『神聖喜劇』そして/あるいは『白鯨』



 「海こそはわがハーヴァード大学」と言うメルヴィルにとって、海は生のアイロニーへの決定的なイニシエイションの空間であった。
                       ――高山宏メルヴィルの白い渦巻」*1



 前回の末尾にわたしは『神聖喜劇』を「異形のテクスト」と書いた。それには幾つかの理由が存在するが、その第一の理由は『神聖喜劇』の読者のだれもが認めるにちがいない、そのほとんど常軌を逸したというべき引用にある。なにかのきっかけで主人公東堂太郎の脳裡に浮ぶ、過去に読んださまざまな書物の断片――古今東西の小説(欧米の小説であれば原文・訳文の双方)、詩・短歌・俳句、評論、政治論文、地誌、軍令、法文、新聞記事etc. ―― それらがほとんど生の形で(要約でなく)厳密に引用される。この大部の小説を読み通すことができずに中途で挫折する読者の多くは、この膨大な引用に躓いたためであるらしい。
 作者大西巨人もそのことに当然意識的であり、吉本隆明との対談で吉本に次のように問い質している*2


 「どうもおれは、小説らしからぬ物を書くようだから、なるべく小説らしい物を書こうとは思ってるのですが、結果としてはどうもそうじゃないらしい……普通とは違うようなことになってしまうらしい。
 たとえば、ずっと描写が続いて諸人物が出たり入ったりするという「小説的な」所と、突如として学術論文のようになるという所とが、入り交じっている。「奇妙な間の狂言」(第六部「迷宮の章」第二)や「歴世」(第七部「連環の章」第二)やについて、何か言って聞かせてくれませんか」


 吉本はその問いに対して「比重ということだけが問題」だと答えている。吉本の発言を要約すると、おおむね以下のようになる。
 トルストイの『戦争と平和』にも歴史観や戦争観について論文のように語る箇所があり、それは物語の進行速度を妨げもする。『神聖喜劇』においても論文のような箇所があるけれども、そのことで作品が「減殺」されはしない。むしろ東堂太郎の教養・学識、特異な性格・資質等の表現として、それはこの作品の「特異さ、特徴」を形づくっている要素であり、「これを抜かしたらこの小説の特異性のある部分は失われてしまう」という。「比重」の問題について吉本は、「作者が乗り出して、論文を書いているように見解を述べているのと、作者はわりに醒めてて、作中の「私」ないし東堂二等兵がこう感じたんだ、あるいはこういうふうに考えたんだというふうに述べているのとは、やはりウェイトがちがいます」と述べるにとどまり、「論文のような箇所」のウェイトが大きすぎると明言しているわけではない。いずれにせよ、それらは「この作品を特異にしている、やはり不可欠な要素であり、そこがおもしろいところ」だと繰り返すばかりだ。
 吉本はさらに、作者・東堂・作中の「私」、この三者の微妙な重なりとズレの問題を指摘するのだが、ここではその問題にふれない(いずれ機会があればふれてみたい)。引用の問題にかぎっていえば、わたしもまた吉本と同様「これを抜かしたらこの小説の特異性のある部分は失われてしまう」と信じる。さるにても、大西が吉本に問いかけた「奇妙な間の狂言」については、すでに「憧憬と軽蔑」「もし愛なくば」と二度にわたって書いたようにきわめて興味深く読んだし、『神聖喜劇』全篇中でもわたしのとりわけ鍾愛する章であるけれど、もうひとつの「歴世」の田能村竹田にかんする箇所はともあれ(竹田や菅茶山にたいするわたしの少なからぬ関心によって興味深く読んだ)、「脈絡」(第七部「連環の章」第六)の賀茂神社の来歴が神社志の記述によって延々と語られる箇所などにはいささか閉口しないわけにはいかなかった。
 とはいえ、ここを飛ばして読んだとしたら『神聖喜劇』を読み誤るぞ、この停滞はこの小説の必然でなければならない、と一歩ずつ歩を進めるように頁を繰っていった。そうした「論文のような箇所」は、仮に飛ばして読んだとしても大過はないと言いうるかもしれない。だが、そこを飛ばして読んだ場合と、すべてを隈なく読んだ場合とでは、読書体験として必ずどこかに違いが生じていなければならない。テクストを読むとは、その一語一語に、一頁一頁の隅々にまで注意深く瞳をさらすことである。テクストの表面で起こっていることは可能なかぎり細大漏らさず瞳におさめること、むろんそれは無謀な企てにちがいないけれども、そのことを措いてテクストを読むことなど不可能にちがいない。
 たとえば物語を知るには、荒井晴彦が周到にアダプトした『シナリオ 神聖喜劇』を読めば――そこには小説にあった膨大な引用が(若干の短歌作品を例外に)きれいさっぱりと削除されている――事足りるかもしれない。あるいは劇画版『神聖喜劇』(のぞゑのぶひさ・岩田和博)を手にすれば――シナリオ版よりは相対的に引用が多く見られるが、むろん小説の比ではない――充分であると言えるかもしれない。だがそれらは、いうまでもないけれども、小説とは別の表現物なのである。
 『神聖喜劇』が一人称小説でありつつ、対話体、戯曲体、モノローグ、といったさまざまな形式を採り入れ、類を見ない膨大な引用を可能にしたのは、それが「小説」であるからだ。映画(脚本)にも漫画・劇画にもできない、「小説」という形式のみがそれを可能としたのである。それがかりに「小説らしからぬ物」と見えるとしたら、一般に流通する「小説らしい物」こそが、逆に「小説らしからぬ物」であるといわねばならない。吉本隆明は、『神聖喜劇』をトルストイの『戦争と平和』に比したけれども、比較するとすれば博引傍証によって「百科全書的小説」と称されたメルヴィルの『白鯨』のほうがいっそ妥当するにちがいない。


 『白鯨』(下巻、岩波文庫)の訳者解説で八木敏雄はこう書いている。「なるほど、『白鯨』をそのつもりで見てみると、物語が中断したり、足踏みしたり、プロットが中途で変更したり、異質なものが挿入されたり、まさしく、つぎはぎ細工である。内容も「知的ごった煮」と呼ばれるにふさわしい」。芝居の台本仕立ての章、主人公エイハブの独白、そして物語を中断して始まる「鯨学」という議論。
 「これから先は古今東西の文献への言及・紹介がはじまり、描写というよりは議論が展開する。しかも、きわめて衒学的な議論が展開する。その語り口には純然たる学術論文とはちがった諧謔もふくまれているが、概して高踏的で、大仰で、他の本への言及、他の本からの借用にみちみちている。」
 たとえば、『白鯨』論としていまもなお陸離たる光彩を失わない高山宏の「メルヴィルの白い渦巻」に、以下のような記述がある。


 「例えば『白鯨』に含まれる視点の唐突自在の変換、アイロニカルきわまる放漫饒舌の百科辞書的記述、とめどない脱線癖、「小説」の中に芝居台本や人物の独白(ソリロキー)を投入するといったジャンル的混淆、実に演劇的ともラブレー的とも言える怪異な文体がもちうる反近代のポテンシャリティはもはや隠れもない。偶然を排除し、コミュナルな輪を峻拒したエイハブの探究行がそのあからさまに直線的な衝迫において、やがてアイロニーの海、生の総体性(ラウンドネス)に復讐されていくのを言わばテーマ上でのメルヴィルの「アイロニーの構図」「ドン・キホーテ的パターン」(ジョン・シーリー)だとするならば、暗喩主義(メタフォリズム)や脱線(ディグレッション)といった言語的現実の自律性を、形式は内容に従属する流線形のものたるべしとする新古典主義詩学に置き換えてきた近代の直線的言語感覚に対する嗤いが、エクリチュールの次元でも実現されたのだと見ていいのである。」


 おそらくこの評言は、大西巨人の『神聖喜劇』において、彼我の文学史的相違を超えて驚くほど妥当すると言わねばならない。大西の「怪異な文体がもちうる反近代のポテンシャリティ」はまぎれもなく、東堂太郎の「探究行がそのあからさまに直線的な衝迫において、やがてアイロニーの海、生の総体性(ラウンドネス)に復讐されていく」ゆくたては、まさにドン・キホーテ的と称すべきであり、「近代の直線的言語感覚に対する嗤いが、(まさに『神聖喜劇』という作品における)エクリチュールの次元でも実現されたのだ」と言うべきである。
 「「海こそはわがハーヴァード大学」と言うメルヴィルにとって、海は生のアイロニーへの決定的なイニシエイションの空間であった」という一文のメルヴィル大西巨人に、「海」を「軍隊生活」と読み換えれば、それはそっくり『神聖喜劇』に通じるだろう。高山宏は続けてこう書く(パーレン内はわたしの補足、及びルビ)。


 「自然のアイロニーのみではない。閉鎖的なるが故に却って陸上(地方=一般社会)の世界よりも人間関係の濃密な船(内務班)の世界は、人間に潜むアイロニー、人間悪の見えざる領域への認識をも深めさせた。人間は自己をも解読できぬ肉体化された象形文字(イエログリフ)なのだ、とメルヴィルは繰り返し言っている。ちょうど自然が測り知れぬ謎(エニグマ)であるように人間も謎なのだ――メルヴィルの海洋文学(大西巨人の文学)に一貫し、それを特徴づけている人間存在、とくに人間悪への執拗な関心は、ひとりピュリタニズムによるものではなく、人間の欲望とエゴイズムがさらけ出される如上の船(内務班)の生活から得たところ大なのである。メルヴィルが熟読したルネッサンスアイロニー文学の累積が彼をアイロニストにしたのではなく、幼児からのアイロニカルな体質が海(軍隊)の体験によって増幅され、それがそうした言語的アイロニーを呼び込み、その読書体験が彼の肉体的アイロニーに文学的形式を与える術を教えた。」


 『白鯨』と『神聖喜劇』とのこの類比はわたしを慄然とさせる。同質性とともにむろん差異性も数え上げることができよう。だがここで強調すべきは「閉鎖的なるが故に却って陸上(地方=一般社会)の世界よりも人間関係の濃密な船(内務班)の世界は、人間に潜むアイロニー、人間悪の見えざる領域への認識をも深めさせた」という一節にこそなければならない。


 このたび刊行された『日本人論争――大西巨人回想』(左右社)にトーマス・マンの『魔の山』について書かれた短い文章が収録されている。「二十世紀の名著 私の三冊」という「中日新聞」に三回連載(1996年)されたうちの一回分である(他の二冊は斎藤史の歌集『魚歌』とガルシア=マルケスの『予告された殺人の記録』)。
 フォークナーがあるインタビューに答えて「僕の時代の二人の大立て者は、マンとジョイスとだった」と語った言葉に「たいそう同感」し、フォークナーをも二十世紀の「大立て者」の一人だと附言したうえで、大西は『魔の山』について語る。とはいえ新聞の四百字三枚半ぐらいの小さなスペースのことゆえ、『魔の山』について論陣を張るわけではない。ここではほとんどただ一つのことだけを大西は語っている。
 プリンストン大学で行なった講演「『魔の山』入門」においてマンの語った、「『魔の山』が、最初多くの人がその中に見た・そして今日なお見ているもの、つまり結核サナトリウム生活の諷刺たるに依然として止まったならば、こういう怪物にもならずに済んだことでしょう」という一節に、大西は「身につまされた」と述べる。そしてその一節を「軍隊生活の諷刺たるに依然として止まったならば」と、『魔の山』を自作『神聖喜劇』に置き換えて「小人的・凡夫的に「身につまされる」」と書く。
 さもありなん。わたしは、大西巨人のひそみに倣って、メルヴィルをも二十世紀の「大立て者」の一人だとここにあえて附言する。

大西巨人: 抒情と革命

大西巨人: 抒情と革命

日本人論争 大西巨人回想

日本人論争 大西巨人回想

*1:『アリス狩り』青土社、1981

*2:「“大小説”の条件――『神聖喜劇』をめぐって」、『大西巨人――抒情と革命』河出書房新社、2014、所収