言語・法・貨幣――岩井克人『経済学の宇宙』を読む



 今週の「週刊文春」の「私の読書日記」(リレー連載)で、鹿島茂岩井克人の新刊『経済学の宇宙』を見開き頁の3分の2以上のスペースを費やして取り上げている。私の知る限り、同著の最初の書評であり(明日、日曜の新聞各紙の書評欄のいずれかに書評が掲載されるかもしれない)、鹿島はその概要を手際よくまとめている。
 本書は、日経新聞の経済解説部編集委員の前田裕之が聞き手となって岩井が語り下ろしたもの。岩井経済学の骨子は、不均衡動学、貨幣論、法人論であるといっていい。それらについてはすでに何度も岩井自身によって語られており、三浦雅士を聞き手とする『資本主義から市民主義へ』(ちくま学芸文庫)もある。じっさい、本書『経済学の宇宙』は『資本主義から市民主義へ』の焼き直しであるとの批判もありうるだろう。だが、本書の後者と異なる独自性を挙げれば、ひとつは、これが岩井の自伝ともなっているという点にある。
 岩井は、中学生の頃に「SFマガジン」が創刊され、50年代アメリSF小説を読みあさったと語っている。1947年生れの岩井はわたしの姉とほぼ同世代である。わたしの姉も創刊されたばかりの「SFマガジン」を毎月購入し、おかげでわたしも、わたしの弟もめでたくSFファンになった(弟は「マニアの道」に進み、ポケットブック版「ハヤカワ・SF・シリーズ」を全巻揃えるに至った)。岩井はSF小説を中学で卒業し、高校に入ってプルーストトルストイドストエフスキーらに親しむ「文学好き」となる。東大に入学し、「駒場文学」(文学サークル)に顔を出し、五月祭賞(大江健三郎が「奇妙な仕事」で入選し、東大新聞に掲載されて実質的なデビュー作となった)に小説を応募したりもするが、高校生で出合った宇野弘蔵の本によって経済学を専攻する。
 経済学部ではマルクス経済学が圧倒的に優勢だった、と岩井はいう。わたしは岩井が学部を卒業した翌年に大学に入学したが、わたしの入った大学ではもはや近代経済学が圧倒的に優勢だった。三年生からゼミに所属することになっていたが、近経のゼミの志望者には面接があり、成績が優秀でないと入れないと噂されていた。わたしは、ほとんど大学に顔を出さない落ちこぼれの学生だったが、もとより近経には関心がなく、一人しかいないマル経の先生のゼミを志望した。そのゼミには、近経ゼミに落とされてしょうがなくやってきたような学生ばかりが集まっていた。わたしは二年次を終えたあと丸一年ドロップアウトしてアルバイトに明け暮れる生活をしていたこともあって、彼らとは馴染めずにひとりで資本論を読んでいた(ゼミ生のコンパやゼミ旅行などがないのはありがたかった)。
 岩井は東大を卒業するとMITの大学院に入学し、そこで博士号を取得し、イェール大学の助教授に就任する。わたしはいままで岩井を典型的なエリートの秀才だと思っていたが、岩井自身によると挫折の連続であったということになる。新古典派経済学(近経)の優勢なアメリカの学会で新古典派批判をおこなうこと、研究に没頭して論文を量産できないこと、それらはアメリカの大学における居場所を自ら狭めることにほかならなかった。だがそのことによって逆に、岩井は独自の貨幣論、法人論、信任論へと研究を進めることができたのである。アメリカの大学で折り合いをつけながら教授になっていたら、いまの岩井資本主義論に至ることができたかどうか。人間万事塞翁が馬
 さてもうひとつ、『経済学の宇宙』が『資本主義から市民主義へ』と異なる独自性を挙げれば、それは聞き手の存在である。三浦雅士は頭がよく勉強家でもあるので、岩井の言いたいことをよく理解して、ときには先回りして解説してしまうことも少なくない。インタビューでありながら、対談に傾きがちである。一方、『経済学の宇宙』の前田裕之はほとんどおもてに姿を現さない。ときに、短いが的確な要約を差し挟むだけだ。前田は、東大で岩井のゼミ生であったから、岩井の言いたいことは十分に理解しているはずだ。だが、ここではおそらく「頭の悪い聞き手」を演じて、岩井から言葉を引き出す役目に徹している。語り手は、聞き手が納得していなければ言葉を尽くして説明しようとするが、すべてを理解している聞き手には言葉少なにしか語らないものである。


 本書『経済学の宇宙』は、岩井理論のこのうえない手引書である。その真髄は岩井独自の「言語・法・貨幣」論にある。人間は言語・法・貨幣によって社会を形成する生き物だが、それらには根拠がない。言語はそれらが使われている社会のなかで言語として流通しているから言語としての意味を持ち、法もそれが法としてその社会で認められているから法としての意味を持つ。貨幣もまた同様である。それらは「自己循環論法」によって支えられている。「自己循環論法」とは、それに根拠がないということが唯一の根拠であるような存在をさす。すでに『資本主義から市民主義へ』などによって示された岩井理論だが、本書はそれをさらに丁寧に懇切に解き明かしているといえよう。同著や『二十一世紀の資本主義論』『会社はこれからどうなるのか』などを読んだ読者にも本書は新たな発見をもたらしてくれるだろう。
 わたしは十年ほど前に二度ばかり岩井の謦咳に接したことがある。一度はわたしの関わっていたセミナーのゲストスピーカーとして。もう一度は、わたしの編集した本の座談会の出席者として。そこで岩井の語った「信任論」にわたしはつよい印象を受けた。それは法人論における「信任」の論理を環境論に応用したものだった。
 岩井が現在到達した「言語・法・貨幣」論のさらなる考究と、「市民社会論」――法が支配する国家にも、貨幣が支配する資本主義にも繰り込まれていない第三の領域(前田裕之による要約)――の展開を期待してやまない。


経済学の宇宙

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