山田稔『天野さんの傘』とその他のあれこれ



 山田稔さんの新刊『天野さんの傘』をようやく読んだ。奥付の刊行日を見ると2015年7月18日発行となっている。その前後に本書の刊行を知り、神保町の東京堂書店に足を運んだ。いままでならレジ前の新刊平台に積まれているはずだった。しかし、そこには見当たらず、3階の文芸書コーナーへ行ってみた。機械で検索してみるとたしかに在庫の表示があるのだが、探しても該当する場所に見当たらない。店員に訊ねると、在庫は客注品で、いま版元に注文を出しているのでしばらくお待ちいただければ入荷するとのことだった。ほう、山田さんの本を注文で取り寄せている人がいるのか、とちょっとうれしくなった。
 その後、入荷しているかどうか何度か東京堂書店へ行ってみたが入っていなかった。版元の編集工房ノアか京都の三月書房にでも注文すればすぐに手に入るのだけれども、この本は東京堂書店で買いたいと思ったのだった。山田さんの本を(編集工房ノアの本を)東京堂書店が置かないでどうする、という思いがあった。地道に文芸書を出し続けている小さな版元の支えになる東京では唯一の書店じゃないか。
 ちなみに、池袋のリブロが閉店し、そのあとに「居抜き」のような形で三省堂書店が入った。リブロもかつての(ということは三十数年前のということだが)店と比べると近年はいくぶん精彩を欠いてはいたが、それでもレジ前の新刊平台に『野呂邦暢小説集成』(文遊社)が並び、文芸評論のコーナーに『岩本素白 人と作品』(河出書房新社)が平積みされる程度には文芸書へのたしかな目配りがあった。リブロと入れ替りに入った三省堂書店は、日本と海外の文芸書が中心だった新刊平台をコミックで埋め尽くした。壁二面(10本ほどの棚と平台)に陳列されていた各国別の翻訳文学書は2本の棚に縮小され(英米独仏露等々の翻訳書がそこにちんまりと押し込まれている)、詩歌のコーナーはコミックとラノベによってほぼ壊滅した。
 池袋は乗換駅なので一昨日も勤め帰りに三省堂書店を覗いてみたが、岩波文庫の棚前の平台に新刊はなく、ハムスンの『ヴィクトリア』(さすが岩波文庫だね)と『文語訳旧約聖書 歴史』がそれぞれ1冊ずつ棚差しになっているだけで、新訳『パンセ(上)』は見当たらなかった。随筆評論の棚前平台に積まれた細見和之の『石原吉郎 シベリア抑留詩人の生と死』(中央公論新社)の背が低くなっていたのだけが(数冊売れた証拠)わずかな救いのように思われた。
 閑話休題
 さて、東京堂書店でようやっと手にした『天野さんの傘』、なかの数篇はすでに読んでいたが、初めて読むものでは敗戦前後の頃を回想した「裸の少年」と講演録「富士正晴という生き方」が心に残った。表題の「天野さんの傘」は、いかにも山田さんらしい小説ともエッセイともつかぬ小品。山田さんは「VIKING」によって「既成のジャンルにこだわらぬ私のいまの自由なスタイル」、「自分に合った書法を習得していった」と「富士正晴という生き方」のなかで語っている。 
 ここでは「富士正晴という生き方」について、というよりその文章によって触発されたあれこれについて書いてみよう。多くは脇道もしくは愚にもつかぬ由無し事に違いないけれども。


 わたしが富士正晴につよい関心を抱いたのはそれほど昔のことではない。といっても、もう二十年ぐらいにはなるだろうか。何がきっかけだったかは覚えていない。「VIKING」という同人誌はそれよりさらに三十年前、高校生の頃に知った。
 高校に入ってしばらくたった頃、級友何人かで読書会のような集まりを持とうということになった。なかの一人、たしか中学で生徒会の会長をやっていたという早熟の少年から聞いたのだと思う。「VIKING」は関西に本拠地があり、わたしたちの高校もその圏内にあった(ちなみに、手元にある古い「VIKING」の奥付を見ると、印刷は神戸刑務所となっていて、その所在地はわたしたちの高校と同じ市内にあった。神戸刑務所にはわたしの叔父が勤めていた)。かれは、やがては「VIKING」の向こうを張る同人誌をやりたいという稚気愛すべき野心を抱いていたのかもしれない。
 ともあれ集まったわたしたちの最初のテーマは、さて何を読むべきか、だった。毛沢東マルクスヘーゲルか、そんな名前があがった。だが、それではあまりにフツーすぎてつまらない。そう思ったのか、かれが候補に挙げたのはジンメルだった。だれそれ? わたしたちの誰もそんな名前を聞いたことがなかった(とはいえ、毛沢東マルクスヘーゲルも名前を知っているだけで、おそらくそこにいる誰ひとりとして読んだことはなかったにちがいない)。
 「ジンメルというのはあまり知られてへんけどすごい哲学者なんやで」。どこかで聞きかじったのだろう、かれは尊敬する遠縁の伯父かなにかのように自慢げにそう言ったが、ジンメルについてそれ以上のことは知らないようだった。わたしたちに否応のあるはずもなく、「ほんならジンメルにしようか」と即決した。「岩波文庫に『芸術哲学』という本があるんや」。いまでこそジンメルはエッセイであれ論文であれ解説書であれ手軽に入手することができるが、当時はその本ぐらいしか出ていなかった。中公の「世界の名著」の『デュルケームジンメル』の巻が出るのは2年ほど後のことである。わたしたちは岩波文庫の『芸術哲学』をもとめて、町の本屋へと連れだって出かけた。本屋の店長は文庫目録かなにかを調べて、「その本は品切れで重版の予定はないねえ」と厳かに宣言した。わたしたちはうなだれて帰途についた。ちなみに(「ちなみに」ばかりだけど)木村書店というその本屋は、小山書店から出た稲垣足穂の『明石』を復刊した本屋さんで、店長の父親は「水甕」に所属する歌人でもあると知ったのはずいぶん後のことである(いまも同じ場所で商いをしているようだ)。わたしたちの読書会はジンメルで意気消沈したせいか、その後何度か集まりは持ったもののなんら成果を挙げずに自然消滅した。
 またまた閑話休題
 ジンメルではなく富士正晴だった。わたしは古書店をまわり、富士正晴の本をぽつぽつと集めはじめた。単行本と文庫本をあわせていまでは二、三十冊ほどが手元に集まった。刊行年のいちばん古いのは1964年の『帝国軍隊に於ける学習・序』(未来社)。全五巻の『富士正晴作品集』(岩波書店)は十五年ほど前に、古書店の価格を比較して神保町の一番安い店で買った。月報附きの揃いで一万円だったと思う。インターネットで検索すれば、いまでは半額以下で売られている。書窓展の克書房なら揃いで1500円である。
 山田稔さんとともに『富士正晴作品集』の編者の一人である杉本秀太郎が今年の5月に亡くなったとき、わたしは東京堂書店へ行って杉本さんの詩集『駝鳥の卵』を買った。編集工房ノアから去年出た本で、東京堂書店へ行くたびに詩集棚にその本があることを確認しては買うのを先延ばしにしていたのだった。幸い、わたしと同じことを考えた人はいなかったようで、棚差しになっていた詩集はまだ誰の手にもわたらずにそこにあった。死因は白血病だというから、杉本さんは書きためた詩を死ぬ前に本にしておきたいと思ったのかもしれない。その杉本秀太郎唯一の詩集と、もう一冊、吉岡秀明『京都綾小路通』(淡交社)をひもといて杉本さんを偲ぶよすがとした。
 『京都綾小路通』は杉本秀太郎の伝記で、この本によれば、杉本さんは京都大学の大学院在学中に富士正晴と出会った。桑原武夫の引き合わせだった。桑原武夫は杉本さんの仏文科卒論の審査をした一人で(主査は伊吹武彦)、当時(1960年頃)、富士正晴桑原武夫人文書院から出る『伊東静雄全集』の編集に携わっていた。桑原から編集を手伝ってほしいと頼まれた杉本さんは、先斗町お茶屋での打合せで富士正晴と初めて出会う。二度目に会ったとき、富士正晴は「お前とこに行くわ」と杉本家(当時はまだ文化財には指定されていなかった)に押しかけて一泊し、その後、大阪茨木の自宅から京都に出てくるとしばしば杉本家に宿泊するようになった。富士正晴は起きると、顔も洗わず朝からウィスキーをがぶ飲みする(前夜も酒を飲んでいるのだが)といった傍若無人の振舞いをするのだが、おそらくそれは繊細さの裏返しの磊落さだったにちがいない。
 富士正晴については、大川公一の伝記『竹林の隠者 富士正晴の生涯』(影書房)のほか、山田稔『富士さんとわたし 手紙を読む』、島京子『竹林童子失せにけり』、古賀光『富士さんの置土産』(いずれも編集工房ノア)といった本がその人となりを伝えているが、詩人の天野忠の「内面はこまやかでデリケート、そして大胆不敵。ものおじせず、愛敬のある野放図というか、野性味が円熟していた」(『竹林の隠者 富士正晴の生涯』)という人物評が肯綮にあたっているように思われる。もうひとつ、松田道雄京都新聞に書いた追悼文の「冠婚葬祭をふくめて日本のムラ共同体にあるべたべたしたものを一切拒絶していた」「まれにみる近代的知性の持ち主」(同)も出色の人物評だろう。
 山田さんの「富士正晴という生き方」に戻れば、「私が富士正晴を読み直すとき思い浮かぶのは、流れのなかに残る一本の杭の姿であり、孤立をおそれず自立につとめよと説く声です」という言葉に感銘を受けた。松田道雄の人物評とも響きあっていよう。
 大阪茨木市富士正晴記念館が「富士正晴資料」を精力的に刊行しつづけている。その「整理報告書第20集」の『仮想VIKING50号記念祝賀講演会に於ける演説』(「VIKING」50〜56号に連載された富士正晴の単行本未収録エッセイ、2015年2月刊)と、那覇市で刊行されている季刊誌「脈」84号(2015年5月刊)に掲載された中尾務「島尾敏雄富士正晴 一九四七−一九五〇」(かつて「サンパン」に連載されたものに加筆)が読みごたえがあった。