2014-06-01から1ヶ月間の記事一覧

『神聖喜劇』そして/あるいは『ボヴァリー夫人』

『神聖喜劇』読了の余熱のなかにいまも佇んでいる。文章を書くと、つい、パーレン(この丸カッコのこと)のなかに補足説明をしたり、自分の書いた文章をカギカッコで引用したり、と大西巨人的文体にどっぷりと浸っている。影響を受けやすいんだね。才子なら…

『神聖喜劇』独語

大西巨人『神聖喜劇』を読み終えた。全五巻全八部(400字詰原稿用紙約4700枚)を読了するのにおよそ二ヶ月かかったことになる。一巻につき十ないし十五ヶ所に附した附箋のうち、幾つかについて(このたびも)心覚えにしるしておきたい。 第一巻第二部「第三 …

もし愛なくば――承前

前回、大西巨人『神聖喜劇』の「奇妙な間の狂言」について書いた折に『トニオ・クレーゲル』の引用文にいささか腑に落ちぬ点があった。「詩人になるためには、何か監獄の類に通暁している必要がある」というトニオの科白の「何か監獄の類」という比喩が何に…

憧憬と軽蔑――「絶望の花」としての芸術

頃日、大西巨人『神聖喜劇』を久方ぶりに再読している。部分的な再読は折にふれ何度かおこなったが、全巻の通読はなにしろ数十年ぶりのことである。再読して新たに気づくことも多々あり、きわめて有益かつ充実した読書体験のいまも直中にある。このたび興を…