由良君美のつづき



 平凡社ライブラリー版『椿説泰西浪漫派文学談義』が刊行された。カバー装画はブレイクの「エルサレム」。平凡社ライブラリーのシリーズにしっくりと馴染んでいる。慶賀の至り。
 原本の青土社版(1972年刊)は縦長の四六変型判で、透明の合成樹脂カバーに書名・著者名・イラストレーションが印刷された、いま見ても洒落た装丁・造本だった(装本・長尾信)*1。ライブラリー版は青土社増補版(1983年刊)を底本としたもので、増補版のカバーもブレイク(「ヨブ記挿画集」)を使っていた。
 平凡社ライブラリー版には巻頭に若かりし頃(三十代か)の著者のポートレートが掲げてある(セクスィー部長沢村一樹ふうのイケメン)。帯の「すこしイギリス文学を面白いものにしてみよう」という文句は、本書巻頭のことば。つまり、雑誌連載第一回目「類比の森の殺人」のイントロなのだが、これが旧套の英文学界に投げかけられた、いかに挑発的な文句であったかは、ライブラリー版解説で高山宏が縷説している。ちくま文庫版『みみずく偏書記』の解説が富山太佳夫で、ユラキミ門下2トップの揃い踏み。
 というわけで、まずは高山さんの解説を読んだのだけれど、高山さんの文ではじめて二宮隆洋氏が亡くなられていたと知ってびっくり。あわててネットで検索すると、4月15日に亡くなられた由。このところAmazon書評の更新は滞っていたものの、『フランシス・イェイツとヘルメス的伝統』に続いて三月にイェイツの『ジョン・フローリオ』の翻訳も出されて、翻訳や編集でこれからますます活躍されると思っていたのに。わたしと同年だが、博学博識かつ一家言もつ編集者として仰ぎ見ていた人だ*2。さきに中野幹隆逝き、いままた二宮隆洋逝き、人文学書の前途に俄かに暗雲がたちこめたような気分。しんとした寂しさにおそわれる。
 高山さんの解説は「修羅の浪漫」と題されている。なぜ「修羅」なのか。わかる人にはわかるとばかり知らんぷりを決め込んでいるが、『超人 高山宏のつくりかた』なる“知的自伝”にこうある。「『修羅』君美」。由良君美に「恐ろしく呪われた男」と評された師弟の葛藤は、同書にその一端が記されている。
 ともあれ、まずは『椿説泰西浪漫派文学談義』一巻の白眉、わたしのもっとも好きな「サスケハナ計画」から「啓示とユートピア」にかけてのくだりを読み返す。ペンシルベニア州北部サスケハナに、若き日の詩人コールリッジが盟友サウジーとともに夢見たユートピア〈パンティソクラシー〉の顚末から、エルンスト・ブロッホトーマス・ミュンツァーを介してブレイクに〈ランターズ〉(宗教改革異端派)の「終末論的思考と千年王国思想」の顕現を見るといった、由良君美風にいうなら神秘主義的ラディカリズムの地下水脈を語った高踏講談は何度読んでもおもしろい。
 以前、澁澤龍彦展なるものに出かけたことがある。そこに展示されていたものの殆どすべてが既知のもので、おもわず笑ってしまった。ようするに、「青少年」だったわたしがいかに澁澤のおおきな影響下にあったかを如実に見せつけられたからだ。そして、ブロッホやミュンツァーやブレイクや、あるいは本書「幻想の地下水脈」の章に出てくるクルチウスやドールスやホッケや、その他ゴシック趣味にかかわるすべてをわたしは由良君美の本で教わった。前々回、「由良君美は自分のからだのなかに血肉となって残っている」と書いたのはそういう意味である。だから、澁澤龍彦にかんしても、全集も持っていないし、続々と刊行される文庫本もほとんど手に取ったことはない。平凡社ライブラリー版『椿説泰西浪漫派文学談義』は、かつての澁澤龍彦展と同様に、つよい懐旧の念いを抱かせずにはいない。そういう人はわたしと同世代に少なくないだろう。
 ちなみに「サスケハナ計画」で言及されるブロノフスキーの『ブレイクと革命の時代』を、ライブラリー版では邦訳題『ブレイク 革命時代の預言者』に変えて書誌情報を注記しているのはよいけれども、訳者の高橋進は高儀進の誤記。それに、邦訳書を明示するならその9頁後のノーマン・コーン『千年王国の追求』になぜ紀伊國屋書店刊の江河徹訳を注記しないのか。中途半端な書誌ならつけないほうがいい。この二冊とも、由良君美に教わらなければわたしは読まなかっただろう。
 来月はホッケの『文学におけるマニエリスム平凡社ライブラリー版が刊行されるそうだ。すばらしい。現代思潮社から出た単行本(原綴、ルビ、山カギの頻出する種村季弘のマニエリスティックな翻訳)は二分冊だったが、今度はどうだろうか。一冊ならミシェル・レリス『幻のアフリカ』ほどの特大巻になるかもしれない。『幻のアフリカ』は二分冊にすべきだったと二宮隆洋氏はAmazonで評していたが、わたしはそうは思わない。二冊にすると総定価が割高になるからである。
 平凡社ライブラリーの一層の健闘を祈る。

椿説泰西浪曼派文学談義 (平凡社ライブラリー)

椿説泰西浪曼派文学談義 (平凡社ライブラリー)

*1:ユリイカ叢書として同様の装本で、種村季弘アナクロニズム』『錬金術』(R.ベルヌーリ著)、大岡信『彩耳記』、饗庭孝男『神なき詩の神学』、植草甚一『ぼくがすきな外国の変った漫画家たち』(これはA5変型判)、クレマン・ボルガル/窪田般彌訳『ボードレール』などがシリーズとして出ていた。このユリイカ叢書はいったい何冊出たのだろう。

*2:『超人 高山宏のつくりかた』(NTT出版、2007)にこう書かれている。「平凡社の二宮『天皇』が退社する時、いかにも彼らしく、観念史、ヴァールブルク系、精神史、そして『中世原典集成』と、はっきり色を持った膨大な彼担当企画のめくってもめくっても出てくる途方もないリストを配ってくれたが、その何分の一かに係ったことを誇らしく思う。」