十字架には早すぎる――堀江敏幸と杉本秀太郎



 前回の末尾に予告した、文庫解説にさらに著者がコメントするという珍しいもう一例は、堀江敏幸の『回送電車』(中公文庫、2008)。解説は杉本秀太郎である。
 杉本秀太郎の随筆をわたしは長年愛読してきた。杉本さんは小説を書かないが、このふたりの書き物にはどこか相通ずる肌合いのようなものがある。それを雑駁にいえば、一種の気取りといっていいかもしれない。杉本さんが解説で指摘する「この人のスタイルの一環でもある含羞をにじませた気取り」が、たしかに堀江敏幸の文章の特徴のひとつにちがいない。
 だが、堀江敏幸にあって杉本秀太郎にないもの、それは「含羞」だろう。杉本さんに「羞らい」がないというわけではない。そうではなく、かれは「含羞」を文に「にじませ」ることに羞らうのである。
 その代り、というわけではあるまいが、杉本秀太郎の文ににじみ出るのは「いけず」な目である。杉本さんは生粋の京おとこ。二百五十年の歴史をもつ旧家の九代目当主である。「いけず」にも筋金がはいっている。ボードレールは『悪の華』ならぬ『悪の花』であると、フランス文学のお歴々に真っ向から異を唱える。卒業論文にも修士論文にも選んだヴァレリーの全集を古本屋に売り払ってパチンコ屋にかようダンディ「気取り」。一筋縄ではいかぬエクリヴァン(物書き)である。
 その「いけず」な目が、『回送電車』のある一節に異を唱える。
 「聡明な人にちいさな失敗あるいは思い違いを見つけたときは、だれでもうれしくなる。」
 それは「リ・ラ・プリュス」と題された短いエッセイのなかにあった。フランスの巻き煙草の巻き紙「RIZLA+. 」――これを堀江は「米を意味するフランス語(riz)と、開発者(ラクロワ家)の頭二文字をつなぎあわせた造語だろう」と「リ・ラ・プリュス」と読んだ(プラスは仏語ではプリュス)。
 杉本秀太郎は、「これは「リ・ラクロワ」と読むが正しいだろう」と「反応」する。つまり「+」は「プリュス」ではなく「クロワcroix」、十字架である、と。それが証拠にドラクロワもスケッチの片隅や親しい人への手紙に「2(音符のマーク)+」と署名しているではないか、と(「2」は仏語ではドゥdeux)。
 「読者よ、才気には才気の他の例をもって応じてみるのも読書の愉しみのうちではないだろうか。」


 さて、この杉本秀太郎の解説のあとに堀江敏幸は「リ・ラ・プリュス・プリュス――ながい追記として」という一文を加えている。「リ・ラ・プリュス」にプラスして、という意味か。本文の「リ・ラ・プリュス」に倍する長さの、一篇のエッセイとして読みごたえのある佳品となっている。
 堀江は、「〜・プリュス」という商品はほかにいくらもあるし、フランスの町の煙草屋でも「リ・ラ・プリュス」で通じていたのでそう思い込んでいたけれど、2006年の秋、あることをきっかけに間違いに気がついたという。そして、この文庫化の際にその間違いを訂正しようかどうか迷っていた、と書く。逡巡のわけは、その間違いはある友人との思い出にかかわるもので、「「リ・ラ・プリュス」の表記を消してしまうと、その過去の記憶まで葬り去ることになってしまうような気がしたからだ」という。
 その逡巡のさなかに杉本秀太郎の解説原稿を目にして、それが「光のごとき啓示」となった。「そうだ、このみごとな解説の一節と呼応させるためにも、「リ・ラ・プリュス」はそのまま残そう、そして逡巡のもとになった挿話を添えておこう、と」。
 その挿話とはいかなるものであるか――、これはもう原文に直接あたっていただくしかない。長短さまざまなエッセイが収録された『回送電車』にあって、巻末にあらたに添えられた附記、「十字架(クロワ)は、まだ早すぎる。「+. 」の記号は、消えないボールペンで記された小さな傷として、これからもずっと、この本に、そして私の胸に、刻まれたままでいることだろう」と閉じられるこの一篇は、集中の白眉といっていいかもしれない。
 堀江敏幸は作家論集『書かれる手』(平凡社ライブラリー、2009)においても、単行本のあとがきに倍する長さのライブラリー版あとがき「表面が深さになるとき」を附し、解説を書いた三浦雅士とのかかわりを――少年時代の思い出、そして三浦が解説でふれている宇佐見英治との親炙について――書いている。このあとがきと解説は一対のエッセイとして、みごとなコレスポンデンス(照応/書翰)をなしている。


 そのことについて少し書いてみようかと思ったが、ここでは、もういっぽうの共演者である杉本秀太郎の「いけず」な目について、もうひとつの例をあげておこう。
 こちらは文庫解説ではなく月報の文章である。ダンディといえば、杉本秀太郎に勝るとも劣らぬダンディ、齋藤磯雄の著作集第一巻(東京創元社、1991)に附された月報。杉本さんは、阿部良雄塚本邦雄、画家の堀内規次らとともに一文を寄せている。
 月報といえば、たいていは著者との交遊、もしくは著者へのオマージュが通り相場だが、杉本秀太郎はここでも筋金入りの「いけず」ぶりを発揮する。
 ボードレールの『悪の華』、数ある邦訳を見比べると訳者それぞれ苦心のあとは見受けられるけれど、さて自分で訳そうとすると「いじくればいじくるほど、文脈から生気が抜ける、何もかも一切が腐ってゆく」。齋藤磯雄は「詩の翻訳のこの不条理に、真向から誠実に耐えている人だった」。まさに苦役に自らを縛りつけるようにして。「なんとまじめなのだろう。いかばかり窮屈なことだろう」と杉本さんは嘆息する。(阿部良雄が同じ月報で「名著」として挙げる)『フランス詩話』にしても、「人は退屈しがち」なのではないかと、のたまう。
 「文学それ自体に閉じこもっているこの人の散文は、思いがけない展開を示すことがない。しかし、それが齋藤さんのスタイルなら、何ともならない話である。」
 どこかから新しい光が射し込まないか。民俗学でも人類学でもかまわない。それが「再生の光」になっただろうに。


 「悪ふざけの神と結託している道化役者のパロディが、闊達自在で辛辣な詩をボードレールに可能ならしめたということくらいは、この人にわかっていて然るべきだった。そうすれば、彫琢の訳詩などという仕業に明け暮れるひまに、『悪の華』の替え歌を思い付いて娯しむことができただろうに。そのほうが、神なるボードレールのお気に召したことであろうに。」


 わたしはここに花田清輝(というより、富士正晴か)の持論の残響を聞く。ともあれ、これは齋藤磯雄に対しては望蜀の嘆というよりもナイモノネダリというべきかもしれない。


 「『悪の華』が、日本の文芸の過去に前例のない、いつの時代のものとも知れぬ文語体によって翻訳されていた。昂っていて煩瑣な文語体は、決して音楽的ではなかった。その翻訳者が、真摯に詩を愛し、真摯に音楽を愛する人であったというのは、文学移植の技術史における泣くに泣けず、笑うに笑えない悲劇なのかも知れない。」


 そのいっぽう、著作集第四巻(1993)の月報で澁澤龍彦は、齋藤磯雄の訳文は「瑰麗で豪奢な美文」とされているが、さにあらず、「凝縮された、簡潔な文体」であって、「漢文脈であるから、独特なリズム感があり、そのリズム感がさらにスピード感をあたえる」と書き、これは散文詩であるけれども『巴里の憂鬱』の訳文を、ほら御覧のとおりと引用する。「漢文脈が内容空疎で装飾過多だなんて、馬鹿なことをいっては困る。冗談をいっては困る」とフンガイする澁澤さん。
 澁澤龍彦が書いた第四巻は、杉本秀太郎が書いた第一巻の二年後の刊行だから、杉本さんに対する反論の意味もあるのかと思ったが、これは1980年に雑誌に書かれた文章の転載だった。
 それはそれとして、月報にここまで書く杉本秀太郎の「いけず」ぶりは、これはこれで、なかなかのものではなかろうか。

回送電車 (中公文庫)

回送電車 (中公文庫)