往事渺茫都似夢


 Céoriさん――
 梅本くんが死んじゃいましたね。
 山口昌男大島渚は天寿を全うしたといえますが、同世代や年下の知人の死は痛ましいものです。
 身につまされます。

 かれとは20代の終わりのころ、わたしが編集にたずさわっていた映画雑誌の評論賞にかれが応募して知り合いましたが、2〜3年の付き合いでそれ以来会っていません。
 パリの大学に留学してシネマテークで浴びるほど映画を見て、帰国するやハリウッドのミュージカル映画について評論を書き賞をかっさらう。かなわんなあと思いました。
 それ以降なんどか原稿を書いてもらいましたが、いちばん記憶に残っているのはヴェンダースにインタビューをしてもらったときのことです。
 ヴェンダースの映画は当時、ヘルツォークファスビンダーらとともに〈ニュージャーマンシネマ〉のひとりとして『都会のアリス』『アメリカの友人』などがドイツ映画祭などで上映されるのみで、知る人ぞ知るといった存在でした。ヴェンダースにも若年のころパリのシネマテークで映画に溺れていた日々があり、映画監督へのインタビューというよりシネフィル同士の対話といった趣きでした。わたしは隣りでフランス語による会話を鳥の囀りのようにただ聴いているだけでした。
 そういえば寺山修司さんも〈ニュージャーマンシネマ〉には興味津々で、とりわけファスビンダーがお気に入りでしたね。渋谷の映画館で催されたドイツ映画祭で寺山さんはヘルツォークらとともに壇上に上がり、シンポジウムのようなものが行なわれました。休憩時間にロビーで寺山さんを見つけたわたしは、試写で見たばかりのクリス・マルケルの『サン・ソレイユ』について話したけれど、寺山さんは土気色の顔でうなづくばかりでした。それからまもなく寺山さんはあっちの世界へいってしまいました。当時、青二才の若造にとって寺山さんは仰ぎ見るような「おとな」でしたが、指折り数えてみるとまだ47歳、あまりにも早く駆けすぎたためにひとより30年も早くゴールしてしまったのですね。
 Céoriさん、梅本くんとは大学の同じ学部で知り合いになられたのでしたね。官僚をめざす学生たちが多いなかで、映画好きの若者どうし、さぞや話がはずんだことでしょう。のちに、といっても、それから四半世紀以上のちに勤められた大学でCéoriさんの同僚となる橋爪大三郎さんも、梅本くんと相前後して同じ評論賞で受賞したのでした。たしか鈴木清順の映画『ツィゴイネルワイゼン』を論じた評論でした。いつぞやCéoriさんに橋爪大三郎さんを紹介された際にそのことを話したら、そんなこともありましたっけという顔でとぼけていられましたが。
 ああ、往事渺茫としてすべて夢に似たり。
 梅本洋一は享年60、小津安二郎と同年の早すぎる長逝でした。わたしは葬儀には行きません。遠くより手を合わせるのみ。合掌。