世界の重さと存在の軽さ――「恋する原発」について




 またまた斎藤美奈子でいささか気がひけなくもないのだけれど、10月26 日の朝日新聞朝刊の「文芸時評」で斎藤は文芸誌の新人賞受賞作を二作取り上げたのち、高橋源一郎の小説「恋する原発」(「群像」11月号)に言及している。


 「義援金を寄付するために震災支援チャリティーAV(アダルトビデオ)の制作を命じられたAV監督の「おれ」。その舞台裏を追いつつ、シモネタ的単語と政治的な単語をバラマキつつ、作中に震災文学論までブチ込む。要約すれば「帰ってきた80年代の高橋源一郎」+「論壇時評の高橋源一郎」。新人作家が「まとめよう」と腐心するのとは逆に、ベテランの前衛作家はまったくまとめようとしない。」


とまとめてみせる。
 高橋源一郎が「さようなら、ギャングたち」で「群像」の新人賞を受賞してデビューしたのは1981年のことだから、「帰ってきた80年代の高橋源一郎」とは初期作品への回帰を意味するのだろう。だが、AVなどの現代風俗を取り入れた作品は『あ・だ・る・と』(1999年)以降のことで、それは『日本文学盛衰史』『官能小説家』とつづくわけで、わたしには「恋する原発」はその延長線上にある作品のように思えるのだけれども、斎藤美奈子は『さようなら、ギャングたち』や『虹の彼方に』などのエクリチュールとの近親性を感じるということなのだろうか。この短い時評からは判然としないが、ともあれ斎藤が「AVという「またそれ?」な素材は古臭いしダサイけどね」と冷笑的に批判しているのとは別の意味でわたしも「恋する原発」に既視感を感じたのである。それは、初期作品への回帰や「AVという「またそれ?」な素材」ゆえにではなく、前衛作家に共通するひとつの表現スタイルゆえにである。
 10月14 日の毎日新聞夕刊の高橋源一郎へのインタビュー記事*1によると、「恋する原発」は2001年の米同時多発テロの際に執筆し、未完だった小説「メイキングオブ同時多発テロ」の書き直しの最中に東日本大震災が発生し、全面的に内容を改めたものであるという。どの程度の改稿がなされたものかは不明なので断定はできないが、「恋する原発」はピンチョンの『メイスン&ディクスン』に触発されたものであるようにわたしには思われた。
 天文学者のメイスンと測量士のディクスンの駄洒落まじりの掛け合い、それが突然歌になる、といった『メイスン&ディクスン』のスタイルは「恋する原発」と同型で、昨年6月に柴田元幸による翻訳の出た『メイスン&ディクスン』を高橋は当然読んだはずだ。わたしはこの『メイスン&ディクスン』を読んだ時、これは唐十郎状況劇場じゃないかと思ったものだ。唐十郎―ピンチョン―高橋源一郎の連想が的を得たものであるかどうかはわからないが、東西の前衛作家たちが一篇のファルスもしくはバーレスクのなかに歴史も政治的な問題も投げ込んでみせるといった同型のスタイルの表現形式をとっていることにはなかなか興味深いものがある。
 そしてもう一点。
 先のインタビューで、「あえて『不謹慎』にしたのでは」ないかという記者の問いかけに諾いつつ、「今、閉塞感があって重苦しい。自由にしゃべれないって感じがする」と高橋源一郎は答えている。AVの世界を舞台に原発を語るのが「不謹慎」というならそうかもしれないが、このとき高橋の頭にあったのはイタロ・カルヴィーノの説く「軽さ Lightness」の意義ではなかったろうかと思う。カルヴィーノハーヴァード大学での連続講演〈ノートン・レクチャーズ〉を始めるにあたって、第一回目のテーマに「軽さ」を選んだのだった*2
 第二次大戦下、イタリアの解放闘争のためにパルチザンに参加したカルヴィーノにとって、かれの生きてきた、そして生きている時代を表現するのは「至上命令」であった。だが、かれの書く文章が「世界の重苦しさ、惰性、不透明さ」に取りつかれてしまってはならない。自らが石化せずにメドゥーサの首を落とすには、ペルセウスがそうしたように「存在するもののなかでもっとも軽いもの、風と雲の上に身を支えて、ただ間接的な視像(ヴィジョン)、鏡が捉えた映像(イメージ)のなかでのみ正体を現すものに目をむけ」なければならない。生きることの耐えがたいほどの重さからしなやかに跳躍するために、かれは軽さの意義を神話に、小説に、詩に、探ってゆく。
 カルヴィーノノートン講義の英訳が刊行されたときに、連載していたエッセイのなかで逸早く取り上げたのが高橋源一郎だった(翻訳された『カルヴィーノの文学講義』*3の帯にも推薦文を寄せている)。高橋の軽さへの志向はカルヴィーノと軌を一にするものである。
 斎藤美奈子のいうように「恋する原発」には中途に「震災文学論」が挿入されている。主として、川上弘美の『神さま(2011)』、宮崎駿の『風の谷のナウシカ』完全版、石牟礼道子の『苦海浄土』などについて論じたものだ。この部分は高橋の従来の文芸批評と相即している。原発「について」書かれた文章という意味で「恋する原発」を読めば、この「震災文学論」が読むに値するもので、震災支援チャリティーAVの制作にかかわる物語は「おふざけ」で読むに値しない、という評価になるだろう。たしかに「震災文学論」には傾聴に値する指摘が少なくない。だが、小説「恋する原発」にとって「震災文学論」は、わたしには生きることの耐えがたいほどの重さに一瞬足を取られてしまったものであると思われる。軽さへ軽さへと浮遊する小説が、ここでぐいと「世界の重苦しさ」に引き寄せられて失速してしまっているのである。


 ここでふたたび高橋源一郎へのインタビュー記事に戻れば、かれはこう述べていたはずだ。
 「いま「正しさ」への同調性が、かつてないほど大きくなっています」
 「「正しい」という理由で、なにかをするべきではありません」
 そして、「恋する原発」にも、「編集者からチェックが入って掲載が延期になったり、タイトルを使った大学の講演会の広報にNGが入ったりとさまざまな波紋が起きた」という。そのことについて高橋は「今、閉塞感があって重苦しい。自由にしゃべれないって感じがする」と述べ、こう続ける。


 例えば「震災も原発も私には関係ない」とはとても言えないような、ある種の言葉が使いにくい「戦時下に似た雰囲気」だという。「身を守るためには黙るしかない。でも、作家はそれをやっちゃおしまい」。


 インタビュアーの記者は「本来笑ってはいけないような内容で笑わせるこの作品は、「正しい日本」への高橋さんなりのレジスタンスなのだろう」と結論づける。だがわたしがかつて「正義にあらがう」*4で書いたように、ジジェクにいわせれば「震災にも原発にもかかわらないほうが好ましい」というのがバートルビーの生き方である*5。それは身を守るために黙るのではなく、震災にも原発にもTPPの議論にも死刑制度の議論にも関わらないほうを選ぶ、という意志を表明することにほかならない。
 ファシズムとは力で黙らせることではなく、力で何かを言わせることなのである。

*1:http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20111014dde012040026000c.html

*2:カルヴィーノアメリカ講義――新たな千年紀のための六つのメモ』米川良夫・和田忠彦訳、岩波文庫、2011。講義のテーマは「軽さ」「速さ」「正確さ」「視覚性」「多様性」。文庫化するにあたって「始まりと終わり」という草稿が附されている。

*3:朝日出版社、1999年

*4:id:qfwfq:20100722

*5:カルヴィーノノートン講義は全6回の予定で5回分の草稿を書き上げていたが、最終回はかれの死によって果たされなかった。6回目には「バートルビー」に触れるはずであったと夫人が「まえがき」に書いている。