擬態と脈動――「『ボヴァリー夫人』論」を読む



 それがなんの番組でどのチャンネルで放送されていたものなのか判然としないのだが、つい先日の夜たまたまTVをつけた時にほんの一瞬目にしたやりとりが妙に記憶に残っている。写真で見覚えのある若い頃の顔よりいくぶんふくよかになり、それなりに皺もきざまれた初老の小説家がソファにすわって女優のインタビューに答えていた。それは小説家自身の著書にかんするインタビューのようでもあるのだが、なにぶん一瞬のことゆえそうとは断言できない。かつての旺盛な執筆時をふりかえって苦笑をまじえながら小説家はこう語っていた。ある小説で、ある日会社に行くとなんとかが起こって、その次の日はなに、またその次の日はなにが起こってと書きついで、あとで読みなおしたら日曜日もなくて毎日会社に行っていることになってしまっていた、と量産ゆえの思いがけない不手際をいくぶん自嘲するかのような小説家の発言に妙に気をひかれたのは、そこに小説ゆえの爽快な出鱈目さとでもいうようなものが一瞬露呈していたからなのにちがいない。小説の登場人物がなにも律儀にこの現実社会の制度をなぞらねばならぬという法はないだろうし、かりに現実をそっくりなぞることがリアリズム小説の約束事であるとするなら、そんなものを知らぬげにすずしい顔でやりすごしてみせる出鱈目さこそが小説というものではあるまいか。 
 その記憶がまだ生々しく残っているうちに出会ったある「批評的エッセイ」に、まさにその出鱈目さに呼応するかのようなある小説の一節が引用され、その相互に矛盾する記述が誤りの指摘といった批判とはことなった文脈で問題化されているのを目にして思いがけない暗合に目を瞠ることになったのだった。ある小説とは誰もが知っているフローベールの『ボヴァリー夫人』で、このフランスの長篇小説をめぐって書かれた「『ボヴァリー夫人』論」と題された文章が著者によってなぜ「批評的エッセイ」と呼ばれるのかは当の文章に譲るとして、まずはその相互に矛盾する記述がいかなるものかについて書いておきたい。


 『ボヴァリー夫人』に登場する主要な交通手段である乗合馬車についてフローベールは第二部一章でこう描写する。「車輪が幌の高さまであるので、乗客は外の景色も見えず、肩先まで泥のはねがあがった」。ところがその同じ乗合馬車が第三部五章ではこう描かれる。「馬車はがらがらと走り出し、りんごの木が一列に窓の外を流れる。街道は、黄色くにごった水をたたえた溝を両側に、地平の果てまで先細りになりながらえんえんとつづいている」。むろんそれは「『ボヴァリー夫人』論」の著者のいうようにこの馬車に乗り合わせているエンマの視覚ではなく「彼女によりそうように言葉をついでいる話者によるもの」であるとすることも不可能ではない。だがそれにつづく「エンマにはこの街道筋の景色は端から端まで知れきっていた。牧場の次には標柱が来る、それから楡の木があって、それから納屋だか道路工夫の木屋だかがある、というふうに。ときには、目をあけたらもうこんなところまで来ていたかと驚きたいばかりに、わざと目をつむることさえあった」という記述は馬車に乗ったエンマが目にとらえた記憶のなかの光景をさすものであることは間違いないだろう。しかしなぜそういうことが起こるのか。
 作者であるフローベールは第三部五章のしかるべき箇所を執筆するさいに第二部一章に書いたことをすっかり忘れ果てていたのだろうか。第二部第一章に書かれた「文」と第三部五章に書かれた「文」とのあいだには、数えきれないほど多くの「文」が介在する。この小説をフランス語で読む読者も日本語の翻訳で読む読者も、あるいはこの小説の著者や研究者であってもそのあいだに幾つの「文」があるかその数を正確に言い当てられはしまい。「数えきれないほどの、とはいえあくまで無限からは思いきり遠い有限数の「文」《Phrases》からなっている「言説」《discours》」を「テクスト」と呼んでおくなら、読者は「自分がいま冒頭からいくつ目の「文」を読んでいるのかなどに拘泥すること」はないし、また、「ひとつの「文」を構成している複数の単語がいかなる語順で、またいくつ存在しているかを知ることは、その意味の解読にとって不可欠でありながら、「テクスト」がいくつの「文」からなっているかを知ることは、そうでない」と「『ボヴァリー夫人』論」の著者はいう。
 そんなことはあらためていうまでもない当然のことではないか、という人もいるだろう。むろん当然のことにちがいないが、その当然のことにいま初めて遭遇したかのように驚いてみること、そのことをおいて「テクスト」と向きあうことなどできはしまいと著者はいいたいかのようである。


 「それぞれの「文」のおさまる「文脈」に大きな変化がなく、そこに表象されるイメージがある程度まで一定に維持されているかぎり、人はたったいま読んだばかりの「文」を思考のうちで正確に再現しようとはせず、その場で忘れるにまかせる。いま読みつつある「文」そのものを忘れないかぎり、「テクスト」を最後まで読み続けることはおよそ不可能であり、そのかぎりにおいて、「テクスト」は一瞬ごとの忘却を惹起する言語的な装置だというべきかもしれない。」


 第二部一章と第三部五章の乗合馬車の記述の矛盾に立ち戻れば、この「テクスト」は「まったく意味の異なる二つの「文」を共存させているとすべきかもしれない」と著者はいう。


 「それぞれの「文」は「文」として「完璧」であり、誤解のまぎれこむ余地はない。にもかかわらず、あるいはであるが故に、読むものは、そのどちらが乗合馬車「つばめ」の構造をめぐっての正しい記述であるかを知ることができない。「テクスト」の煽りたてる記憶喪失によって、誰もが、そのつど、いま読みつつある「文」だけを肯定するしかなく、「テクスト」の全域に視線をはせることなどできはしないからだ。つまり、意味の異なる二つの「文」は、「テクスト」においては、ともに肯定されるしかないのである。「テクスト」を読むとは、この矛盾、この不確かさ、この曖昧さを受けいれることにほかならず、必然的にその決定不能性と向きあわざるをえない。「テクスト」を読むことが、どこかしら「生」を「生きること」に似ているといわざるをえないのは、そのためである。」


 この矛盾、不確かさ、曖昧さを「テクスト的な現実」と呼ぼうと著者はいう。そして『ボヴァリー夫人』といえば誰もがあたかも『紋切型辞典』の一項目ででもあるかのように「エンマ・ボヴァリーは自殺した」と口にするけれども、『ボヴァリー夫人』という「テクスト」には「エンマ・ボヴァリー」という固有名詞は一度たりとも出てはこない、と驚くべきことを口にする。フローベールは『ボヴァリー夫人』のヒロインを、エンマ、あるいはボヴァリー夫人、あるいは彼女といった名詞、代名詞で表記するけれども、「エンマ・ボヴァリー」と名指すことはない。それが「テクスト的な現実」である。にもかかわらず、『ボヴァリー夫人』について言及する多くの研究者、批評家たちは誰もが「エンマ・ボヴァリー」と書いてあやしまない。それはいったいなぜなのか。「フローベールが、その処女作である長編小説のヒロインをあえて作中で「エンマ・ボヴァリー」とは呼んでいないという「テクスト的な現実」にふさわしく、『ボヴァリー夫人』は読まれねばならない」と著者はいう。それはたとえば、ダシール・ハメットの『マルタの鷹』の登場人物のなかで、ブリジッド・オショーネシーとエフィ・ペリンのみがつねにフルネームで表記されるという「テクスト的な現実」ともあるいはどこかで通じ合っているのかもしれない*1


 「確かに、人は、何よりもまず「作品」の言葉を読む。だが、そのとき、ある文章の中(略)で「彼女」と呼ばれている人物が「エンマ」にほかならぬと同定することさえ意味を失う瞬間が「テクスト」に書きこまれているのを察知することが、「読む」ことにほかならぬと理解されねばならない。あるいは、「エンマ」が言語記号として消滅しながら、その消滅そのものさえが意味を持つ文脈がかたちづくられることを、「散文」がまぎれもない現実として誇示しているといったらよいだろうか。それと同じ理由で、「エンマ・ボヴァリー」という記号の不在に驚くこともまた「読む」ことなのである。」


 人は何よりもまず「作品」の言葉を読む。そしてその物語のなかに没入する。だが、「それと同時に、あるいはそれにもまして、あくまで「散文」たろうとする言葉に起こりつつある変化の生々しさを距離なしに蝕知する。そのとき、「フィクション」の「テクスト的な現実」は、語られている事態の理解を代償として、あっさり視界から消滅したりはしない」と著者はいう。あくまで「散文」たろうとする言葉とは、たとえばエンマが森の中でロドルフに身をまかせようとするときの彼女の「奥深い震え」に「擬態として同調」しようとする言葉、あるいは、そうした「「散文」のつつましい大胆さにすべてをゆだねようとする言葉の脈動ぶり」のことにほかならない。


 「実際、もはや名ざされることすらない匿名の個体と化した存在が、不意に距離なしに接しあう世界とひとつになってひそかに生の鼓動を脈打ち始める瞬間、言葉がみずからの脈動を介してその震えに同調するといった事態に立ちあうわれわれは、それが物語の数ある挿話のひとつでしかないことをあやうく失念しそうになる。読むものは、言葉のもらす吐息ともいうべきものに聞き入るのみであり、それこそ、「優れた散文の文章」の力によるものにほかならない。その気配を受けとめることなく、この挿話を「エンマ・ボヴァリーは姦通した」という文章で「要約」することなどもはや誰にもできはしまい。そこには、「エンマ・ボヴァリー」はいうまでもなく、「エンマ」さえもが不在というほかはないからだ。」


 「何も書かれていない書物」という途方もない夢を見たフローベールにとって書物とは書物であること以外のなにものをも代理しないように、散文とはなにかあるものを表象するものでなく生々しく脈動する言葉たちのつらなりとでもいうほかないものとして目ざされていたというべきかもしれない。そうしたとき、フローベールのいう「散文は生れたばかりのもの」と、冒頭で述べたある小説家の発言に感じた「小説ゆえの爽快な出鱈目さ」とがどのように交叉もしくは共鳴するのかあるいはしないのか、それはいまだその序章と第一章しか目にしていないこの「『ボヴァリー夫人』論」がいずれ近いうちにその全容をわれわれのまえに現したときにあらためて考えてみたいと思う*2

新潮 2014年 01月号 [雑誌]

新潮 2014年 01月号 [雑誌]

*1:諏訪部浩一『『マルタの鷹』講義』研究社、2012

*2:蓮實重彦「『ボヴァリー夫人』論」は、「新潮」2014年1月号に「序章」と「1章 散文と歴史」(250枚)が掲載された。来春刊行の予定される単行本の概要は以下のとおり。「序章 読むことの始まりに向けて/1章 散文と歴史/2章 懇願と報酬/3章 署名と交通/4章 小説と物語/5章 華奢と頑丈/6章 塵埃と頭髪/7章 類似と齟齬/8章 虚構と表象/9章 言葉と数字/10章 運動と物質/終章 読むことを終えて」。蓮實重彦の「『ボヴァリー夫人』論」は、「海」「社会史研究」「文学」「東京大学紀要」等々、発表媒体を変えつつおそらく四十年以上の長きにわたって書き継がれてきた論考を一新するかたちで書き下ろされたものと思われる。たとえば、「社会史研究」(1984.4)に発表された「『ブヴァールとペキュシェ』論」は副題に「固有名詞と人称について」とあるように「テクスト的な現実」という用語は未生ながら『ブヴァールとペキュシェ』の固有名詞・人称をめぐって「テクスト的な現実」が俎上に載せられるし、「文学」(1988.12)ではまさに「懇願と報酬」と題されて『ボヴァリー夫人』の説話論的構造が分析されている。