食わず嫌い、あるいはアナトール・フランスをめぐる嬉遊曲



 「食わず嫌い」の語釈として、ある辞書は次のように書いている。


 1 食べたことがなく、味もわからないのに嫌いだと決め込むこと。また、その人。
 2 ある物事の真価を理解しないで、わけもなく嫌うこと。(「大辞泉」)


 語の第一義は食に関するものだが、一般に用いられるのは二番目の意味の場合が多いかもしれない。他の辞書でもことばの意味は大同小異だが、「食わず嫌い」には誤まった態度であるとの含意があるようだ。もし「真価を理解」するならば「嫌う」はずがない、といった考えが前提にある。「わけもなく」の語に、嫌うことに正当な理由はない、との含みが窺えますね。だが、好き嫌いに「正しい理由」が必要だろうか。いやなものはいや、といった態度は大人気ないが、では、いかにすれば嫌悪を優雅に表明できるのだろうか。
 たとえば、アポリネールは、芸術家を「糞」と「バラ」に分類し、「糞」にダンテ、シェイクスピアトルストイ、ポー、ホイットマンボードレールを列挙し、「バラ」には自分、ピカソストラヴィンスキーを挙げたという。アポリネールがこれらの作家たちを一度も「食った」ことがないとは考えにくい。たんにお口に合わなかっただけかもしれない(むろん、たんなるジョークである可能性もあるけれど)。
 ミラン・クンデラは、「ブラックリスト。これはすでに第一次世界大戦まえの前衛たちの大きな情熱だった」と書き出して、アポリネールのこのリストを紹介したうえで、「この魅力的で滑稽なマニフェストアポリネールアポリネールに捧げるバラ)は、わたしを大いに楽しませてくれたものだった」と書いている。つまり、過去の偉大な芸術を否定するところにアヴァンギャルドアヴァンギャルドたる所以がある、というわけですね。
 クンデラはこの「ブラックリストあるいはアナトール・フランスに捧げるディヴェルティメント」というエッセイで、かれのゴールドリストに燦然と輝いていたE・M・シオランについて「ある名高い知識人」と次のような会話を交わしたという。


 《「シオランだって?」と彼はしげしげとわたしの目を見ながら言った。それから、長く押し殺したような笑いを浮かべて、「虚無のダンディーさ……」。》*1


 クンデラの「生涯の暮れ方」になって、シオランは結局ブラックリストに収まることになったのだが、この「名高い知識人」とは、あるいは、ジョージ・スタイナーなのかもしれない*2
 このエッセイにおいてクンデラは、アナトール・フランスの名を、かれが死ぬや否やブラックリストに載せて、だれもが時代遅れの小説家と見なすことに貢献したシュルレアリストたち(アラゴンブルトン、エリュアール、スーポーら)に抗して救抜しようと試みる(「救抜」は「ディヴェルティメント」のタイトルにはいささか大げさすぎるかもしれないけれども)。
 かれら、「シュルレアリストたちは一九二四年、陽気な連帯性を示し、記念に値する愚昧な死亡通知=攻撃文書によって、アナトール・フランスの死を頌(たた)えた」とクンデラは別の書物に収められたあるエッセイに書いている。


 《「死体よ、ぼくらはおまえの同類どもを愛すまい!」と、二十九歳のエリュアールは書いた。「アナトール・フランスとともに、人間の奴隷根性のいくらかがなくなる。術策、伝統主義、愛国主義日和見主義、懐疑主義、そして心情の欠如が埋葬されるこの日こそ、祝祭であれ!」と、二十八歳のブルトンは書いた。「くたばったばかりのこの男は[……]今度は煙となって消え去るがいい! ひとりの人間が残すのは僅かなものだ。それでもこの男について、いずれにしろこんな男が存在したと想像するのは憤激にたえない」と、二十七歳のアラゴンは書いた。》*3


 いやはや、激越なものだ。クンデラは、「偉大な小説家の遺体に小便をひっかけるこれらの若い詩人たちは、だからといって真の詩人たち、素晴らしい詩人たちでなくなったわけではない。彼らの天才と愚行とは同じ源泉に発するものなのだ」とかれらを擁護しているけれども、この光景は三十五年後、同じくフランスの若きシネアストたちによって反復される。かれらは先行する映画監督たちに激しい批判を投げかけ、世界の映画界に一躍「新しい波」を起こしたのだった。クロード・オータン=ララジュリアン・デュヴィヴィエマルセル・カルネ、アンリ・ドコワンといった名だたるお歴々を攻撃して二十八歳のゴダールはこう書いた。


 《あなたがたのカメラの動きが醜いのは、あなたがたの主題がくだらないものだからだ。あなたがたの俳優たちの演技のできがわるいのは、あなたがたの台詞がとるにたらないものだからだ。ひとことで言えば、あなたがたが映画をつくるすべを知らないのは、あなたがたがもはや映画とはなにかを知らないからなのだということである。》*4


 闘将ゴダールの面目躍如たるマニフェストである。ゴダールをはじめとするヌーヴェルヴァーグの若き闘士たちは遺体に小便をひっかけたわけではないけれども、クンデラシュルレアリストたちを擁護した先の言葉につづく一節は、かれらに対してもそのまま当てはまるだろう。


 《彼らは過去にたいして激しく(抒情的に)攻撃的になり、同じ(抒情的な)激しさで、自分たちがその受託者と見なされ、集団的な小便によって祝福されるのが見える未来に献身的だったのである。》


 ところで、アナトール・フランスの死によって空席となったアカデミー・フランセーズの新会員に迎え入れられたのがポール・ヴァレリーである。新たに会員になるものは、先人への称賛の意をあらわした講演が行なうのが通例である。五十三歳のヴァレリーは、そこでじつに手の込んだ講演を行なった。クンデラのエッセイによれば、以下のような次第である。


 《この儀式の慣例で、ヴァレリーは故人への讃辞を述べねばならなかった。伝説的になったその称賛演説のあいだ、彼はアナトール・フランスのことを話しながら一度も彼の名前を口にせず、この匿名の人物をこれみよがしな留保をつけて称えることに成功した。》


 伝説の演説とは、1927年6月23日に学士院で読み上げられた「アカデミー・フランセーズへの謝辞」。翌日の「ル・タン」紙ほかに全文が掲載された。クンデラのいうように、ヴァレリーアナトール・フランスの名を一度も出さず、かれの栄誉を称えたのである。以下のように。
 「彼自身の存在もフランスでなくては不可能であり、ほとんど考えられないものでした。彼は筆名を国名と同じ名前にしました。なかなか名乗りにくい、敢えて名乗るからには多大の自信がなければならないはずのこの名前の下で、彼は世界の寵を受けたのです。」*5
 ヴァレリーはなぜこうした慇懃無礼な態度をとったのか。そこにはヴァレリーの、盟友マラルメに対する友情が込められていた。
 マラルメの詩「牧神の即興」(「牧神の午後」の前身)を第三次「パルナス・コンタンポラン(現代高踏派詩集)」に掲載するかどうかの選考にさいして、三人の選考委員のうち二人は賛意を表したが、残りの一人が反対し、あげく掲載は見送られた。「こんなものを載せると我々が馬鹿にされるぞ」とひとり頑強に抵抗したのがアナトール・フランスだった。その仕打ちに憤慨したヴァレリーは、死者への優雅な復讐をなしとげたというわけである。


 さて、クンデラアナトール・フランスに捧げた嬉遊曲を一瞥しておこう。
 若き日のクンデラは、ある日チェコ語に翻訳されたアナトール・フランスの小説『神々は渇く』を手にする。チェコは数奇な運命に翻弄された小国である。近代以降にかぎっても、二つの世界大戦によってオーストリア=ハンガリー帝国ナチスドイツのくびきをようやく脱したチェコ共産主義政権を確立し、やがてスターリンという新たな独裁者の圧制下に置かれるちょうどその頃――。


 《青年だったわたしは、独裁制の深淵に落下しつつあった世界で、じぶんの方向を見定めようとしていた。その独裁制が具体的な現実になるとは、だれにも予見されず、望まれず、想像もされていないことだった。とくにその到来を望み、喝采した者たちがそうだった。だから、当時この未知の世界について、なにかしら明晰なことを言ってくれそうな唯一の本が、わたしには『神々は渇く』だったのである。》


 『神々は渇く』はフランス革命期を舞台にした「歴史小説」である。主人公のガムランジャコバン派の若い画家で、やがて数十人もの人間をギロチンに送ることになるが、そのなかには彼の友人も含まれていた。友人とはガムランの居住するアパルトマンの屋根裏部屋に住むブロトーという徹底的な懐疑主義者である。ガムランは決して冷徹な人間ではない。「別の時代であれば、きっと親切な隣人、よき同僚、才能ある芸術家だったにちがいない」。そうしたガムランのうちに潜む一匹の「怪物」。その「実存的な謎」にクンデラは魅了される。
 十代の終わりか二十代の初めに出会ったこの小説は、のちの亡命作家クンデラの生涯にわたる文学的主題を決定するほどの大きな衝撃をかれに与えたにちがいない。『神々は渇く』を評した次のようなことばは、ほとんどクンデラ自身の小説への自注といってもよい。


 《この小説は耐えがたいまでに劇的な〈歴史〉と耐えがたいまでに平凡な日常性との共存、人生のこのふたつの対立する側面がたえずぶつかり、矛盾し、互いに相手を茶化すのだから、イロニーにきらめく共存なのだ。この共存がこの小説の大きなテーマのひとつ(大量虐殺の時代の日常性)でありながらも、同時にこの本の文体を創りだしているのである。(原文傍点省略)》


 クンデラがこの小説でなによりも称賛するのが第十章、ガムランがブロトーら友人たちと一緒にパリ郊外に遠足に出かける場面である。平凡でささやかな出来事の「まさに平凡さこそが幸福に輝いている」――。
 一行は田舎の宿屋に落ち着き、女好きの剽軽者デマイが宿屋の女中――「骨格が奇怪に二重になっているので、背丈よりも横幅のほうが長い怪物のような娘」――と性交するといったささやかなアバンチュールもあり、かれらは「軽快で、陽気で、幸福な雰囲気が凝縮され」た二日間を過し、宿をあとにする。このエッセイは、以下に見られるように、読むものにほろ苦い余韻を残して閉じられる。


 《それから二百頁先の、小説の終わりでは、二重の骨格がある娘にセックスをしてやったのと同じ優しい女好きのデマイが、今度はすでにギロチンにかけられた友人のガムランの婚約者、エロディーのベッドのなかにふたたび見られる。そしてこれらのことには、どんな悲壮感も、どんな非難もなく、どんな苦笑もなく、ただ軽い、ごくごく軽い悲しみのヴェールがあるばかりなのだ……。》


 アナトール・フランスといえば、わたしには堀口大学訳の「聖母の曲芸師」をはじめとする軽妙なコントの印象が深い。『神々は渇く』は、知ってはいるが読んだことはなかった。だが、クンデラのエッセイで読むかぎり、かなりの傑作みたいじゃありませんか。背丈よりも横幅のほうが長い娘との性交の場面だけでも読んでみたいものだ。
 それにしても、ブルトンらは「食わず嫌い」だったのだろうか。ヴァレリーは小説にはあまり興味がなかったようだが、エリュアールもアラゴンも『神々は渇く』を読まずにアナトール・フランスに小便をひっかけたのだろうか。

出会い

出会い

*1:ミラン・クンデラ『出会い』西永良成訳、河出書房新社、2012

*2:id:qfwfq:20120609

*3:ミラン・クンデラ「明け方の自由 暮れ方の自由」、『カーテン――7部構成の小説論』西永良成訳、集英社、2005

*4:J=L・ゴダールトリュフォーが『大人は判ってくれない』でカンヌのフランス代表となる」、『ゴダール全評論・全発言 1』奥村昭夫訳、筑摩書房、1998

*5:ヴァレリー集成 1』恒川邦夫編訳、筑摩書房、2011