老人の顔にきざまれた皺のように――内堀弘『古本の時間』を読む



 『石神井書林日録』から十余年、内堀弘さんのエッセイ・コラム集『古本の時間』が出た。カバーには平野甲賀さんの書き文字のタイトルと犀のロゴマーク。かつての晶文社らしい新刊だ。
 『石神井書林日録』については、かつてbk1というサイトに書評を書いたことがある。bk1はすでになく、いまは〈hontoネットストア〉というところに引き継がれて書評もそこに掲載されているが、以下に掲げておこう。

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 いやあ、面白い面白い。この新刊ブックレビューでは「面白い」というコトバをなるべく使わないで面白さが伝わるように書くことを心掛けているのだけれど、今回は降参。だって面白いんだもん。ほとんど初めて名前を聞く人たちばっかり出てくる本がどうしてこんなに面白いんだろう。不思議だ。
 本書は、目録で商いをする近代詩歌専門の古本屋さん<石神井書林>の店主の日記で、明治から昭和初期あたりの、あまり人に知られない詩人や作家の話題が中心になっている。たとえば『ゲエ・ギムギガム・プルルル・ギムゲム』、略してGGPGという雑誌の名前がなんども出てくる。これは大正13年に発行された「若き日の北園克衛稲垣足穂らが活躍したアヴァンギャルド雑誌」で、野川隆という人が編集をやっていたそうだ。
 野川が「生前に残した唯一の著作、題して『九篇詩集』。これもまだ古書市場に姿を現したことはない」と著者は書く(36頁)。ところが149頁では「友人のきさらぎ文庫から古書目録が届いている。パラパラ見ていて目が釘づけになった」。そう、『九篇詩集』が出てたんですね。売価は50万円。高いのか安いのかぼくには見当もつかないけれど、著者が電話をすると「もう売れちゃった」という返事。「電話口の声に気が抜けて、少しホッともする」と書いてるから、うーむ、けっこう微妙な値段だったんでしょうね。足穂によると野川は「初代の江戸川乱歩だった」という(!)
 タルホといえば、古書展で見つけた『意匠』という昭和17年の雑誌にも足穂が出ていて、読者の通信欄に殿山泰司がこんなことを書いているという。
 「セレナードは窓辺で聞くもので、そして稲垣足穂の『蘆』はあのやわらかい月の光で読むべきでありませう」
 著者は「世の中もう決戦だという時世に、セレナードだの足穂は月の光でだのと、やはり殿山泰司は素敵だ」と感想をもらす。こんなステキなエピソードがこの本にはそれこそ満天の星のように散りばめられている。ふ〜んとかへえ〜とかあれあれとか嘆息しながらあっというまに読み終えて、これほど残りの頁が少なくなるのを寂しく思った本は久しぶりだ。それにつけても、自分がいかにモノを知らないかに呆然とする。いっそ爽快なくらい無知だ。
 伊庭孝遺稿集『雨安居荘雑筆』(昭和12年)という本が出てくる。伊庭は浅草オペラの演出家で、父親は「星亨を刺殺した明治のテロリスト」だったという。本には父に関する記述はないが「着流しでショパンを弾いたという伝説の天才ピアニスト澤田柳吉への追悼文が入っている」。へえ〜。モーレツに興味がわく。
 16歳で詩集『孟夏飛霜』(大正11年)を出し、日夏耿之介に「日本のランボー」といわしめた天才詩人・平井功。かれの未刊の詩集『驕子綺唱』の原稿のコピーがあるという(53頁)。日夏の序文も付いている。古書展とはそんなものも現れる「つくづく不思議な空間である」。ほんとにそうだ。平井は游牧印書局という書肆を起こしたが25歳で獄中で夭折、兄が正岡容(いるる)だそうだ。これも、へえ〜、のクチ。この本の最後に「平井功の原稿のコピー、あれ本にしましょうよ」という手紙が届く、とある。なればいいなあ、と思う。
 こうして書き抜いているとキリがない。201〜202頁のエピソードには感動。ちょっとした短篇小説の味わい。著者が月の輪書林の古書目録にふれて書いた感想は、そっくりそのまま本書にもあてはまる。「何があるかといえば興奮がある。古書の世界が持つ沸騰する面白さがある」。最後に、47頁の尾佐竹猛のルビは「たけき」でしょうね。校正ミスにちがいないが、編集の苦労がしのばれる本だ。 (bk1 2001.11.29)

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 殿山泰司は『古本の時間』の冒頭にも登場する。写真家・沢渡朔の父・沢渡恒が主宰していたモダニズム詩誌「カルト・ブランシュ」の同人だったという。若き日の詩人・殿山泰司稲垣足穂も同人の一人だった。
 伊庭孝の遺稿集『雨安居荘雑筆』は、上掲の書評を書いた後、インターネットで検索して古本を購入した。その古本屋は、わたしの生家と同じ市内にあった。
 平井功の『驕子綺唱』はまだ本にならないが、平井功譯詩集は2006年に限定200部でエディション・プヒプヒより開版された。巻末に垂野創一郎は「平井功の訳詩は、細やかな原詩の鑑賞と日本語への移植の巧みさにおいて、師日夏耿之介をも凌ぐものがあるように感じます」と記している。


 『古本の時間』には山王書房の話が繰り返し出てくる。もちろん『昔日の客』の著者・関口良雄古書店だ。『昔日の客』については、わたしもここで触れたことがあるけれど*1、二年ほど前、引越しをする際に本は手放していまはもう手元にない。どうにもこうにも本が収容の許容量を大幅にこえて、引越す際にその半分ほどを処分した。毎週末、古本屋さんにお越しいただいて二ヵ月ほどかかったろうか。処分したのは段ボール箱でおよそ百箱ぐらいだったか。残りの百箱余りの雑本を引越し先へ運び込んだのだが、きれいさっぱり本のなくなった六畳間の床は、中央から一方の壁にむかってなだらかに傾斜し、壁際で30センチほど沈んで床下が露出していた。
 最初は処分する本を床に積み上げていたが、積み上げた本を紐でゆわえてもらうのも手がかかると思い、引越し用に調達した段ボール箱に詰めて、そのまま持って帰ってもらうようにした。雑本ばかり大量に引き取っていただくのも悪いような気がして、いくらか値段のつきそうな本も何冊かまぜておいた。『昔日の客』もそのなかの一冊だった。
 『昔日の客』はすでに夏葉社から復刊されていたが、三茶書房版の原本の古書価はいまでも下がっていない。口絵に山高登の版画が収録されているせいだろう。印刷でなくオリジナルの版画を収載したところに三茶書房の心意気が感じられた。
 『昔日の客』はずっと前に三茶書房で、「新刊」として定価で買ったのではなかったかと思う。関口良雄加藤楸邨に師事する俳人でもあった。遺句集『銀杏子句集』が『昔日の客』の数年後、山高登の装丁で三茶書房から出版された。三十年以上たったいまでも古書店三茶書房で「新刊」として入手できる。
 

     春の市万巻の書の崩れゆく   銀杏子


 『古本の時間』に詩書のコレクターだった小寺謙吉の話が出てくる。小寺の詩集のコレクションは「戦後最大のもの」だった。小寺の編纂で『現代日本詩書総覧』(1971年)という本が出た。そこには現存が数部しかないという稀覯詩集まで網羅されているのだが、それを小寺に貸した詩人が返却を求めても応じないのだという。新聞記事にまでなったらしい。


 「私も同業の先輩からこの話を聞いたことがある。「詩書総覧を作る目的で珍しい詩集を借りた」というのは疑問だというのだ。つまり、目的は珍しい詩集を手に入れることで、詩書総覧を作るというのはその手段だった。「まさか」と疑う私に、「コレクターの本当の怖さに出会ってないだけだ」と言うのだった。」


 その小寺コレクションが売却されるという噂が流れた。売値は一億という。そしてほどなく小寺が亡くなると、不思議なことにそのコレクションは「忽然と姿を消した」。小寺の家も移転されて「遺族の消息は誰も知らないという」。それから二十年以上が過ぎて、消えたコレクションは「その片鱗さえも古書市場に姿を現さなかった」。内堀さんは「「コレクターの本当の怖さ」は、死んでもなお続くものか」とそのコラムを結んでいる。
 だが、話はそれで終わらない。それから数年たった2009年の暮れ(この本では40頁あと)、「小寺蔵書が動いた」。


 「東京郊外で開かれた小さな入札会に四十点ほどの古い詩集が出品された。竹中郁の第一詩集『黄蜂と花粉』、名古屋で発行された幻のシュルレアリスム雑誌『夜の噴水』、中原中也『山羊の歌』の自筆葉書付などどれも逸品ばかりだった。何冊かに旧蔵者に宛てた手紙やDMがはさまっていて、その宛名は小寺謙吉となっていた。」


 出品した業者はどこで入手したかは黙して語らない。噂話や憶測が飛び交ったが、いずれにせよ膨大なコレクションの大半の行方については杳として知れないままである。
 数日後、内堀さんは郊外の古本屋で小寺謙吉が若いころに出した詩集を見つける。限定55部の『野球燦爛』という詩集の、特装5部本の第一番本。著者が所持していたものだろう。店主のいうには、古紙回収業者が持ち込んだもので、およそ10冊ほどのなかには小寺に宛てた署名入りの本もあったという。「この四半世紀、伝説のコレクションはどんな道行きをたどったのか。幸せな気配はおよそ感じられない」とコラムは結ばれている。


 『古本の時間』には古本の話がつまっている。だがそれは本の話であると同時に人の話でもある。関口良雄の『昔日の客』がそうであるように。古本の著者の人生、持ち主をかえて変転した本の来歴、そしてそれを商う古本屋さんの人生、そうした人々の人生がつまっているから古本は老人の顔にきざまれた皺のように味わい深いのだ。そしてそれを引き出す技倆において内堀さんにかなうものはいない。
 このなかにはわたしが内堀さんに依頼して書いてもらった文章も収録されている。この本の編集者である中川六平さんから届いた収録許可願書は、ワープロ文でなく丸まっちい文字で書かれた手書きの文章だった。この本が書店にならぶころ、中川さんはこの世を去った*2
 手紙には、本が出来上がれば一冊献本いたします、と書かれていたが、本はついに届かなかった。


古本の時間

古本の時間

*1:id:qfwfq:20070826

*2:図書新聞連載の内堀さんの9月21日付コラム「中川六平さんのこと」。いまならまだネットで読むことができる。http://toshoshimbun.jp/books_newspaper/week_description.php?shinbunno=3127&syosekino=6493