって、それはタイトルから想像されるようなかつての小津・溝口・成瀬の時代を偲ぶというものではさらさらなく、いま現在こそ「日本映画の黄金時代」ではないかという逆説的かつ挑発的意図を込めた企画で、小津の助監督を務めた(『絢爛たる影絵』を出したか出す前だったかの)高橋治さんに原稿を書いてもらったりしたのだったがそれはさておき、たしかその特集の後だったと思うけれども、高崎サンがある企画を私に持ちかけたのだった。鈴木清順の『野獣の青春』や岡本喜八の『殺人狂時代』の脚本を書いたシナリオライター山崎忠昭さんに日活アクション映画の裏話を書いてもらったらどうかな、きっと面白い連載になると思うんだけど。高崎サンも私も、小津・溝口・成瀬はむろん偉大な監督として尊敬するけれども同時代の映画監督ではなく、私たちが映画にのめり込んでいた頃、すなわち、清順さん、パキさん(藤田敏八)、クマさん(神代辰巳)、マッさん(舛田利雄)、そして中平康蔵原惟繕斎藤武市野田幸男長谷部安春エトセトラといった日活映画の生きのいい監督たちの作品を同時代にあるいはちょっと遅れて名画座で追いかけて見まくっていた頃こそ我らが「日本映画の黄金時代」だったという思いがあって、私は一も二もなく賛成したのだった。そのあたりのことを高崎サン自身がこの本の編者あとがきで次のように書いている――。


 「毎回、取り扱うテーマも多彩で、たとえば、往年の才気煥発な中平康監督の回想や、ホン読みのシステム、プロットライターという職能についてのひねりのきいた考察、不遇時代の神代辰巳監督や長谷部安春監督との関わりなど、撮影所に出入りしていた人間にしか書けない生々しいエピソードばかりである。今や伝説となっている新宿の酒場「三角ユニコン」に集う奇人変人たちの言動も、一九六〇年代という騒乱時代の熱っぽい雰囲気をあざやかに伝えてくれている。なかでも日本浪漫派の末裔ともいうべき作家・批評家、虫明亜呂無氏のスケッチは、際立って印象的である。」


まさにその通りでこれ以上何も付け加えることはないけれども、高崎サンが「際立って印象的」と評する虫明亜呂無――日本浪漫派の末裔かどうかは知らないが、三島由紀夫を驚嘆させた文章力で彼の名作『スポーツへの誘惑』や『愛されるのはなぜか』といった批評的エッセイや、「ペケレットの夏」「シャガールの馬」といった素敵な短編小説に手をそめる以前の――に関するくだりを抜き出しておこう。附け加えるなら、かつて私は虫明亜呂無のスタイリッシュな文章にいかれてた時期があって、手に入るかぎりの本を蒐めてひとしきり耽読した。十数年後に玉木正之が編者となって筑摩書房から全三巻の選集<虫明亜呂無の本>をまとめ、それはちくま文庫にもなったけれども、単行本に収録されていない文章はまだたくさんあるはずだ。たしか78年頃ではなかったかと思うが、かれがスポニチに連載していたエッセイを切り抜いてしばらく保存していたのだがいつのまにやら散逸してしまった。すばらしいエッセイだった。
 アダシゴトはさておき、まだ売れない前の、「映画評論」編集部に屯していた頃の虫明亜呂無と新宿の酒場「三角ユニコン」で飲んだあと、誘われるままに深夜の虫明宅へ押しかけたヤマチューさんは、さぞや書斎には鬱蒼とした万巻の書が辺りを睥睨しているにちがいない、と思って書斎とは名ばかりのおそろしくセセコマシイ小部屋をのぞくと古道具屋で買って来たような粗末な本棚が一つぽつんと置いてあるだけで、そこには大学ノートがぎっしりと所狭しと詰め込まれていた。虫明さんが席を外したすきにヤマチューさんがその一冊を抜き取って開くと、そのノートには古今東西のあらゆる書物からの抜き書きがびっしりと書き込まれていた――。むろん、そのオンボロ書棚のノートのどれもこれもがすべて抜き書きで埋め尽くされていたのは言うまでもない。なにやらボルヘス的挿話を思わせもするけれども、ボーゼンとしているヤマチューさんに虫明さんは「わが家秘伝のラーメン」を厳かに運んできた。見るとそれはどこにでもある安手のインスタントラーメンで、ゲッソリしたヤマチューさんが我慢して一口すすると、こはいかに、いまだかつて味わったことのない芳香と味覚とが口の中いっぱいに広がってゆく。唖然としているヤマチューさんに「そのラーメンには、上質の香油が入っているのです。これだけが、ま、わが家の自慢でしてね」と虫明さんは静かにほほ笑むのであった。
 つづけてヤマチューさんは虫明さんが打ち明ける「秘中の秘ともいうべきエピソード」を紹介する。それは松竹ヌーベルバーグの監督のひとりで特に名を秘す篠田正浩と、かれと世紀の結婚をはたした女優で特に名を秘す岩下志麻にまつわるエピソードで、虫明さんいわく「実はね、山崎くん。あの才匠Aくんと大女優B子ちゃんは、僕がいなければおそらく夫婦になっていなかった筈なんです。いや、というよりあの二人は、僕が結びつけた、と言った方が正解でしょうな。これからする話は、ぜったい他言無用。ここだけの話にしておいて下さいよ。いいですね山崎くん?」
 以下、次号へつづく。というわけで、むろんヤマチューさんは次号でその絶対他言無用のエピソードを詳細に語ってくれるわけであるけれども、いやはや、自分の編集する雑誌ながらこれほど次号の出るのが待ち遠しかったことはこれ以前にもこれ以後にもない。ヤマチューさんの軽妙な筆致には遠く及ばないけれども「無茶苦茶面白い」この本の魅力の一端のそのまた一端ぐらいはお伝えできただろうか。この調子で紹介しているとこの本まるまる一冊を書き写してしまいそうでおそろしいが、前回まで話をもどして坪内祐三の『四百字十一枚』を読んでいてこの『日活アクション無頼帖』を思い出したのは、交通事故で亡くなった小説家山川方夫の告別式にヤマチューさんがわけもわからず出席したというエピソードに関連することで、それがどこでどうつながるかを説明しはじめると話が長くなるので以下詳細は次回にて――。


日活アクション無頼帖

日活アクション無頼帖