さよなら、さよなら!
こんなに良いお天気の日に
お別れしてゆくのかと思ふとほんとに辛い
こんなに良いお天気の日に
長谷川和彦が亡くなった。1月31日。多臓器不全。癌だったとも。広島の体内被曝者なのでそれも頭をかすめたが。享年80は若い。
あなたには仕事で何度もお世話になった(いろいろお世話になりましたねえ)。映画雑誌を創刊するときの川喜多和子さんとの対談が最初で、そのことはテオ・アンゲロプロスの追悼のさいに書いたことがある。
それから、『太陽を盗んだ男』のカースタントマン三石千尋との対談。
新宿の喫茶店でやったのだけど、始まって30分ほど経った頃、テレコの調子が不安になって対談を中断してもらって確めたら、案の定、録音されていなかった。「ざけんなよ、このやろー」と強い調子で怒られたが、近くの量販店でテレコを買ってくるのをあなたは待っててくれて、最初からもう一度話してくれた。わたしを怒鳴ったのは対談相手を思ってのポーズである。根はやさしい人なんだな、と思った。
つぎは、映画フィルムの褪色について、来日していたマーティン・スコセッシにインタビューすることになり、あなたにインタビュアーを頼んだ。通訳なしの英語でのインタビューだった記憶がある。
フィルムの褪色の問題については、京橋のフィルムセンター(現・国立映画アーカイブ)で、すでに一度講演していたスコセッシ監督は、「マダアノ話スルノカイ?」と呆れた顔をしながら付き合ってくれた。『タクシードライバー』の脚本を書いたポール・シュレイダーの兄のレナードはあなたのマブダチで、『太陽を盗んだ男』の原案も書いていた。だから、あなたはマーティンとも旧知の仲だった。
それからだいぶ経って、日活(というより日本映画)を代表する撮影監督の姫田真左久――ウィキでも真佐久と表記されているが真左久が正しい。「よく間違われるんだよね」と本人も言っていた――を追悼する集まりを催すことになり(一周忌だったか)、その指揮を執ったのがあなたで、準備のために事務所(出版社)へジーンズに下駄履きで日参していた。集まりで上映する短篇映画――姫田撮影の映画のシーンを繋ぎ合わせた――を姫田さんの遺児とカモちゃんこと鴨田好史(クマさんこと神代辰巳の助監督で脚本家。ゴジやらカモやらクマやら動物園か、映画界は)が共同で編集する、それを監督する立場だったが、そのときに、あなたは豪放磊落に見えてじつは繊細で、細かい気配りをする人なんだな、ということがよくわかった。
集まりはどこかのホテルのホールを借りて盛大におこなわれた。たしか宍戸錠が司会をやって、日活俳優の同窓会のようだった。「連赤の映画を撮るときは出てくれよ」と会場の隅で陣内孝則に頼んでいるあなたの姿を見かけた。あれからおよそ30年、2本の映画をのこしてあなたはあっけなくこの世を去ってしまった。
在りし日のあなたを偲ぶために、『青春の殺人者』か『太陽を盗んだ男』をDVDで見ようかと思ったが、もうすこしナマのあなたにふれたくなって、日本映画専門チャンネルの「マイリトル映画祭」で放送されたインタビュー番組を見直した(2012年/前後2回/120分)。聞き手は岩井俊二。デビューしたての初々しい若手女優、黒木華と刈谷友衣子がアシスタントについていたが、当時、刈谷友衣子のほうがいずれ脚光を浴びるのだろうなと思った。じっさいは逆だったが。
インタビューの後半、9人の監督たちによるディレクターズ・カンパニーが出発し、あなたは田村孟の脚本で連赤の映画を撮ろうとしていた、と語る。6,500万で売却に出された浅間山荘を3,800万まで値切って手付を打つばかりになっていたところ、ディレカンのメンバーである相米慎二の監督作品『光る女』が大コケにこけた。とても連赤をやるような状況じゃなくなった。
というか、おれがビビったんだな。これで連赤にGOをかけるとディレカンをつぶしちゃうと
結局、石井聰亙が『逆噴射家族』を撮り、黒沢清が『ドレミファ娘の血は騒ぐ』を撮り、相米慎二が『台風クラブ』を撮ったのだから、ディレカンは日本映画に大きく貢献したわけだが、いっぽうであなた自身の3作目の映画の芽を摘みとることにもなった。
次回作を準備するなかで「映画にならなかったホンはこんなにあるが」と手を大きく広げて見せるが、あなたはなぜ、それらのうちの1本でも撮ることができなかったのだろうか。
おれはね、言い訳めくが、『太陽』で先輩も後輩も友だちをだいぶ失ったんだよな。もうゴジとは付き合いきれんみたいな。現場でよっぽど我儘な監督だったんだろうな。いざ現場に立てば、友だちを失うぐらいの暴走を、自信に充ちたデカい態度でやるに違いないんだから、それに見合う企画がないとおまえは映画を撮っちゃいかん、という自分がどこかにいるな
その企画が、生涯執着した連合赤軍事件だったのだろう。自分を、そして他人を、とことん追いつめてやまないもうひとりの自分。あなたは連合赤軍の青年たちにもうひとりの自分を見ていたのだろうか。
両親殺して、原爆作っちゃうと、次はなかなかないぜ、という言い訳は自分のなかにあったな
ひと一倍やさしい自分を殺さねば、他人を殺すことはできない。
さよなら、さよなら!
あなたはそんなにパラソルを振る
僕にはあんまり眩しいのです
あなたはそんなにパラソルを振る
さよなら、さよなら!
さよなら、さよなら!