官能的な、あまりに官能的な――「『ボヴァリー夫人』論」の余白に
「本稿は、現在執筆中の『ボヴァリー夫人』論の一部をなすもので、三にあたる部分は、同じ題名のもとに或る「紀要」に発表されたものに全面的に手を加えたものである」という「後記」を附して「『ボヴァリー夫人』論ノート」が発表されたのは、いまはない文芸誌「海」の1976年10月号である。表紙には真っ赤な刷り色で「『ボヴァリー夫人』論ノート 100枚 蓮實重彦」と印刷されている。段ボール箱に2箱分ほどあった「海」のバックナンバーは数年前の引越しの際にほとんど処分してしまったのだが、ページの小口と天地が枯葉色に黄ばんだおよそ四十年前の古雑誌を手元に残しておいたのはいうまでもなく「『ボヴァリー夫人』論ノート」が掲載されているためであって、「現在執筆中」であると著者のいう『ボヴァリー夫人』論が永遠に完成されることはあるまいと危惧していたのはおそらくわたしだけではないだろう。その悲観的な予想は幸いにして裏切られ、わたしたちはめでたくA5判800ページを超える2000枚の大著を手にすることになったのだが、さて、刊行されてよりはや数ヵ月が経ったこの「『ボヴァリー夫人』論」についていったいなにを語りうるのかという戸惑いのなかにいまも立ちすくんだままでいる。たとえば、「海」に掲載された「『ボヴァリー夫人』論ノート」が紀要論文に「全面的に手を加えた」いわば暫定的な草稿であって、それが決定稿である「『ボヴァリー夫人』論」においてどのような変容を遂げたのかといったことについてわたしは語ることばをもたない。じっさいフローベールのテクストを半世紀の時をかけて用意周到に読み込んだ批評的エッセイについて何が語れるというのだろう。
文芸誌「新潮」2014年8月号に「姦婦と佩剣」と題されたエッセイが掲載された。「十九世紀のフランス小説『ボヴァリー夫人』を二十一世紀に論じ終えた老齢の批評家の、日本語によるとりとめもないつぶやき――」という副題ともつかぬ長い但書きが附された20ページに満たないこのエッセイは「『ボヴァリー夫人』論」余滴ともいうべき味わい深い文章だが、このエッセイを読んで記憶の底から浮びあがってきた四十数年前のある情景についてのきわめて私的な感懐をここに書きとめておきたい。「姦婦と佩剣」がひとりの「老齢の批評家」の半世紀以上前に遡る私的なメモワールであるのとおなじく、いまここに書かれようとしている文章もまた永い時をへだてた私的な記憶であるという一点においてかろうじて釣り合うことができるかもしれない。
「姦婦と佩剣」は、フランス文学者・山田𣝣のある回想文の引用から始まる。旧制高校の学生であった山田𣝣が電車のなかで『ボヴァリー夫人』を読んでいると、ガチャリと佩剣の音がして教練の教官である軍人が目の前に立っていた。「『ボヴァリー夫人』とぼく」と題されたエッセイのなかのその挿話に触発されるようにして、「老齢の批評家」は大学初年次に当の山田𣝣の謦咳にはじめて接した瞬間の記憶を語り始める。そしてその記憶は𣝣青年の読んでいた『ボヴァリー夫人』の翻訳の「伏せ字」の穿鑿へとあたかもトラヴェリングショットのようになめらかに視点を移動させる。「老齢の批評家」は𣝣青年が読んでいたであろう改造社版『フロオベエル全集』第一巻、伊吹武彦訳『ボヴァリー夫人』の伏せ字の箇所を、戦後の筑摩書房版全集の伊吹訳によって対比させつつ次々と補足してゆくのだが、全部で八箇所あったというそれらの伏せ字は、ある場合はなぜ伏せ字にするのかと訝しく思われるものであったり、またある場合は、いまではどうということもあるまいが当時としてはそれなりに理由が推測されるものであったりするもので、ともあれ「…………」といった記号によって隠蔽された内容は隠蔽されることによってその翻訳書を読む者の想像をことさらに煽り立てたにちがいない。
「テクストに「卑猥な」細部が多く含まれているから「伏せ字」がふえるのではなく、「伏せ字」が多く含まれているからこれは「卑猥な」テクストなのだという事態の逆転が、いたるところで起こってしまうのだ。」
と「老齢の批評家」はいう。そしてこうした「伏せ字」は戦前の書物にとどまらず戦後に刊行された版にも生き延びていたのだ、と彼が若い頃に購入していまも所持している昭和三十一年刊行(第15刷)の岩波文庫版・伊吹武彦訳『ボヴァリー夫人』について言及するのだが、それは戦前に刊行されたものとちがって「伏せ字」はないものの上下二分冊の下巻に奇妙な「余白」があったという。その四行分ほどの「余白」は、訳者によっても出版社によってもいっさい説明がないだけに読者の疑問をいっそうかきたてるもので、大学初年次の学生であった「老齢の批評家」が不審に思い「余白」(というより「空白」といったほうがよりふさわしかろうが)について𣝣先生に尋ねると、案の定それは戦前版の伏せ字の箇所にぴったりと重なるものであった。彼は𣝣先生の自宅でむろん伏せ字も空白もないフローベール全集の原書を目にし、仏和辞典をたよりにその箇所の意味を知ることになる。そこにはたしかにエンマが「一糸まとわぬ全裸の姿」となって男の胸に「ひしとすがって、わなわなとうちふるえる」(山田𣝣訳)場面が描かれていたのである。
やがて「老齢の批評家」となった彼は、「エンマ・ボヴァリー」という固有名詞の「不在」をめぐって浩瀚な『ボヴァリー夫人』論を執筆することになるのだが――、
「わたくしがエンマ・ボヴァリーという誰もが知っている固有名詞が『ボヴァリー夫人』のテクストに「不在」であることに気づいたのは、はじめて読んだ岩波文庫版の『ボヴァリー夫人』に不可解な「余白」――すなわち「不在」――が存在しており、その「余白」が、どこかでわたくしに「不在」を読めとうながしていたように思えてならないからだ。」
と述懐することになる。そしてその「不在」を示唆したものこそ佩剣の「音としては響かぬ気配」であったという一文で「姦婦と佩剣」は閉じられる。
さて、もう十分に長くなってしまったこの小文を終えるにあたって、先に予告した半世紀以上前に遡るある情景についての私的な感懐を手短かに述べておこう。
あれはわたしがたしか高校三年生だったから十七歳の時ということになる。学園祭(当時は文化祭と言っていた)の催しで、講堂にしつらえられた舞台で演劇部がある芝居を上演していた。演題はもう覚えていないけれど、おそらく外国の戯曲であったろう。舞台上には主役の男女がいた。ふたりは恋仲だった。あるいは道ならぬ恋であったのかもしれない。やがてふたりは手に手をとって下手へと姿を消した。ややあって、ヒロインがひとりで上手から登場する。鬢のほつれを搔き揚げるように、指をうなじにそっとあてながら。その仕草が何を意味するのか、そしてほとんど一瞬といってもいい空白の時間に観客の目から隠された部屋で何がおこなわれていたのか、性的体験など皆無の田舎の高校生にもそれは十分に理解できた。わたしは強烈な官能をおぼえた。四十数年経ったいまでもありありと眼裏にのこるほどに。
それは、舞台上の男女の不在によって、すなわち空白であることによって観るものの想像をことさらに煽り立てたにちがいない。官能的であるがために伏せられたのではなく、伏せられたがためにそれは官能的なのだった。
あれほどの官能的な体験はその後のわたしの人生に、残念ながら、一度も訪れてはいない。
- 作者: 蓮實重彦
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