2006-04-01から1ヶ月間の記事一覧

静かな日――中村昌義という小説家(その1)

1 中村昌義という小説家がいる。いや、いたと言うべきか。一九八五年一月十三日、二冊の短篇小説集と一冊のエッセイ集を遺して中村はこの世を去った。享年五十三。死因は胆嚢癌の再発だった。 私はこの小説家とおそらく一度だけ声を交わしたことがある。 大…

キルヒベルクの鐘――翻訳詩の問題(5)

1 高橋睦郎の『言葉の王国へ』*1は、おもに年少の頃の書物との出合いを綴った一種の自伝的読書ノートとも呼ぶべきエッセー集で、高橋睦郎の著書のなかで私のもっとも愛読する本である。リルケとの出合いを回想した件で高橋は、中学の国語教師に「上智大学で…

光にむかつて歌つてゐる――翻訳詩の問題(4)

「文学的技巧という点から見るならば、この作品はこの時代のもっとも目ざましい作品の一つであって、スインバーンと同様に詩的であり、かつ技術的にはスインバーンよりもはるかに見事な完璧に到達している。」*1 こう書くのはG・K・チェスタトン。「この時…

詩は何処にあるか――翻訳詩の問題(3)

1 福永武彦の『異邦の薫り』は、森鴎外の『於母影』を皮切りに、明治〜昭和期の代表的な訳詩集を採り上げて紹介したエッセイ集で、「婦人之友」に一年間連載された十二篇にもう一篇を加えて一本としたもの(麺麭屋の一ダースですね)。篠田一士のいう五大訳…

『洛中書問』――翻訳詩の問題(2)

1 詩の翻訳は詩であるべきか否か。この問題をめぐって上田敏の訳詩を批判した折口信夫に篠田一士が加担したのは、一に戦時下に行なわれた吉川幸次郎と大山定一との往復書簡、『洛中書問』に係ってのことである。 篠田一士の『現代詩大要 三田の詩人たち』は…