批評家浅見淵の本領



 谷崎潤一郎の「細雪」はよく知られているように戦時下に「中央公論」に連載される予定であったが軍部の忌諱にふれ、二回分が掲載されたのみで連載は途絶した(昭和十八年)。発表のあてのない小説を谷崎は孜々として書き継ぎ、十九年臘月秘かに中巻を脱稿した。谷崎は上巻二百部を私家版として知人に配ったが軍部の干渉は微々たる私家版にも及んだ。このたびは見逃してやるが、また同じことをすると今度は容赦しないからな。緊迫した戦局下において軟弱かつきわめて個人主義的な女人の生活を綿々と書き連ねた小説であるとかれらが指弾したということは、アンソニー・チェンバースのいうように谷崎が「超国家主義軍国主義を(略)拒絶したということであり、そうすることで政治的な立場をとった」といえなくもない*1中野重治は、共産主義者が弾圧されていた時代に書かれたこうした浮世離れした小説はどうしても読めないのだとどこかで述懐していたけれども、戦時下における文学的抵抗の問題を考えるとき、この二通りの見方は表裏一体のものとして興味深い。
 戦後、谷崎は昭和二十一年六月に上巻を、二十二年二月に中巻を上梓したのち、三月より「婦人公論」に下巻を連載し、翌る二十三年十月に完結、同年臘月の刊行をもって六年がかりの執筆に終止符を打つ。
 「細雪」は今では大谷崎の代表作と目されるにいたったが、刊行当時は「源氏物語」になぞらえて称賛するものや通俗小説にすぎぬと批判するものなど毀誉褒貶に晒された。「細雪」を英訳したサイデンステッカーによれば、西欧ではThe Makioka Sistersを食事や服装のことを書いた小説であるとか、薬やビタミン注射が頻繁に出てくることから医学的小説であるといった「奇矯な」批評もあったという*2。そうした奇矯な批評とは異なるが、近年では「細雪」における病いに着目したウィリアム・ジョンストン「『細雪』における隠喩としての病」という論攷も登場している*3。サイデンステッカー自身は「細雪」の解説文においてこの小説をむろん高く評価しつつも、登場人物の描写において、「猫と庄造と二人のをんな」のごときリアリズムと「少将滋幹の母」のごとき理想化とが一作のなかで共存し、ために小説世界に聊か分裂が生じていると論じている*4。そして、《浅見氏が「細雪」を規定して「挽歌的」と言う時、最も適切な定義を言い当てたものという気がする》と、浅見淵の「細雪」論を取り上げて賛意を表す。


 《「細雪」の完結後、間もなく書かれたエッセイの中で、浅見淵氏は、これを「心境小説」だと規定した。「細雪」の意図は、風俗を描くよりは、谷崎氏自身の心境を描こうとするところにあった、というのが(私の誤解でなければ)、浅見氏の論旨である。そして、作中人物や背景、特に船場という舞台が、十分に描かれていないという論は、的はずれだと、氏は言う。蒔岡家三姉妹の趣味も、純粋の関西人の趣味というよりも、作者自身である江戸ッ子の懐古趣味により近い。つまり「細雪」全体が、生まれ故郷を奪われた作家の、郷愁的なエレジーの気分に支配されている、というのが、浅見氏の結論であるようだ。》


 浅見淵は『細雪』刊行翌年の五月に発表した「「細雪」の世界」で、「細雪」心境小説論を展開する。心境小説とは私小説の一種あるいは近縁の小説で、日常生活で目に触れたものやある出来事を描く際に作者の執筆時の心境が投影されたものとされる。志賀直哉の「城の崎にて」がその代表的な作品だが、そうした概念を一見それと懸け離れた「細雪」の世界に適用してみせたところに小説の読み巧者たる批評家浅見淵の本領がある。
 浅見は「細雪」のディテールに即して微に入り細に入り指摘してみせる。神戸の南京町で姉妹が食べる広東料理は「通めいたもの」で船場育ちの若い女性が注文するようなものでないし、谷崎が贔屓にしていたという神戸の鮨屋もまた彼女たちに相応しくはない、姉妹の観劇の場面が決まって菊五郎であるのも谷崎自身の嗜好にほかならない、と。


 《従って、「細雪」はちょっと見は伝統の上に立った大阪人の擬古的生活が描かれているように見えるが、実際は、下町育ちの東京人の、つまり東京生れの謂わば代表的市民の、単に大阪の風俗を藉りての擬古的生活が写されているのである。根柢になっているのは、徹頭徹尾一応洗練された東京人の趣味である。》


 谷崎をしてそうした「擬古的生活」に向かわせた要因に、浅見は、東京では失われた伝統的な生活様式が関西ではまだ色濃く残っていたこと、「源氏物語」の現代語訳に窺われるような王朝時代への憧れ、そして満州事変以来の不安な世情を挙げている。つまり、「細雪」は谷崎が擬古的生活で得た「安定感を吐露することが最大眼目になっているのである」と。したがって姉妹が自然の推移にたいして覚える感慨も取りも直さず谷崎自身の感慨ということになる。「細雪」が心境小説であるという所以である。いまでは滅び失せた幼少時代の東京下町の生活を哀惜し、それを大阪旧家の風俗を藉りて再現してみせることは、河野多恵子のいう「肯定の欲望」の発露であるともいえよう*5
 浅見淵の「「細雪」の世界」は先頃刊行された浅見淵随筆集『新編 燈火頬杖』(ウェッジ文庫)に収録されているが、同著を編纂した藤田三男は巻末の解説で「この「「細雪」の世界」(昭和二十四年)は、正宗白鳥によって強く推挽され」たと述べている。
 谷崎は晩年『細雪』を「あのような風俗小説めいたものにするはずではなかった。もっと女たちの性の秘密を深く掘り下げた、趣の違う作品にしたかった」と無念さをこめて渡辺千萬子に述懐したという*6

新編 燈火頬杖―浅見淵随筆集 (ウェッジ文庫)

新編 燈火頬杖―浅見淵随筆集 (ウェッジ文庫)

*1:「春のなごりに――政治小説としての『細雪』――」、『谷崎潤一郎国際シンポジウム』中央公論社、1997年所収。

*2:中央公論社版「日本の文学」第二十四巻「細雪」解説、1966年。

*3:前掲、『谷崎潤一郎国際シンポジウム』所収。

*4:前掲、中央公論社版「日本の文学」。

*5:河野多恵子『谷崎文学と肯定の欲望』文藝春秋、1976年/中公文庫、1980年。

*6:宮本徳蔵『潤一郎ごのみ』文藝春秋、1999年。