2006-12-01から1ヶ月間の記事一覧

瞋る人――結城信一と会津八一(その3)

1 「會津八一ほどエピソードの多い人間は珍しいのではないか」と、工藤美代子は『野の人 會津八一』のあとがきに書いている。このひと月ほど、八一の本、八一に関連する本を十数冊、机上に置いてあれこれと拾い読みをしてきたけれども、多彩な挿話が何人も…

『石榴抄』小感――結城信一と会津八一(その2)

1 「私のこの小文の究極は、八朔先生と、きい子との結縁(けちえん)に就いて語ることである」と、冒頭近くで述べているように、結城信一の『石榴抄』は、八一が絶唱「山鳩」に詠った養女きい子と暮した日々を描いたものである。 曾宮一念が随筆「落合秋草…

結城信一と会津八一

結城信一は高等学院で会津八一に英語を教わった、と前回書きしるした。結城信一が早稲田高等学院に入学したのは昭和九年(1934)で、この頃、秋艸道人会津八一は早稲田大学文学部の教授であった。高等学院にも出講していたのだろう。『作家のいろいろ』…

岩本素白と結城信一

以前書いた「「槻の木」の人々――岩本素白素描」(2006-03-12)が偶々来嶋靖生さんの目にとまり、「槻の木」11月号の「その後の「素白先生」」という文章で来嶋さんが引用してくださった。素白が随筆の発表の舞台とした「槻の木」に拙文が掲載されるとは畏…