詞華集顛末記――承前


 前回のつづき(もう一週間たったのね。まったくもって光陰矢の如しである)。
 さて、もう十五年ほども前、いまとは別の出版社に勤めていたころのことである。わたしは前年の春から半ば自ら志願したかたちで京都の本社に転勤していた。ある日、呼ばれて社長室へ赴くと、社長は一冊の本を手にこういった。
 「これで企画を考えてほしいねん」
 社長が差しだした本は、ほるぷ出版が出していた近代文学館の名著復刻全集の別巻だった。いまでも古本屋でよく見かけるが(わたしも数冊もっている)、近代文学史における折紙つきの名作を初版のままの姿で復刻したシリーズの作品解題の一冊である。社長はその復刻全集を一揃い家蔵していると嬉しそうにいった。
 「これ使こて**に出す企画を考えてほしいんや」
 **は、大阪に本社がある大手の通販会社で、主として若い女性を対象に独自に開発したさまざまな雑貨品などの頒布を行なっていた。
 社長は進取の気性に富むアイデアマンだが、自分のアイデアを他人に事細かに説明したりはしない。その思いつきをいかにして形に仕立て上げるかはこちらの裁量に委ねられる。近代文学と通販ねえ……。わたしは不得要領のまま、その本を預かった。
 鴎外、漱石、龍之介ら錚々たる文学者の名著を解説したその本をわたしはぱらぱらと一瞥すると机の抽斗に仕舞いこんだ。これは企画の役に立ちそうもない。
 しばらく考えた末、わたしはアンソロジーをつくってみようと思いついた。著作権の切れた小説家の短篇を集めればコストも抑えられる。太宰治梶井基次郎中島敦岡本かの子坂口安吾……、いま読んでも若い読者に古めかしく感じさせない作家にしぼればなんとかなるかもしれない。試みにリストを作り始めて、このプランはすぐに暗礁に乗り上げた。
 通販の「商品」は、毎月頒布して一年で完結するのが一つのパターンになっている。こうした作家たちの作品で三、四冊はつくることができても、十二冊はとうてい無理だ。葛西善蔵嘉村礒多の小説を若い女性が好んで読むだろうか。むろんそういう女性もいなくはないだろうが、文庫本程度の値段で大量に頒布する企画ではない。さて、どうしたものか。
 著作権切れの小説家という条件をなくせばいいじゃないか。そうすれば、小説家とのつながりのほとんどない出版社でも、人気作家の小説をのぞみのままに「使う」ことができる! きわめて単純なことだが、そのときのわたしにそれは天啓のように思えた。
 わたしは二つのシリーズを考えた。一つは恋愛小説のアンソロジー。もう一つは、旅のアンソロジー。こちらは小説だけではうまくゆきそうにないので紀行文やエッセイも加えよう。恋愛小説のほうは、出会い、失恋、片思い……といったテーマごとに12冊、旅はフィレンツェヴェネツィア、ローマ…といった地域ごとに12冊。一篇が30頁ほどで、一冊に5〜6篇を収録する。通勤電車の中で気軽に読むことができ、ひと月かからずに読み終えて次の配本が待ち遠しくなる。あまり小説を読みなれていない人は、えてして何を読めばよいかわからないことが多いが、そういう読者の指針になるようなアンソロジーなら受けるにちがいない。そう決めると、まずは本の蒐集にとりかかった。
 会社の近くの「新古書店」へ行き、一冊100円の文庫本をひと抱え買ってきて、来る日も来る日も読み続けた。小説を読むのが仕事なら楽しいだろうと思われるかもしれないが、ほとんどが箸にも棒にもかからない小説ばかり(とわたしには思えた)でうんざりした。スタージョンの法則は正しい、と思った。
 ちなみにスタージョンの法則とはこういうものだ。現代文学に関するシンポジウムである英文学の研究者がこういった。「SFの90%はクズだ」。出席していたSF作家であるシオドア・スタージョンはこう応えたという。「どんなものでも、その90%はクズさ」
 わたしは、短篇集の文庫本ひと山を読み終えると、古書店へ出かけて行ってまたひと山仕入れてきた。これならいいだろうと思えるものが見つかると、各テーマに分類した。テーマごとに3〜4篇の作品が揃ったところでリストにし、適当なキャッチコピーをつけて社長のところへ持って行った。企画書を一瞥した社長はにんまりしていった。「ええやないか、これでいこ」
 通販会社**には「商品開発」にかんする独特のメソッドがある。ある商品を売り出すに際して、ダミーを作成して若い女性数名にモニターを依頼するのである。女性たちを会社の一室に集めて、その試作品についての意見を聞く。ブレーンストーミングのようなものだ。ときには彼女たちの意見によって細かい修正を加え、再度集まってもらいまた意見を聞く。それを何度も繰り返し、商品を仕上げてゆくのである。そして最終的な試作品についてアンケートをし、「これなら買う」というモニターの比率が何十パーセントか以下なら発売を止めるそうである。「独特のメソッド」と書いたけれども、マーケティングの手法としてあるいは一般的なのかもしれない(わたしは当時もいまもそうした「ものづくりの手法」にはなじめないけれども)。
 **の担当者と打合せをかさね、デザイナーに依頼して何種類かのカバーと束見本も作成した。正方形にちかい文庫版の変型で160頁ぐらいの上製本だったと思う。それと同時に、収録を予定している作家たちに内諾を得るために掲載許可願いの手紙を発送した。
 前回書いたように、北村薫さんもそのなかの一人だった。わたしは北村さんの「円紫さんシリーズ」のファンだったが、恋愛小説集とも呼べるある短篇集は未読だった。この企画ではじめてその短篇集を読み、おおいに感銘を受けた。この仕事のために読んだ短篇集には一作も採れないというものも少なくなかったが、北村さんのその本はすべてを収録したいと思わせるほどすばらしかった。90%のクズと比較してそう思ったわけではない。
 わたしはその短篇集のあらかたをそれぞれ別々のテーマに振り分けて北村さんに許可願いを出した。まもなく北村さんから電話がかかってきた(北村さんはこちらから連絡する前にご自身で連絡してこられる方である)。北村さんがおっしゃるには、アンソロジーに加えてくださるのはうれしく光栄に思う。だけど一冊の短篇集のあらかたを収録するのは、その短篇集の版元に申し訳ない。一、二篇にしてはいただけまいか。仰せのとおりである。わたしは自分の強引さに電話口で赤面し、ひたすら恐縮した。わたしはその件でいっそう北村さんのファンになった。
 おそらく四、五十人の方々に依頼状を送ったのではないかと思う。同封した返信用封筒で諾否を伝えられた方が大半だったが、返事がなかなか届かない人には電話をかけた。随筆・評論をよくするA氏に電話で許諾をもとめたときのことである。A氏は木で鼻を括ったような口調でこういった。「私はアンソロジーのたぐいには加わらないことにしているのです」。A氏は数々のアンソロジーを編纂している名アンソロジストとして名高い人である。おそらくたんに面倒臭かっただけなのだろう。その返答にわたしは憮然としたが、のちのち思い起こすと愉快になったものである。A氏のような人こそ真のユーモリストというべきかもしれない。
 このアンソロジーの企画は、わたしがその出版社を退社することになって別の人に引き継いだが、その一年後ぐらいだろうか、中止になったと聞いた。理由は聞かなかった。許諾をくださった方たちにはいまでも聊かの負い目をいだいている。
 世にある××編と作家の名を冠したアンソロジーには、編集者かだれかが選んだ作品に名を貸しただけのものが多い(自分で選ぶ北村薫のような人は例外といっていい)。堀切直人のような目利きの編んだアンソロジーなら、誰の名を冠していようと見事なセレクションになっているけれども、作家の編になるアンソロジーの多くは相も変らぬ定番の作品を並べた藝のないものだ。
 すこし前に読んだある近代文学のアンソロジーは、大学生のための副読本としてつくられたため多くが漱石、直哉、寛、春夫、龍之介らの定番の作品で占められているが、なかにおやと思わせる作品もまじっている。平塚武二「たまむしのずしの物語」などその一作。芥川龍之介太宰治とが合作したような短篇で、最後の一行の体言止めが見事。作者の平塚は児童文学者というが、本作ではじめて知った。アンソロジーの功徳である。ほかに、城昌幸の「ママゴト」、井伏鱒二からは「草野球の球審」を選ぶといったところに編者の見識を窺うことができる。
 本田隆文、田村修一、外村彰、橋本正志編『ひたむきな人々――近代小説の情熱家たち』。グレゴリ青山のカバー画・扉挿画、高橋輝雄による扉の作品・作者名の木版画が素朴な味わいで素晴らしい。
 いつもながら見事な造本の龜鳴屋刊本*1である。