横たわる子規――詞書寸感


   1

 正岡子規は『墨汁一滴』の明治三十四年四月二十八日の条でこう記す*1


 「夕餉したゝめ了りて仰向に寝ながら左の方を見れば机の上に藤を活けたるいとよく水をあげて花は今を盛りの有様なり。艶にもうつくしきかなとひとりごちつゝそゞろに物語の昔などしぬばるゝにつけてあやしくも歌心なん催されける。斯道には日頃うとくなりまさりたればおぼつかなくも筆を取りて


  瓶にさす藤の花ぶさみじかければたゝみの上にとゞかざりけり     」


藤の花を詠んだ歌は上掲の一首を含めて十首。そして次の一文がつづく。


 「おだやかならぬふしもありがちながら病のひまの筆のすさみは日頃稀なる心やりなりけり。をかしき春の一夜や。
                                          (四月二十八日)」


 子規は、結核さらに脊椎カリエスが悪化し、この頃は「生きているのが不思議なほどの病状」*2で、高弟高浜虚子によれば「毎日一回の麻酔剤でわずかに「大苦痛」を「比較的小苦痛」に減じている」*3有様だった。翌る明治三十五年九月十九日に長逝。
 この「藤の花」一連は、のちに子規の歌集「竹乃里歌」に収められるのだけれども、その際に「夕餉したゝめ了りて――」の一文が詞書として附された。
 齋藤茂吉は『童馬漫語』の「子規の歌一つ」においてこの「瓶にさす藤の花ぶさ」をとりあげて、「技巧歌人や空想歌人」にはこうした歌は詠めないし、「おほよその歌人が十が十までは、このやうな稚い表はし方では物足りなく、つまらないと感ずるに相違ない」と書く。そして「如何にも深さうに悟つた様に天分の豊かな詩人らしい様に表はす」けれども、それらは「まことの自己の印象から出発しないで、上の空で歌を作つてゐる」だけであって「それでは此歌の妙味は分からぬ」と断じ、「何ゆゑに此作者はかういふことに力瘤を入れて『みじかければ』といひ『畳の上にとどかざりけり』と詠嘆して居るかを味ふ」*4には、この歌の長い詞書を同時に味わわねばならないと説く。
 茂吉は「短歌に於ける写生の説」*5でもこの歌をとりあげて、海山の自然に接することのできなくなった作者が「枕もとの瓶の花房に対つてひとり思を抒べたのが此歌である」といい、「作者の生活に深く根ざし」た「写生」の作であると述べる。「子規の歌一つ」で茂吉は、「先ずこの歌は連作十首中の一首である」と強調しているけれども、岡井隆もまた評伝『正岡子規*6で如上の一文に言及しつつ「連作について」の一章を設けて詳細に論じる。岡井はまた、詞書にはこうした「情報」がつまっている、と次のように箇条書きする。


「一、この作者が病臥者であること。
 二、夕食を終ったあとであること。
 三、藤の花が机の上に活けてあること。そしてその花が、今盛りであること。
 四、作者は藤の花を「仰向に寝ながら」左へ顔を向けて見ていること。
 五、「艶にもうつくしきかな」とひとり言いいながら、「物語の昔」など思いうかべていること。」


この詞書によって読者はなめらかに連作の世界に入ってゆくことができる、と岡井はいう。十首でひとつの世界を形作るさいに詞書が一種のフレームのような役割を果している、ということか。「藤の花」連作は、仰向けに寝た作者が机上の藤の花を写生した歌であるということが歌を読む前の読者にインプットされている、というわけである。むろん作者が子規であり重篤な病に臥せっている、という「情報」も大方の読者は知悉しているだろう。
 連作の問題、すなわち十首の配列がいかなる構成によっているかの岡井の分析は同書に就かれたい。ここでは子規の横臥する姿勢に焦点をあてて詞書の問題を考えてみたい。


   2

 大江健三郎は『子規全集』の解説として書かれた「子規の根源的主題系(テマティック)」*7において、「子規の姿勢(二字傍点)という主題に注目」する。姿勢とは「この世界のなかにあってこの世界を見ている者の眼の位置(四字傍点)」を指すという。大江は子規の『病牀六尺』の一節、


 「此頃のやうにだんだん病勢が進んで来ると、眼の前に少し大きな人が坐つて居ても非常に息苦しく感ずるので、客が来ても、なるべく眼の正面をよけて横の方に坐つて貰ふやうにする。其外ラムプでも盆栽でも眼の正面一間位な間を遠ざけて置いて貰ふ。それは余りひどいと思ふ人があるだらうが理屈から考へても分ることである。人の眼障りになるといふのは誰でも眼の高さと同じ位なものか、又はそれよりも高いものかゞ我が前にある時にうるさく感ずるのである。それであるから病人の如くいつも横にねて居るものには眼の高さといつても僅に五寸乃至一尺位なものである。今病人の眼の前三尺の処に高さ一尺の火鉢が置いてあるとすると、それは坐つて居る人の眼の前三尺の処に凡そ三四尺の高さの火鉢が置いてあるのと同じ割合になる。(以下略)」


を引用して、「子規はいうまでもなく、そのような姿勢において生きることをみずから選びとったのではなかった」と述べる。彼はむしろ「歩く人」であって、歩くことでこの世界と「能動的な関係」を結ぼうとする人間であったが、余儀なく取らされた姿勢において「まさにその姿勢で関係をひらく」、すなわち、「その姿勢の、その眼の位置から、この世界が全体的、綜合的に見てとりえるのだと主張する」。むろん子規がどこかでそう「主張」しているのではない。子規の書きもの、ここでの大江の記述に即していえば、子規の「書き方(エクリチュール)」から大江がそう読み取ったということである。
 そして大江は、「瓶にさす藤の花ぶさ」の歌と詞書を引用し、こう述べる。


 「子規は病床にある自分の姿勢の、その固定された眼の位置が、単にそのように強制された状態をあきらめる以上の事の契機となることに気づいている。そのような眼の位置のみが真にその美の実在をとらえた藤の花。かれの眼の位置はそのまま新しい力となる。かれの想像力は励まされる。たちまちかれは日本人の歴史の総体の前に、その姿勢のままで自分自身が対置されえていることを認識する。かれは時間・空間を越えて自由になる。」


 病いによって否応なくとらされた横臥という姿勢が子規に新たな力を与え、それが「はっきりひとつの世界観にきたえあげられているところへ、われわれは出くわす」と大江はいう。「世界とはなにか、それを把握する人間の意識とはなにか、どのように具体的な行動の手つづきによって、この世界のなかの人間が、この世界の全体をよく把握しうるのか?」
 実直な子規研究者なら眉を顰めかねない、持論に引きつけたいかにも大江らしい論の運びである。大江もまたそう思ったのかどうか、「一枝の草花の正確な認識が、そのまま世界の全構造の秘密の核心に向けて人間の想像力を飛翔させる」、その認識と想像力の橋渡しをするのが「写生」であって、専門家たちが子規の「根源的主題系」と認めるであろう「写生」に到るこうしたアプローチの仕方(「僕のようなやりかた」)もあるのだと附記している。
 大江のいう、世界を把握する子規の「眼の位置」は、ひるがえって子規の歌から、歌そのものから感受できないだろうか。
 茂吉は「子規の歌一つ」で、長い詞書を「同時に合せ味つて、はじめてこの歌の佳作である事を心から感得したといふことになる」と述べていた。仮に詞書の援けを借りず歌のみを読んだときに、この歌の佳さを同様に感受することは不可能だろうか。そして子規の「眼の位置」は、そうした伝記的要素なしに読み取ることはできないのだろうか。これはいうまでもなく文学研究におけるテキスト主義の問題にほかならない。
 この観点から子規の「瓶にさす藤の花ぶさ」にアプローチしたのが小林幸夫である*8


   3

 瓶にさす藤の花ぶさみじかければたゝみの上にとゞかざりけり


 小林幸夫は、茂吉を初めとするこの歌の「代表的な鑑賞」を並置し、いずれもが「病気で伏している作者が見た藤の花」を前提としている、という。そして「歌一首以外の要素を導入しなければ価値のある歌であることが説明」できないのだろうか、と問う。
 「たゝみの上にとゞかざりけり」の「けり」は、辞書のいう「見逃していた事実を発見した場合や、事柄からうける印象を新たにした時に用いる」<気づき>の機能をよく発揮したもので、「表現主体は、畳の上に届かなかった事態を断定し、その発見に目を見張り、自ら感動している」のだと小林はいう。そして「畳に触れていない」という事実は、立っていたり坐っていたりしてははっきりとせず、「少なくとも畳に横たわっていないかぎりこのような発見と認定は起こり得ない」と説く。このことから「横たわる目」、すなわち「一般的な花の鑑賞から遠く、おそらくこの歌が発見した見方」が導き出されるのだが、「病気横臥の作者」という「歌の外部の大前提」で捉えると、かえってこうした「アングルの発見」の持つインパクトが損なわれてしまう、と述べる。
 子規はまず藤の花ぶさが畳に触れていないという事実を発見した。なぜなら、通常は長いはずの(それが一般的なイメージである)藤の花ぶさが短かったからだ。原因があり結果があるのではない。そうではなく、子規の場合は、花ぶさが畳に触れていないという発見から、花ぶさが短かいという発見に到っている。「それが、表現主体の発見の順序とは逆のかたちで叙述されたことによって読者の方には謎(普通は長い藤の花ぶさが短いという謎――引用者)が成立し、読者が作品を読み続けるスプリングボードとなっているのである」。
 「この歌が、和歌的抒情から離陸して新鮮なのは」と小林はいう。「現象の正確緻密な提出といった硬質性もさることながら、藤の歌のもついままでのイメージ規範に反しているからである。その点においても、この歌は新しい」。
 子規の獲得した「眼の位置」は、病によって余儀なく取らされた姿勢によるものではあるけれども、そうした事実を詞書や伝記によって知らずとも、この一首の歌から感得できるとする小林の鑑賞・分析は説得力をもっているといわねばならない。


   4

 だとするならば、詞書などは無用の長物、蛇足のようなものなのだろうか。
 ここでふたたび岡井隆を召喚しよう。岡井は「詞書の諸相について」*9というエッセイで、現代では一首の歌が「真裸かのまま」読者に届けられることはほとんどない、という。作者の名、性別だけでも「大きな情報」になる。だがそれでもなお「一首だけを、詞書ぬきで(五字傍点)提示されたときに、わたしたち読者があじわう愉しさという半面」がある。岡井が例に挙げるのは次の一首である*10


 今だれしも俯くひとりひとりなれわれらがわれに変りゆく秋


この歌を「なんの注釈も紹介もなしに読んだとして、どのような解釈が可能であろうか」と岡井は問う。たしかに作者の閲歴を知らなければ、あるいは連作の他の歌を併せ読まなければ、「失恋の歌とも、中年の述懐とも、政治運動家の回顧とも」とることができるだろう。岡井のいうように読者は「いくとおりかの解釈のうち、自分のもっとも愉しく興趣ぶかいと思うのを選んで、その歌の正解ときめればいいのである」。岡井は「こうした事情を、充分承知した上で、なおかつ、詞書の効用を積極的にみとめようとする現代の歌人も、少数ながら居る。わたしもその一人」であるという。
 岡井が「詞書の導入と復活」を意図してつくった歌集が『人生の視える場所』*11である。子規にまつわる連作「荒野にありし頃」より二首、詞書とともに。


     子規はついに、あわただしい男であったか。
 あわただしく潦(にはたづみ)踏みいでて行く彼方(かなた)喘鳴(ぜいめい)に満ちて部屋あり

     子規もまた、マチネ・ポエティクばりの押韻詩をつくった。「韻さぐり」なる脚韻インデクスを自製していたなど、いかにも子規らしい。

 分類はいよよこまかになりきたり雪降る肺は雪降ると呼ぶ


 この歌集には詞書のほかにさらに巻末に詳しい注が附いている*12。その注を読まなければ、「雪降る肺」がレントゲン写真に写った肺の状態であるとは大方の読者はわからないだろう。
 岡井は明示していないが、この歌集と先に挙げた評伝『正岡子規』とは同年の刊行である。『正岡子規』を書き進める過程で、あるいは「詞書の効用」を再発見したのかもしれない。岡井のこの試行は歌壇で少なからぬ人々の耳目をひいたと思しい。それ以降、何人もの歌人が詞書を多用した歌集を出している。そのなかから、日記形式の詞書の目覚しい二例を掲出する。
 まずは石井辰彦の『バスハウス』*13集中「パリサイドの日記 一九九二年六月」より、


     一日月曜。午後、今は美術館として使われている白金台の旧朝香宮邸で、ロバート・メイプルソープ展内覧会とレセプション。夕刻より銀座で宮迫千鶴新作展オープニングパーティ。谷川晃一氏ら友人たちと、三次会まで。

 紫陽花の鉢一、二鉢 喧噪の都市(まち)は白昼すでにやや酔ひ


 つぎは藤原龍一郎の『東京式 99・10・1―00・3・31』*14より「99年10月12日(火)」の条。


 副部長会が非常に長引く。会社発足以来の不景気で、どうしても各セクションの報告が自己弁護的になり、その分、話が長くなる。役員もその陥穽に落ちている。
 回想のモノクロ・ビューに蝋燭の焔がゆれてさらば哀愁
 夜、ビデオで『ダイヤルMを回せ』を見る。サスペンスは『裏窓』や『めまい』よりも感じるが、グレース・ケリーが死刑宣告される状況をとばしてあるのはひどい。ヒッチコックって、本当に才能があるのか。


 藤原の歌集はむしろ歌入り日録といった態で、岡井の試行をさらに徹底させたような趣がある。現代の歌入り断腸亭日乗といったところか、東京に生活するひとりの歌人の日常が巧みに写されている。「蝋燭の焔」はバシュラールの著書の題、「さらば哀愁」は郷ひろみの『よろしく哀愁』のもじりか。『蝋燭の焔』の「焔のそばで、ひとは遠く、あまりにも遠く夢見ようとする。『ひとは夢想のうちにおのれを失う』のだ」といった一節を思い起こせば歌の味わいも増すだろう。
 こうした試みは歌の世界を拡張するという意味できわめて興味深い。このふたりの歌人はたまたま私の知人であるので、その分よけいに面白く感じられるということはあるだろう。だが、うんと遡れば、そもそも和歌とはそういうものだったのかもしれない。

*1:『子規全集』第十一巻「随筆一」、講談社、一九七五年

*2:蒲池文雄「解題」、上掲『子規全集』第十一巻

*3:ホトトギス」明治三十四年七月三十一日発行の「消息」に虚子記す。同上に拠る。

*4:子規の歌の表記は原文ママ、柴生田稔編『斎藤茂吉歌論集』岩波文庫、一九七七年

*5:同上岩波文庫所収

*6:岡井隆正岡子規筑摩書房、一九八二年

*7:大江健三郎「子規の根源的主題系(テマティック)」、前掲『子規全集』第十一巻「解説」

*8:小林幸夫他編著『【うた】をよむ――三十一字の詩学三省堂、一九九七年

*9:岡井隆「詞書の諸相について」、『犀の独言』砂子屋書房、一九八七年

*10:道浦母都子『無援の抒情』集中の一首

*11:岡井隆『人生の視える場所』思潮社、一九八二年

*12:この二首に関しては次の注記がある。(1)正岡子規小論をたて糸にし、当時崩壊寸前にあった一つの《擬制家族》の、家長の感情生活をよこ糸にして織った。わたしとしては、奈落の底をさまよった記念すべき一篇だが、他の人には、そうは見えないであろう。塚本邦雄だけは、おそるべき直観で見ぬいていたようだ。(2)分類はいよよこまかに……呼吸器病学も、日進月歩で、肺病変の分類も細分化している。ネガで雪華状の肺は、「雪降る」と表現するがごとしである。

*13:石井辰彦『バスハウス』書肆山田、一九九四年

*14:藤原龍一郎『東京式 99・10・1―00・3・31』北冬舎、二〇〇〇年