母語と英語とのあいだで――岩城けい『さようなら、オレンジ』を読む



 もう五年ほど前のことになるけれども、若い小説家たちの小説について本欄でふれたことがあった*1。文芸誌でかれらの新作が妍を競っていたのだが、どれもが一様に「発情」しているさまに聊かうんざりさせられた。性を主題にすることが悪いわけではないけれども、たとえば、かれらの小説のとなりにみうらじゅんの「人生エロエロ」*2をおいてみれば、性にとらわれた人間を対象化する視線において、みうらのコラムのほうが数段すぐれているように思った。
 それはさておき、近頃の新人たちも同じようなのだろうかと思っていたところ、いかにも新人らしいというかあるいは新人らしからぬ小説に出会った。各紙誌の書評などで評判の岩城けいさようなら、オレンジ』である。
 概要は、たとえば朝日新聞掲載の小野正嗣の書評*3などを参照していただくことにして、ここでくだくだしくは述べない。小野が「本書は2つの物語からなる」と書く二つの物語はじつはひとつの物語であって、英語で小説を書こうとしている日本人の女性が恩師へ宛てた手紙と彼女の書いた小説とが交互に語られる、という「仕掛け」は読み進めればだれもがすぐに気づくだろう。
 故郷を離れて異国で難民として暮らすアフリカ人女性と、大学の教員の妻として異国で暮らす日本人女性(高い学歴を持ちながら英語を自由に操ることのできないがゆえにかの地では一種の難民――といって悪ければ劣等民――として暮らさざるをえない)との出会いと友愛。こう書けば、この小説がポストコロニアル文学の一端につらなる作品であることは一目瞭然である。テーマの設定や登場人物に作者の実体験がかなり影響しているだろうことは容易にうかがえる。恩師に宛てた手紙にこういう一節がある。


 「試験のためとはいえ、あれほど貪欲に外国語と格闘したことはそれまでありませんでした。そして、いかに自分が母語に甘え、堕落しきっていたことか思い知らされました。あれ以来、母語で読み書きすると、とても粗野な気持ちになるんです。私は自分の言葉を知っているつもりでいただけで、その真意を知ろうとせず傲慢だった。誠実じゃなかった。そして、外国語を学んでみて初めて、気づかされたことのなんと多いことか。話すこと聞くこと、つまり音声は社会生活の実地に学び、特に精神的肉体的に歓び、もしくは痛みをともなうときに強い感情と結びつき、耳や舌に永遠に刻印されます。しかし、読むこと書くこと、つまり思考の支えになる言語を養うことは個人的でしかも、彼もしくは彼女の頭の中でさまざまに形を変え繁殖します。それは、胸の底の奥深くに言葉の種を撒くことに似ています。若いときは易しいことだというのに、歳を重ねると固くなった土を掘り起こすことは、困難なことになり得ます。若くもなくたくさん年を重ねているわけでもない今、読むという視覚的な入力だけでなく、拙いながらも書くという出力の行為にすがり、心という土壌に言葉の森を育てることをいつの日にか実現させてみたいです。」


 母語で読み書きすると粗野な気持ちになる、と彼女はいう。母語とは呼吸のように話すことばだ。だれもがそれと意識せずに使っているが、いったんそれを外国語という鏡によって反射(reflect)させたとき、ほとんど無意識に使っていることばの可能性/不可能性にわたしたちはあらたに気づかされることになる。以前ここで書いた片岡義男の『日本語と英語』もそうした問題を扱っていたはずだ*4


 アフリカ人女性は息子の通う学校で、故郷について、自分の育ってきた日々について英語で書いた作文を読んで聞かせる。それはたどたどしく「おそろしく稚拙な」文章だった。
 「私の家は砂のうえにあった。お父さんとお母さんと弟がふたりいた。/朝、おひさまがのぼるとおひさまといっしょに学校にでかけた。/大きな木のしたで、砂に指で字をかいた。ともだちが、字がかけたらなにかいいことがあるのかときいた。/かけないよりかけたほうがいいと私は言った」
 その作文を聞いた教室の子どもたちは静まりかえったままだった。
 「先生、私はあれほど読む人に迫る強烈な文章を読んだことがありません。……なんだか、胸がざわめき、いても立ってもいられない気分にさせるのです」。彼女は、この地で幼い子どもを死なせてしまうという辛い体験をしたばかりだった。


 「先生。私はなにもわかっていなかった。人の心がどのようなものか、哀しみとはどういうものか、生きて死ぬということがただならぬことだということが。それゆえに怖がらずにおとぎ話ばかりを書くことができました。でも、あの頃には戻りたくありません。あの頃の私は、自分は特別だと思って大いばりで道を歩いている裸の王様と同じだったからです。
 だから、もう二度と、おとぎ話は書きません」


 彼女は、英語で書こうとしていた小説は「おとぎ話」にすぎなかった、と思う。そしてアフリカ人女性のことを、「私の大切な友達のこと」を書こうと思う。だがそれは英語では書くことができない。日本語にしかならないのだという。


 「先生、私は自分の言葉で書くのがこわい。心理的に正直に書くことが恐ろしくてたまらないのです。私はいままで、そういった人の心の奥底にある感情の沼を恐れるあまり、真摯に受け止めることができず、表面だけを器用にとりつくろうことしかできない不器用な言葉、第二言語である英語を隠れ蓑にして綴ってきました。それが今回はできそうにありません。してはいけない気がするのです」


 彼女は「祖国からたったひとつだけ持ち出すことを許されたもの、私の生きる糧を絞り出すことを許されたもの」、すなわち母語である日本語で「もうひとつの物語」を書こうと決意する。だが一方で彼女はこうも訴えていた。


 「私たちが自分の母語が一番美しい言葉だと信じきることができるのは、その表現がその国の文化や土壌から抽出されるからです。第一言語への絶対の信頼なしに、二番目の言葉を養うことはできません。そうして積み上げられた第二言語(略)に、新しい表現や価値観が生まれてもよいのではないでしょうか」


 母語でない英語でみごとな作品をのこしたコンラッドナボコフを想起するまでもなく、第二言語で「新しい表現」を生み出した作家たちは数少なくない。母語が部族語であるというアフリカ人女性が、第二言語である英語で書いた作文は稚拙ではあれ人の心をうつものだった。ここにあるのは母語第二言語かという問題ではない。母語と、大きな権力をもつ「巨大な言葉の怪物」である英語とのあいだで翻弄される現実の前で立ちすくみ、そこからどうやって一歩を踏み出すかという問題である。
 彼女の立っている場所はオーストラリアとおぼしい異国の地であるけれども、それは同時に(彼女の内面においては)日本でもあるのだ。日本人がこの小さな島国から一歩外に出たときに、彼/彼女はどういうポジションに立つことになるのか。それはアフリカ人であろうと日本人であろうと変わることはない。その痛切な「体験」がこの小説を底流している。


 この小説には荒削りで無骨なところがある。それが意図的なものかどうかはわからない。だが、その文章に鉋をかけてなめらかにすると、この小説のたいせつなものも一緒に削り取られてしまうだろう。
 清水良典はこの作品をこう評した。
 「文学新人賞を受賞した作品だが、本書はすでに日本国内のちまちました文学事情など飛び越えて、世界中のどんな人にも通じる小説の普遍的な感動を湛えている」*5
 ナディン・ゴーディマの小説などに通じる読後感をもたらす小説である。

さようなら、オレンジ (単行本)

さようなら、オレンジ (単行本)

*1:id:qfwfq:20080830, id:qfwfq:20080920

*2:週刊文春」に連載中のコラム

*3:http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2013102000003.html

*4:id:qfwfq:20121009, id:qfwfq:20121013

*5:週刊朝日」2013年10月25日号掲載書評