もう一つの「素面の告白」――『榛地和装本 終篇』



 藤田三男さんの『榛地和装本 終篇』の面白いのは、これがこの手練の編集者の一種の自伝になっているところにある。こう書くと首を傾げる読者もいるかもしれない。これは文藝編集者の文壇回想録の一種ではないかと。むろん一面ではそうに違いないけれども、それではこの本の表向きの表情しか捉えたことにならない。もう一面の、つつましやかに語られた「『素面』の『告白』」(これは三島由紀夫を論じた文のタイトルだ)が、この本に陰翳をあたえ、類書と異なる奥行きをあたえているのである。
 いそいで附け加えると、それは「告白」というような大仰なものではない。世間話のついでにふと洩らした来し方の断片、いわば人生の「吐息」(ブニュエル)のようなものである。岩本素白浅見淵日夏耿之介やについて書かれた文章にふと覗かせる「素面」についてここではふれない。中仕切りのようにそっと挿し挟まれた数篇の随筆についてあらずもがなの感想を述べてみたいのである。


 ひとつは「葡萄棚」。
 昭和二十五年の新聞に掲載された、銀座木挽町の葡萄棚の写真。その一枚の写真が回想の頁を紐解いてゆく。そこに写っている瘠せた少年のひとりが私(著者)であり、当時、自宅に間借りしていた若い女が築地の料亭のあるじの妾であったことに思いをはせる。それは永井荷風の掌篇「葡萄棚」にどこか通じるような「淫靡」な世界である。
 戦後まもない頃、中学一年生の少年の周辺では、「戦死した息子の嫁との間に子が生まれた駄菓子屋の老人、亭主に戦死された女性と養子との間に生まれた足袋屋の美少女など、戦争の傷跡といっていい」出来事が日常茶飯事だった。まあ、いわばヘンリー塚本のAVのような世界ですね。「葡萄棚の下の少年は、にこやかに笑いながら、こうした淫靡な性の入り口に立っていた」。その少年が、ある日、窪田空穂の短歌の一首に触れ、「痺れるような感覚」を味わう。こんな歌である。

 老い痴れてただに目たたきして過す我とはなりぬあるか無きかに

 少年が空穂の老境の歌になにゆえに「痺れるような感覚」をおぼえたのか。おそらく今では著者にさえ不可解にちがいない。「この倒錯、少年の頭の中は、化け物そのものではなかろうか」と記しているけれども、長じて早稲田に学び、空穂系の短歌誌「槻の木」に所属することになる藤田三男は、このときに誕生したといっていい。「性に目覚める頃」の少年の心の振幅を一筆でさらっと書いてこれほどの奥行きを感じさせる文章もまたとない。

 
 もうひとつは「イチローさん」。
 三角ベースの草野球をする少年たちに、いつも審判をさせてほしいとおずおずと申し出る年長の青年イチローさんの話。イチローさんは当時の人気アンパイヤをまねて、右手を高々と上げて「ストゥライク!」と喚ばわった。どんなボールに対しても「ストゥライク!」。少年たちが抗議をすると即座に「ボール」と訂正し、今度はどんなボールに対しても「ボール」とジャッジするのだった。悪童たちはイチローさんを「ゆたぶってやれ」という気持になり、イチローさんに代走をオファーする。次のバッターがヒットを打ち、イチローさんが走る。悪童たちは大声で「すべれ!」とスライディングを要求した。舗装路でヘッドスライディングをしたイチローさんの眼鏡は飛び、Yシャツの肘は裂け、腕から血がにじんだ。付き添っていた母親が飛んできて、イチローさんは叱られながら連れ去られた。それでもイチローさんは懲りずに「夏も真冬も一年中」、草野球に加わりに来るのだった。
 戦後まもない頃の木挽町には、イチローさんや、井伏鱒二の「遙拝隊長」を思わせる「中村大尽」といった人たちが「街の日常に馴染んで」、誰もかれらを排除しようとしたりせず、「凶々しい社会的事件が多く起こる中、街全体に刺々しい咨嗟(しさ)の風がなかった」という。
 回想風エッセイとしてこれだけで充分おもしろいが、さらに著者はそこへ幸田文の短篇「呼ばれる」を召喚する。初老の両親と暮す失明した青年の話で、失意の青年が隣家の子供に「おじさん」と呼ばれる場面で小説は終わる。「他者から本気で「呼ばれる」ことの幸せを感じる哲夫は闇の世界から光を求めて一歩踏み出そうとする」。イチローさんもまたよく母親から「呼ばれ」ていた。


 「母親はわれわれ子供には近付かず、通りの向うから、あるときは優しく、またのときは冷たい声音で呼ぶ。イチローさんはその声に即座に順応して、牛がひかれるように母のあとに従う。楽しい遊びの時間を中断されたためか、少し俯きかげんに無言で母親を追うイチローさんにも、「呼ばれる」ことの光明があったと思いたいのである。」


 イチローさんの合せ鏡に失明した青年哲夫を据え、この一篇の挿話に奥行きをあたえる技巧はさすがであるが、上述した「哲夫は闇の世界から光を求めて一歩踏み出そうとする」のあとに附された一節にわたしは強い感銘を受けた。曰く「しかしその声は哲夫の幻聴であるかもしれない」。
 幸田文はそんなことはむろんひと言も書いていない。匂わせもしない。この小説を読むだれもが、哲夫は子供に「おじさん」と呼びかけられたと思って怪しむまい。だがそれは、あるいは幻聴であるのかもしれない。そう読むと、この小説の奥行きが一挙に広がり、「呼ばれる」というタイトルが一転して凄味を帯びてくる。仮に「幻聴」を匂わせれば、多くの読者に過たず伝わったろう。だが幸田文はそうはしない。そうすることで小説が「緩む」のを忌避したのだろう。伝わらなくともいい。いや、伝わるものだけに伝わればいい。そう思ったにちがいない。
 小説とは怖ろしいものである。それを「読める」読者にのみ、素知らぬ顔でほんとうの姿をさらしているのである。

榛地和装本 終篇

榛地和装本 終篇