George Steiner at The New Yorkerを読んでみた



 George Steiner at The New Yorker が届いた。前回、例に挙げた意味不明の邦訳の本当の意味はなにか、興味をお持ちの方も一人か二人はいらっしゃるのではないかと思い、つづきを書いてみることにした。不明なのは例に挙げた箇所だけではないけれども、挙げ始めるときりがないので、とりあえずその部分のみにかぎって判明したことを書いておきたい。


 (邦訳)「スタイナーは先ずじっくり読み解くことからはじめ、きわめて独創的な作家の場合にも文脈が重要だと考え、しばしば考えられているよりもとかく逃げを打つ傾向がある。」


 ここの原文は想像していたよりやっかいだった。問題は「逃げを打つ」だけではない。原文は以下の通り。
 He proceeds from the assumption that a case remains to be made, and that even with a fiercely original writer, context counts for a great deal, and is apt to be considerably more elusive than is often acknowledged.

 「逃げを打つ」というのはelusiveから来たのだろうが、訳語としては不適切。「捉えどころがない」とか「定義しにくい」といった意味に解したほうがいいだろう。全体は、おおむね以下のような内容になるかと思う。
 (試訳)「かれ(スタイナー)はまだなにもはっきりとしていないという前提から始める。そして、きわめて独創的な作家であっても、おさまるべき文脈は大いにあるし、通常考えられているよりももっと捉えどころがなくなりがちである。」
 ブレヒトはレッシングやシラーといった先行する作家たちとの関連において見なければならない、といった意味の文がそれにつづく。邦訳は曖昧なところを想像と思い込みで訳したものだ。一種の「超訳」か。


 (邦訳)「これはR・Pブラックマーがかつて言ったように「素人の形式張った談話」としての批評であるが……」


 「素人の形式張った談話」は、ほぼ想像がつくように原文は、”the formal discourse of an amateur”。 アマチュアamateurがラテン語のアマトールamatorから派生した語であるとか、discourse(フランス語ではdiscours)が文学理論の用語であるとか、といった知識がないのでこんな直訳になるのですね。正しくは「文学愛好家(アマトール)の折り目正しい言説(ディスクール)」といったところか。formal discourseにformalismが含意されているかどうかはブラックマーの原文の文脈を見なければわからないが、おそらくそうではあるまい。アマトールにフォルマリスムはそぐわない。それにしても、ディスクールも知らずにスタイナーを訳すとは野蛮というしかない。文章を書くにはときに野蛮さも必要だが(でなければ、十代や二十代で小説など書けたものではない)、翻訳に必要なのはこうした野蛮さ(邦訳の姿勢)の対極にある繊細さである


 (邦訳)「彼の作品では再三再四、彼が見るものは全て可能性と、新たにスリルをあたえ、驚かせ、抑制する真の見込みに満ちている。」


 原文は以下の通りだが、上掲の訳文の前に原文で8行分の脱落があった(邦訳11頁最終行)。つまり原文を8行素っ飛ばしてるんですね。意図的かどうかはわからないが、編集者はなにをしてたんだろうね。
 Again and again in his work, everything he looks at is made to bristle with possibility, with some genuine prospect of turning out to be freshly thrilling, surprising, or chastening.
 (試訳)「かれの作品にたびたび見られるように、かれの見るすべてが、生き生きとしたスリルや驚き、洗練されたものとなる可能性に、あるいは真正の予感に充たされている。」
 ちなみに、新奇なものにたいするスタイナーの抵抗にかんして「バースの『レターズ』を参照せよ」とあったので、『レターズ』にたいする辛辣な書評(「死んだ手紙」Dead Letters)の邦訳をぱらぱらと見ていたらこんな訳文が見つかった。「プルーストの有名な『フェイル・カトレヤ』の転倒は「性交する」を意味する」。『フェイル・カトレヤ』という作品があると思ったらしい。やれやれ。


(邦訳)「『夜の言葉』(一九六七年の『言語と沈黙』から)のような初期のエッセーでは、彼は好きなものを何でも読む自由のためにわれわれが払う代価を訊く目的で当世のエロ本作者の「膣洗浄器牧歌」を研究した。」


 「われわれが払う代価を訊く目的で」という箇所の原文は、in order to ask about the price we pay for the freedom〜 。「自由のために支払う代金を請求するために」といったところか。くだいて、「好きなものを何でも読む自由を得る対価として」としてもいいだろう。「エロ本作者」はpornographers。まあいいけどね。問題は「膣洗浄器牧歌」。原文は”douche-bag idylls”。doucheにはたしかに「膣洗浄器」の意味もあるけれど、辞書を引けば(引いたんだろうね)douche bagはちゃんと出ている。語意は「((米略式))いやな[くだらない]やつ」となっている(ヤフーの辞書です)。Idyllの第一義は「田園詩、牧歌(的物語)」。というわけで、「膣洗浄器牧歌」とあいなった。doucheは潅注法だとか潅水器だとか、医療にかかわる用語らしい。「潅水器牧歌」としなかったのは「膣洗浄器」のほうが「エロ本作者」にふさわしいと思ったのかしらん。まあ、ここはさらっと「愚にもつかないお話」とでもしておけばいいかと思う。
 『言語と沈黙』(せりか書房)所収の「夜の言葉」(鈴木建三訳)には、「高級好色文学と人間のプライヴァシー」なる副題がついている。むろん訳文に不明の箇所はないが、やはりいくぶん古びた感は否めない。四十年前の本ですからね。かつて柴田元幸さんが高橋源一郎さんとの対談で、なぜ原文は古びなくて訳文は古びるのかと言ったら村上春樹さんに当り前じゃないって笑われた、と語っていたけれど、英語の読める人には四十年前の英文でも古いとは感じないのだろうな。そのあたりの感覚はよくわからない。


 (邦訳)「ルーマニア系フランス人作家E・Mシオランの辛辣な、「碑文体の」簡潔性に対するスタイナーの抵抗のなかに、われわれはアンドレ・ジッドや、オスカー・ワイルドその他の金言的強請に見出されるはずの熱心な満足を知っている自称恋人の失望を聞く。」


 関係代名詞でくねくねとつながっている原文が想像される訳文ですね。「碑文体の」は訳語の選択を誤ったのだろうと推測できる。前回、「どこかの大学生たちが分担して訳した」と想像したのはボルヘス論などはこれほど壊滅的ではないからで、どうせ下訳に出すならもうちょっと人を選んだほうがいいのにね。以下に原文と試訳を。あまりうまい訳ではないけれども。

 Just so, in Steiner’s resistance to the terse, ”lapidary concision” of the Romanian-French writer E.M. Cioran we hear the disappointment of a would-be lover who knows the ardent satisfactions to be found in the aphoristic exactions of Andre Gide, Oscar Wilde, and others.
 (試訳)「まさにそのとおり、ルーマニア人のフランス語作家、E・M・シオランのそっけなさ、いわば「精緻な簡潔さ」にたいするスタイナーの抵抗に、わたしたちは、アンドレ・ジッドやオスカー・ワイルドといった作家たちの押しつけがましい警句癖に見られる情熱的な充足感を知る一人の愛人志願者の失望を聴き取るのである。」
 要するに、シオランの断章がスタイナーには物足りない、西村賢太ふうにいうと「慊(あきたりな)い」のですね。わからなくはないけれども、シオランにそれを求めるのは筋違いでしょう。


 さて、このNew Directionsのペーパーバックはカバー(表紙)にグロスpp貼り(つるつるしたコーティング)が施してあり、袖(折り返し)がついている(小口に3ミリのチリあり)。通常のPBとは一味ちがう、略フランス装っぽい、なかなか感じのいい仕上りだ。これで1600円ならお買い得だ(邦訳書の半額ほどだものね)。いっそ天がアンカットだったらもっとよかったのに。
 なお、試訳にも誤りがあろうかと思う。御教示いただければ幸いである。
 

George Steiner at The New Yorker (New Directions Paperbook)

George Steiner at The New Yorker (New Directions Paperbook)

  • 作者: George Steiner,Robert Boyers
  • 出版社/メーカー: New Directions
  • 発売日: 2009/01/30
  • メディア: ペーパーバック
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