カラスか光か――大江健三郎調書


 もう十年ほど昔のことになるけれど、その頃勤めていた出版社の海外出張で一週間ほどフランクフルトのブックフェアへ行ったことがある。ついでに、これも仕事でパリからアムステルダムへと足を延ばした。こちらはいずれも一日、二日の短い滞在だったが、パリでは書肆ガリマールで商談、アムステルダムではゴッホ美術館のキュレーターと会談したのだけれど思いがけなく話が長引いて美術館へは足を踏み入れることができなかった。美術館は折悪しく改修中で生憎とゴッホの絵は一枚も見ることができなかったが、翌日レンブラントの生家を美術館にしたレンブラントハウスでレンブラントの版画を見られたのがせめてもの慰めだった。レンブラントハウスの地下にあったお手洗いの男女それぞれのドアには、小用をたす男女それぞれの版画が掲げられていて、その遊び心が気に入ってミュージアム・ショップで絵葉書を買い求めた。絵柄が絵柄だけにしばらく使わず手もとに置いていたが、いつのまにかなくなってしまった。
 フランクフルトのブックフェアでは、たしかアイスランドだったかの出版社の人と話をしたことがある。大江健三郎ノーベル文学賞を受賞した翌年ぐらいのことで、大江なら名前ぐらいは知っているだろうと思い、ちょうど読んだばかりのノーベル賞受賞記念講演を収録した『あいまいな日本の私』から、次のようなエピソードを紹介した。むろん英語の話せる同僚の通訳を介してである。手許にその岩波新書が見当たらないので正確な引用ではないがこんな話である。

 大江は、シモーヌ・ヴェイユの本でイヌイットの民話を読んだという。昔々、世界は闇に閉ざされていた。あたりは真っ暗なので鳥たちは餌を探すこともできない。あるとき、一羽のカラスが「光あれ」と言った。すると、世界に光がみちた。大江はこの民話がいたく気に入り、自分の子どもが生まれたとき、お母さんにこう相談した。子どもの名前をカラスか光かどちらかにしようと思う。するとお母さんはきっぱりと「カラスにしなさい」と言ったという。
 日本人の聴衆なら、ここで笑いが起こるところである。通訳をしてくれた女性も思わず笑いながらアイスランドの彼にこう話した。大江さんはお母さんの答えにすっかりしょげてしまって「光にします」と言ったそうです……。だが彼は怪訝そうな面持ちで、なぜしょげるのですか、と問いかけた。私たちは、日本ではカラスは害鳥と見なされていて、そもそも子どもにカラスと命名する例はほとんどないのだ、とわざわざ説明しなければならなかった。
 烏丸せつこ、という女優さんがいるけれど、カラスという名前の日本人はそうはいないだろうと思う。だが西欧では、あるいはカラスという名は珍しくないのかもしれない。これもファミリーネームだけれど、フランツ・カフカカフカ(Kafka)はチェコ語のカラス(Kavka)と同じ発音である。たしかカフカの父は商いをしていて、カラスのイラストを商標にしていたはずだ。
 カラスではなく光と名づけられた赤ん坊が『個人的な体験』以降現在にいたる大江健三郎の小説の核となってゆく(『個人的な体験』で脳に障害をもつ赤ん坊を生むことになる主人公は鳥(バード)と名づけられていた)。前々回、大江の滑稽さにふれて「カフカの小説がそうであるように、大江の小説もその滑稽な側面を不当に無視されてきた」と書いたけれども、大江の小説はシリアスな小説であればあるほど滑稽という光源から照射してみる必要があるのではないか、と私は常々思っていた。「朱色の塗料で頭と顔をぬりつぶし、素裸で肛門に胡瓜をさしこみ、縊死した」男の出てくる話をしかつめらしい顔で論じるのはそれこそ滑稽ではあるまいか。バフチンのいうグロテスク・リアリズムの視点から大江の小説総体を解読する試みがそろそろ出てきてもいいのではないかと思う。
 大江がバフチンロシア・フォルマリズムの文学理論に学んだのは山口昌男を通じてで、文学エッセイ『小説の方法』*1がそのマニフェストである、ということになっている。したがって『ピンチランナー調書』あたり以降から意識的にそうした作品を書き始めたと言われているけれども、実はもっと以前から、いわば小説を書き始めた最初から大江の小説は「道化の文学」であった、というのが私の考えである。大江が『小説の方法』を発表したとき、「遅れてきた構造主義者」だとさんざん揶揄されたものだが、彼は構造主義が登場する以前から構造主義者であり、フォルマリズムを知る以前からフォルマリストであったのだ、と私は思う。異化を知りトリックスターを知ったとき、大江は自分の無意識を言い当てられたような思いがしたのではあるまいか。
 大江の全小説を「道化の文学」として読みなおすことは、大江自身が『小説の方法』で、大岡昇平の『野火』をトリックスター神話と重ね合わせて解読してみせたように、ポスト構造主義的ないわゆるテキスト主義的読解ということになるかもしれない。だが、たとえば――あれは『新しい人よ眼ざめよ』の一場面であったか――プールで息子のイーヨーが溺れかけているときに父親がブレイクの詩篇を思い浮かべているという場面について、吉本隆明がそんな馬鹿なことはありえないといった意味の批判をしたような文学的風土にあっては、テキスト主義もまだまだ棄てたものじゃないと思わざるをえない。窮境にある無力な男の滑稽さにおいて、ブレイクを脳裡に思い浮かべる父親と、中野重治描くところの「おどる男」とはそれほど径庭がないと私は思う。
 「あいまいな日本の私」というタイトルは、言うまでもなく同じくノーベル文学賞を受賞した川端康成の「美しい日本の私」のパロディであるけれども、同時に両義的人格であるトリックスター宣言をも含意していたはずだ。大江が『小説の方法』で引用している、山口昌男の『トリックスター』解説を掲げておこう。


 「道化=トリックスター的知性は、一つの現実のみに執着することの不毛さを知らせるはずである。一つの現実に拘泥することを強いるのが、「首尾一貫性」の行きつくところであるとすれば、それを拒否するのは、さまざまな「現実」を同時に生き、それらの間を自由に往還し、世界をして、その隠れた相貌を絶えず顕在化させることによって、よりダイナミックな宇宙論的次元を開発する精神の技術であるとも言えよう。」


 この「精神の技術」は、大江がサルトルを通じて初期の頃から文学の要諦としてきた「想像力」と通底するものだろう。さまざまな現実、さまざまな世界を自由に往還できるのはひとり想像力のみである。ミクロコスモスとしての森に囲まれた谷間の村というトポス、天上の世界と地上の世界とをつなぐ宇宙樹、レイン・ツリー、死者の浮ぶ水槽、魂におよぶ洪水、したたる水、水、水のイマージュ。
 ふりかえれば大江健三郎は「われらの時代」の文学のトップランナーでありつづけてきた。むろん今でもそれに変りはないけれども、現代文学トップランナーであるもうひとりの小説家の書いた「カラスと呼ばれる少年」を主人公とした長篇小説を、いま、私は思い浮かべている。ふたりの小説家の世界を自由に往還し、その差違と同一性とを顕在化させることは、ひとり文学のみならずいま私たちが生きる現実にとっても有効な力となりうるのではないかと考えているところである。

*1:大江健三郎『小説の方法』岩波書店、一九七八年