人生のすぐ隣にある散文――『山田稔自選集 1』

 

 山田稔さんの新刊『山田稔自選集 1』(編集工房ノア)が出た。

 既刊のエッセイ集『ああ、そうかね』『あ・ぷろぽ』を中心に、その他の作品集などから選ばれたエッセイおよそ七十篇ほどが収録されている(単行本未収録の作品もわずかながらある)。一篇が3~4頁と短く、夜、睡る前に蒲団のなかで数篇ずつ読んでいる。ほとんどすでに読んだものばかりだが、たいてい忘れているので初めて読むのとかわらない。

 なかでつよい印象を受けたのが「作家の「徳」」という文章で、広津和郎の作品を読み返す機会があって「二十代後半に愛読したこの作家からつよい影響をうけていることを、あらためて思った」とあり、つづけてこう書く。

 「たとえば人生のすぐ隣に散文芸術を位置づける考え方、いや、そもそも「小説」でなく「散文芸術」というとらえ方そのものがそうで、私の最初の作品集『幸福へのパスポート』(一九六九)の「あとがき」で、旧来の「小説」の型にとらわれずにすぐれた散文をこころざしたい旨をのべたとき、私の念頭には広津の残した散文芸術の傑作、たとえば文学回想録の数々があったのだった。」

 わたしがとりわけ感じ入ったのは「人生のすぐ隣に」ある散文芸術という表現である。人生を描くというと、なにやら肩肘張った仰々しい感じがしないでもないが、人生のすぐ隣にあるといえばなにがなし親しみが感じられる。わたしの好む山田さんの作品も、小説然としたものよりも、小説とエッセイのあわいにあるような、人生のスケッチ(生活のといってもいいけれど)とでもいうべきもののほうに傾くようだ。そういえば、山田さんが自分でも訳されたフィリップやグルニエ、それにチェーホフらの作品も「人生のすぐ隣にある散文芸術」ではないだろうか。上述の『幸福へのパスポート』の「あとがき」を引いておこう。

 「最初は小説の形式にとらわれずに書きはじめた。やがてわたしは『フランス・メモ』なる総題のもとにさまざまなスタイルの短編をこころみることを考えはじめた。しかしその場合でも、従来の「小説」という形式にしばられずに自由に書くという立場は変えなかった。「小説」よりも「散文芸術」というものが念頭にあったのである。散文による文学的表現のためには、かならずしも旧来の「小説」の体裁をとる必要はないという当時の考え方は、いまも変らない。」

 『幸福へのパスポート』については、かつて「パリの異邦人」と題して「国文学」に書いた文章をここに再録したことがある。

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 山田稔自選集は全3巻の予定。

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