スタイナーのつづき、あるいは由良君美と山口昌男



 George Steiner at The New Yorkerを読んだのをきっかけに(原著を読了したというわけではありません、為念)、スタイナーの本を引っ張り出し(『脱領域の知性』も出てきた)、あれこれとつまみ食いならぬつまみ読みをした。読書の至福とはこういうことなのかと改めておもった。かつては「お勉強」のために読んだ本だが、そうした「邪念」をわすれて気儘に拾い読みをすると、こんなに愉しい読書はまたとない。ロラン・バルトはこうした快楽のことをプレジールと呼んだのじゃなかったっけ。
 古本としてはそれほどめずらしい本ではないけれど、一般にはあまり見かけないスタイナー関連書に『文学と人間の言語』という本がある。「日本におけるG・スタイナー」というサブタイトルからわかるように、スタイナーが来日した際の講演や対談、セミナーの報告などを収めた本だ。招聘したのは慶應義塾大学で、そのせいでこの本が池田弥三郎編となっているのが微笑をさそう。版元は慶應義塾三田文学ライブラリー。
 スタイナーの来日が当時一部で関心をもたれたのは、同書に収録されたスタイナーと加藤周一との公開対談のせいである(初出は雑誌「世界」)。こうした場合によくあるような、相手に気を遣った儀礼的な対談でなく、加藤周一は真っ向からスタイナーに論争を挑んだ。歯に衣着せぬ舌鋒は、ときにスタイナーをたじろがせ、録音テープを起こした対談に<激しい言い合いのため聴取不能>と三たび記された。対立点を一言でいえば、マルクス主義の命運ということになろうか。
 ときは1974年、パリ五月革命後の急速に沈滞してゆく西欧の反体制運動の気運のなかで、コミュニスムの理想はいかに実現可能かをめぐって、ふたりは鋭く対立した。スタイナーのペシミスムにたいする加藤周一のオプティミスム。むろん、加藤周一のオプティミスムは、「英知においてはペシミスト、だが、意志においてはオプティミストたれ」とグラムシのいう「意志としてのオプティミスム」である。
 対談では、司会をつとめた由良君美がついに見かねて、論争に介入するといった事態もあった。いまでは「脱領域」といってもごく普通に通じるだろうが、スタイナーの著書 Extraterritorial(治外法権の、といった意味)に「脱領域の知性」という絶妙の邦題を与えたのは、ほかならぬ由良君美である。スタイナーの日本への紹介とその招聘に尽力した由良君美の心中はいかばかりであったか。あるいは逆に、面前で繰り広げられる激論を、由良君美はしてやったりと超然と眺めていたのだろうか。


 わたしは学生の頃、右手に由良君美、左手に山口昌男、といった時期を過ごしたことがある(右手に花田清輝、左手に吉本隆明、といった時期のあったことは、以前、すこし触れた)。そんなことを、このたび文庫本として復刊された『みみずく偏書記』の、山口昌男著『本の神話学』への書評を読み返しておもいだした。わたしがのちに勤めることになる書評紙に寄稿されたもので、短いながら簡にして要を得たお手本のような書評である。由良君美は書評でこう書いている。


 「ピーター・ゲイの『ワイマール文化』の訳しぶりから始まった話が、みるみるワールブルク文庫の意義の説明に続き、カッシーラーやゴンブリックの産婆になったこの驚異の文庫の役割の指摘となり、そこに二十世紀後半の知的起源をさぐり当ててしまう。」


 この名著『ワイマール文化』の翻訳者が、原著の勘所をいかに訳しそこねているかを山口昌男は批判し、懇切に解説した。ために版元のみすず書房は後年、べつの訳者による新訳を出すにいたったのである。もっとも、山口昌男が批判した旧訳も『「ニューヨーカー」のジョージ・スタイナー』の翻訳の出鱈目さには到底およばない(『文学と人間の言語』には、スタイナーと山口昌男との対談も収録されている)。
 由良君美山口昌男とは、たがいに敬意を抱きながら直接まじわることはすくなかった、といった印象がわたしにはある(ふたりには、ユングノースロップ・フライ、ケネス・バーグ、ロシア・フォルマニスム等々、じつに多くの関心領域の共有があった)。それには、カッシーラーと交友のあった哲学者の父をもつ由良君美がいわばイデアの人であり、いっぽうの山口昌男はいうまでもなくイコンの人であった、といった気質の違いも左右しているのかもしれない。やはりイコン型の知性である高山宏が、恩師由良君美からはなれて山口昌男に親炙するようになってゆくのも、あるいは、そうした知性のあり方が関係しているのかもしれない。むろん、これはわたしの勝手な憶測なのだけれども。
 一年ほど前の引越しにさいして、わたしは、由良君美の著書の大半を手放した。あらためて読み返すこともなかろうという思いは、由良君美は自分のからだのなかに血肉となって残っている、という傲慢な思い込みによるものだった*1。だが、どうしてもこれだけはと手元に残したのが『椿説泰西浪漫派文学談義』(旧版と増補版の二冊ともに)である。はじめて由良君美に出会った本であり、いまでも由良君美の唯一無二の傑作であると信じて疑わない。山口昌男の著書も、同じ理由によってその大半を手放した。手元に残したのは『本の神話学』と『人類学的思考』ぐらいだ(『人類学的思考』は、せりか書房版だけ。筑摩叢書で出た新版は、原本から吉本隆明共同幻想論』批判などが削除されたため買っていない)。
 文庫版の『みみずく偏書記』を買ったのは、ふとした気紛れにすぎない。だが、買って拾い読みをするとやめられなくなった。たとえば、賛美歌「アメイジング・グレイス」の作詞者としてのみわずかに知られるジョン・ニュートンについて、1835年刊のニュートンの『全集』を神保町の古書店で入手した経緯から筆を起こした「ロマン派の大型悪党聖人――J・ニュートン僧正」というエッセイは、その『全集』を種本に“怪物”ニュートンについて一巻の書物を著せるだけの内容だが、由良君美は惜しげもなくさらっと五頁余のデッサンですます*2。そこが彼ならではのダンディズムなのだろうが、由良君美の著書にはいつもそうしたある種の物足りなさが付き纏う。例外的に長篇エッセイともよべるのが「ユリイカ」に連載された「椿説泰西浪漫派文学談義」なのである。
 久々に手にした『みみずく偏書記』につい読み耽り、読書の快楽に存分にひたるとともに、「ヨーロッパ批評史の大全――ウェレックの鴻業」といった文章にあらためて目を開かされた。いったい何を読んでいたのだろうね、わたくしは。なにが血肉なのか、と苦笑した。やれやれ。日暮れて道遠し、の感を抱くのはこういうときである。
 『椿説泰西浪漫派文学談義』はいずれ平凡社ライブラリーより復刊されるそうだ。また買うのだろうな、二冊も持ってるのに。

みみずく偏書記 (ちくま文庫)

みみずく偏書記 (ちくま文庫)

*1:由良君美が執心した作家にロレンス・ヴァン・デル・ポストと大泉黒石がいる。ヴァン・デル・ポストは、いうまでもなく大島渚の映画『戦場のメリークリスマス』の原作者だ。以前、映画関係の仕事をしていたときにわたしは『戦メリ』の本をつくったことがある。大泉黒石については、かれの怪奇物語集を文庫版で復刊したいとおもっていたが果たせずに終わった。

*2:ジョン・ニュートンの生涯にかんしては以下のサイトが詳しい。ただし、ロマン主義運動とのかかわりについての言及はない。http://www.worldfolksong.com/closeup/amazing/bio/page1.htm