炎上する花よ、鳥獣剝製所よ――矢部登『田端抄』



 矢部登さんの『田端抄』が開板された。龜鳴屋本第二十二冊目*1。矢部さんが出されていた冊子「田端抄」については三年ほど前にここで触れたことがあるが*2、「田端抄」全七冊から三十篇、それに新たに四篇を加えて構成したと覚書にある。巻末に木幡英典氏撮影による田端界隈の写真帖が附されている。奥付に貼附された検印替りの村山槐多の水彩画「小杉氏庭園にて」とともに心憎い編集である。ちなみに未醒小杉放菴旧居は、矢部さんのお住まいから「歩いて八十歩たらず」にある由。
 「谷中安規の動坂」という章に、このところ安規の「動坂」をながめている、とある。谷中安規の「動坂」はこんな木版画である。


 「坂道は画面中央にゆるやかな曲線をえがいている。/坂の上の右側には白くぬかれたショーウインドーがあり、そのなかに鳥の剝製があざやかに浮かぶ。左側には住宅の屋根が点在する。夜空には満月が白くおおきくえがかれていて、そのなかに寺の塔が小さく浮かびあがる。(略)満月と寺の塔、鳥の剝製のシルエットが印象にのこる。夢まぼろしと現実の動坂とが溶けあい、妖気がただよう。」


 このショーウィンドウの中の鳥の剝製から、矢部さんは本郷弥生坂の鳥獣剝製所に思いを馳せる。わたしは、仕事で東大本郷キャンパスに幾度も通った。通常は本郷三丁目駅から本郷通りを歩いて赤門か正門へと向かうのだが、ときに根津駅から言問通りに沿って坂をのぼり、二つ目の信号の角を曲がり弥生坂をすこし下って弥生門から行くこともあった(帰りはいつも本郷通り沿いの古本屋を覗きながら本郷三丁目駅へ向かった)。その言問通りの信号の角に鳥獣剝製所があり、通るたびに不思議な佇まいにいつも気が惹かれた。おそらくその前を一度でも通ったことのある人なら誰もが忘れられないにちがいない。


 「その日は、鳥獣剝製所の白い看板とショーウインドーのまえにたちどまり、あらためて見入った。八十年前、谷中安規の幻視した《動坂》が眼のまえにあることに驚愕したのだった。不況からぬけだせぬ平成の時代に、谷中安規は甦り、街なかをほっつきあるく。そのすがたが、ふと、よぎる。弥生坂の鳥獣剝製所あたりで、まぼろしの安規さんと袖すりあわせていたかもしれぬ。」


 鳥獣剝製所といえば思い出すのが富永太郎の「鳥獣剝製所」で、「一報告書」と副題の附いた幻想小説風の味わいのある富永最長篇の散文詩である。
 「過ぎ去つた動物らの霊」「過ぎ去つた私の霊」に牽かれて、「さまざまの両生類と、爬蟲類と、鳥類と、哺乳類」の剝製の犇めきあう古ぼけた理科室のような暗鬱な建物に「私」は足を踏み入れる。剝製たちはみな「私」の荒涼とした心象の外在化であるかのようだ。富永太郎はこの詩を発表した年の霜月、二十四歳で夭折する。翌月、太郎の弟、次郎と中学で同級生となり、のちに富永太郎評価に多大の貢献をした大岡昇平はこの詩を「剝製は時間による忘却の結果であり、私が建物に歩み入ることにより、動物の霊は再生する。散文詩全体は追想の快楽と苦痛を表わそうとしているようである」と評している*3
 「……流水よ、おんみの悲哀は祝福されてあれ! 倦怠に悩む夕陽の中を散りゆくもみぢ葉よ、おんみの熱を病む諦念は祝福されてあれ!(略)炎上する花よ、灼鉄の草よ、毛皮よ、鱗よ、羽毛よ、音よ、祭日よ、物々の焦げる臭ひよ。/さはれ去年(こぞ)の雪いづくにありや、」
 ヴィヨンのルフランのあとの最終聯。
 「私は手を挙げて眼の前で揺り動かした。そして、生きることゝ、黄色寝椅子(ディヴァン)の上に休息することが一致してゐるどこか別の邦へ行つて住まうと決心した。」
 とんでもねえボードレリアンだと後年物議をかもした、と北村太郎は書いている*4。――この世のほかなら何処へでも、か。
 富永太郎の鳥獣剝製所は、大岡昇平によれば「富永の家のあった代々木富ケ谷一四五六番地からほど近い、今日の東大教養学部の構内、当時の農学部、俗に「駒場東大」の一部にあったものを写したらしい」とのこと。駒場と本郷、いずれにしても東大に縁が深い。ちなみに久世光彦の『蝶とヒットラー*5によれば、弥生坂の鳥獣剝製所の剝製の値段は「栗鼠が一万五千円、狸は五万円、狐六万円、鹿の頭部は十三万円、そして鹿全体が五十万円」だそうである。二十五年ほど前の文章だから、さて、いまではいくらぐらいになっているだろうか。この鳥獣剝製所、ただしくは尼崎剝製標本社という。


 話を谷中安規にもどせば、石神井書林内堀弘さんが雑誌「ひととき」に隔月連載されている「古書もの語り」、今月(2月号)は内田百間の『王様の背中』を取り上げている。「谷中安規先生が、美しい版画を、こんなに沢山彫つて下さいました。お蔭で立派な本が出来ました」と百鬼園先生が序(はしがき)でいうとおり、安規の版画がふんだんに収載されたお伽噺集である。文庫版で見てもその楽しさの一端は伝わってくる。
 昭和九年、楽浪書院発行のこの本には二百部作られた特装本がある、と内堀さんは書いている。谷中安規の展覧会でこの特装本を見て溜息が出た、という。「会場では、この本に収められた二十数点の木版画を一点ごとに額装し、壁一面を使って展示していた。そのどれもが不思議と懐かしい」。それからこの本を探しはじめ、ようやく出逢った入札会ではりきって落札した。古書店の先輩に「おっ、ずいぶん頑張るね」とからかわれたそうだ。
 日本の古本屋サイトで検索すると、石神井書林出品の『王様の背中』帙入特装本のお値段は、七十五万六千円となっている。

*1:http://www.spacelan.ne.jp/~kamenaku/

*2:id:qfwfq:20130420

*3:富永太郎中原中也』レグルス文庫、1975

*4:富永太郎詩集』思潮社現代詩文庫・解説、1975

*5:日本文芸社、1993/ハルキ文庫、1997