2006-07-01から1ヶ月間の記事一覧

カラスか光か――大江健三郎調書

もう十年ほど昔のことになるけれど、その頃勤めていた出版社の海外出張で一週間ほどフランクフルトのブックフェアへ行ったことがある。ついでに、これも仕事でパリからアムステルダムへと足を延ばした。こちらはいずれも一日、二日の短い滞在だったが、パリ…

雨降りしきる――中村昌義ふたたび

上坂高生の小説集『雨降りしきる』を読んだ。 上坂高生は私には懐かしい名前である。学生の頃、五木寛之のなにかのエッセイで上坂高生の『冬型気圧配置』という題名の小説集を知り、妙に心惹かれて手にしたことがある。いまはもう手もとにないけれども、小さ…

幸いなるかな滑稽なる者よ――大江健三郎と中野重治

いささか旧聞に属するというべきかもしれないが、先月、六月二十日の朝日新聞朝刊に掲載された大江健三郎のエッセイ「定義集」(月に一度の連載)に感ずるところがあったので書いておきたい。 1 「それが敗戦に向かう年から戦後数年にかけてだったことを不…

板倉鞆音の翻訳観――翻訳詩の問題再説

板倉鞆音の輪郭が徐々に明らかになってきた。このブログでも板倉鞆音の訳詩の素晴しさについて数度にわたって書いてきたが、それに呼応して板倉の詩や訳詩などを高遠弘美氏がブログ*1で精力的に紹介に努めてこられた。そして高遠氏の若い友人たちの尽力によ…