みそっかす


 以前、ある映画の試写に招かれたときのことである。試写といっても、評論家や新聞記者・雑誌編集者のために映画会社の試写室で行なうものや、一般客に見せるホール試写ではない。ごく内輪のスタッフやキャストに仕上りを見せるための、編集や、科白・効果音などのダビングをひと通り終えたいわゆるゼロ号試写で、通常は現像所の試写室で行なわれる。上映が始まってまもない頃だった。主人公のナレーションであったか登場人物の科白であったかはもうさだかでないけれども、こういう科白があった。
 「このへんじゃ、サキからこんなものでしたねえ」
 一瞬、意味がわからず戸惑ったが、まもなく、ああそうかと思いあたった。映画はある小説を原作としたもので、その日の夜、家で当の小説にあたってみると確かにこう書かれていた。
 「このへんじゃ、先からこんなものでしたねえ」
 翌日、人づてにその発音の誤りを監督に伝え、映画はその部分をリテイクして事なきを得たが、私よりも十歳は若い監督はともあれ、スタッフの誰一人としてその誤りに気づかなかったのだろうか、と聊か訝しく思わないでもなかった。小説に振り仮名でも振ってあれば間違うこともなかったはずだが、その小説が発表された昭和二十年代には常識であった言葉が、いまではもはや「死語」となってしまったということだろう。


 小林信彦の書いた『現代<死語>ノート』は、たしか、いまでは使われなくなった流行語を拾い集めたものだったと思うが、昔は使われていた言葉で現在は使われなくなった言葉も少なくない。昔といっても中世や近世ではない。私の祖父母が話していた明治時代の言葉がたしかに生き残っていた、たかだか昭和中期のことである。
 そうした昔ながらの言葉を向田邦子がTVドラマや随筆に好んで使っていたことは、久世光彦をはじめ多くの人が指摘するところである*1。言葉のはやりすたりは世の習いであるけれども、向田邦子が童幼も見るTVで「死語」をあえて用いたのは、失われてゆく言葉への愛惜、という以上に、そうした言葉が忘れられてゆくことへの一種の抵抗、異議申し立てでもあったのだろう。
 向田邦子よりずっと年長の幸田文ほどの世代になれば、そうした言葉がきわめて自然に使われているさまを見ることができる。たとえば、『みそつかす』の任意の頁をひらくと、「分相応」やら「気ぶっせい」やらといった言葉がたちまち目にとまる。抑々「みそっかす」という言葉自体、いまではもう若い人には通じまい。
 こころみに『みそつかす』の一節を掲げてみよう。おばあさん、即ち露伴の母が到来物のお菓子を仕舞い込んで干乾びさせてしまう、というくだり。


 「虎屋の煉切は乾割れてあかぎれの如く、藤村の羊羹は砂糖に還つて皮膚病の如く、風月のカステラはひからびて軽石に似る。おばあさんのことだから、きつと確たる拠りどころがあるのだらうけれど、食物のことだつたから誰もたしかめることはしなかつた。与へることの多きに過ぎれば自然冥利に背くたべかたもする。栄耀の餅の皮を鼠に引きずらせるのは下女もふしだらだが、主人の器量も足りない証左であるといふ意もおもへる。人のかういふ風を見れば誰でもすぐあげつらふが、実は皆多少にかゝはらず蒐集保有欲をもつてゐる。父兄弟もその傾向はもちながら、このおばあさんの態度は好んでゐなかつた。」*2


 いつ何度読んでも惚れ惚れとするリズミカルな文章である。対句の諧謔は父親譲りか。
 さて、「あかぎれ」は昨今少なくなったが北国ではまだ生きているか。私の子どもの頃は、冬になると子どもたちはしょっちゅう手にあかぎれをこさえていたが、あれは栄養のせいもあるのかもしれない。垢擦りに「軽石」を使う家庭はもう殆どあるまいが、言葉はまだ生きている、と思いたい。「冥利に背く」はもはや耳目に触れない。男冥利に尽きる、といった形では辛うじて生き残っているが、冥利だの冥加だのはお蔭さま同様、そうした仏教に由来する考え方じたいが影をひそめつつあるのだろう。「ふしだら」にしても、ふしだらを云々する感性じたいが失われつつあるのだから、言葉の命運も推して知るべし。「器量」もおなじく風前の灯か。
 ついでにいえば「栄耀(えよう)に餅の皮を剥く」という慣用表現も解説が必要だろう。かつて、漱石を注釈なしで読めない日本人がいると嘆く文章を読んだことがあるけれども、なに、ついこないだ死んだ幸田文だってもう危うい。いまに昭和の小説にはみな注釈がつくようになるだろう。
 向田邦子の本はすべて読んだはずだが、幸田文への言及はなかったように思う。だが、文章を書くうえで向田邦子がもっとも意識していたのは幸田文であった、と私は思う。随筆にかぎって言えば、いずれも父を書くことで文筆家として出発したのであるから。向田邦子幸田文をどう思っていたか、一度、久世さんに聞いてみたいと思っていたが、もうそれもかなわない。

*1:小説新潮」八月号の向田邦子没後二十五年特集でも、川本三郎が「父母いませし頃の懐しい言葉――向田邦子のことば」を寄せている。

*2:幸田文全集第二巻、四十三頁、岩波書店、一九九五年