「群像」10月号を読んでみる(てか、目次をつらつら眺めてみる)

 

「群像」という雑誌があります。このブログをたまにご覧になるような方なら当然御存知でしょうが、あの「群像」です、文芸誌の。

 ふつう、日常会話のなかでグンゾーといっても通じません。「グンゾー?」と訝しげに訊かれて「いや、あの、ほらノーベルショーを取るとか取らないとか噂になってる小説家の村上春樹がシンジンショーを取った雑誌の…」とかなんとかゴニョゴニョいって問題を複雑にするのがおちです。今月号の「群像」に出ていたナントカの小説が、とかいって通じるのはきわめて狭い世界のはなしです。ま、それはともかく。

 最近、といっても、いつごろからか定かではないけれども、「群像」が分厚くなりました(どうやらリニューアル以降らしい)。手元にある10月号(今年の)なんてほぼ600頁ある。1頁に400字・約3枚入るとして、1冊1800枚! ゆうに単行本3冊分はあります。ちなみに文芸誌御三家の「新潮」10月号が約430頁、「文學界」10月号が約330頁であるのに比べると、ダントツに厚い。念のために書いておくと、この3冊はすべて図書館から借り出したもので、発刊後ひと月経つと借りることができるので、とりあえず借り出すことにしています。

 で、その「群像」10月号は創刊75周年記念号と銘打たれています。終戦の翌年に創刊されたんですね。河出の「文藝」なんて歴史はもうすこし古いけれど、倒産で休刊したり判型を変えたり満身創痍でなんとかつづいて、いまは季刊でやってます。頑張ってね。その創刊75周年記念号の巻頭が高橋源一郎の「オオカミの」という、これは短篇小説なんでしょうか。「デビュー作『さようなら、ギャングたち』から四十年」と惹句にあります。もう40年なんだ。ちなみに源ちゃんはわたしと生年月日がちょうどひと月ちがい。「さようなら、ギャングたち」は81年の掲載ですが、その2年前に村上春樹が「風の歌を聴け」で「群像」からデビューしたのでした。感慨深いです。

 目次をもうすこし辿ってみると、「小特集・多和田葉子」として多和田葉子の長篇小説「太陽諸島」の第1回目と池澤夏樹野崎歓の批評。「批評・エッセイ」というくくりで、柄谷行人「霊と反復」、蓮實重彦「窮することで見えてくるもの――大江健三郎『水死』論」があり、これが今号のわたしの「お目当て」です(40年前と変わりませんね)。あと、「創作」コーナーには瀬戸内寂聴大先生の掌編小説「その日まで」なんてのもあります。ほかのページより文字を大きくして、ここだけ1段組です。6頁ですが、通常の文字組なら3頁で終っちゃいます。だから文字が大きくて、余白も大きい。「玉稿」ですね。

 ちなみに、わたしもおよそ40年前に同じことをやりました。澁澤龍彦に映画評を書いてもらったときに、フォントを大きくして一段組。笑われましたけど。『ブリキの太鼓』の映画評で、今は亡きフランス映画社川喜多和子さんに「澁澤さんが書いてもいいって」といわれて、ありがたく原稿をいただいたのでした。それはさておき。

「女性蔑視はどうつくられるか」というシンポジウムが載っています。これは、

【報告】連続討論会——ラファエル・リオジエ 『男性性の探究』をめぐって | ブログ | 東アジア藝文書院 | 東京大学 (u-tokyo.ac.jp)

のオンライン・シンポジウムを「抄録」したもの。リオジエさんには『男性性の探究』という著書があり、なぜその本を書いたかというと、自分はフェミニストだと自称しているが、「目に見えないミソジニー(女性蔑視)に私自身が構造的に侵されている」と気づいたからだと仰っています。社会全体に女性蔑視・差別の構造があり、気づかぬうちにそれを内面化していたというわけです。

 で、ぱらぱらと頁をめくっていると、「言葉の展望台」という連載のなかの、

(自分はトランスジェンダーだが、LGBTを差別する人たちと)同じ程度には差別的な思想を身につけていた。そしてその思想に導かれるままに、自分自身の存在さえ拒絶し続けているのだった

という言葉と出遭います。筆者は三木那由他さん。276頁へだてて、リオジエさんと三木さんとが照応する現場に読者は立ち会うことになります。

 社会における差別を論じる「現代思想」の特集や単行本の論集でなく、1冊の文芸誌のなかではからずも遭遇する。そこに雑誌の醍醐味があります。ちなみに三木さんがこの文章で紹介しているメアリー・ケイト・マクゴーワンの『たかが言葉――発話と隠れた害について』(オックスフォード大学出版局、2019)は翻訳が待たれる本です。

 はからずも遭遇するといえば、こんな遭遇もありました。「群像」のデザインを担当している川名潤さんの連載「極私的雑誌デザイン考」(第21回)で、〈「WIRED日本版」「とサイゾー」〉と題されています。

 川名さんが20代の頃、愛読していたのが「WIRED日本版」で、

90年代後半から00年代はじめにかけて、日本の雑誌制作環境は、写植からDTPへと移行したが、その先達となったのがこの雑誌だ。日本でのフルDTPによる雑誌最初の一冊

と書かれています。

 「WIRED日本版」が1994年に創刊するすこし前に、わたしはその版元である出版社に入社したのでした。フルDTPなのは雑誌だけでなく単行本もそうで、それまでDTPで本を作ったことなどなかったわたしはえらく戸惑ったものです。編集部には「WIRED日本版」を立ち上げるスタッフもまだ一緒に働いていました(まもなくWIRED編集部として独立する)。

 そして川名さんが、「(「WIRED日本版」編集長の)小林弘人が「こばへんの編集モンキー」という名前で公開していたウェブ日記」で告知した新雑誌のデザイナー募集を見て応募したのが「私が憧れ、アルバイトで参考にしてきた雑誌「WIRED」残党による後継誌「サイゾー」のデザイン部」だったというわけです。

「WIRED日本版」は休刊し、編集長をはじめとする編集部の何人かがあたらしく会社を起して創刊したのが「サイゾー」で、できあがった創刊号見本を手にした川名さんは、クールな「WIRED」からかけ離れた「どこか昭和のカストリ雑誌」のような「サイゾー」の誌面に愕然とすることになります。わたしも「サイゾー」創刊号を見たときには「なんだか「アサ芸」みたいだなあ。小林くんが作りたかったのはこういう雑誌なの?」と拍子抜けしたものでした。

 だが、川名さんがADに「どういう雑誌をめざすのか」と訊ねると「お爺ちゃんがやってる印刷所が版下からひとりでなんとかして作った感じ」と答えたそうだから、その「昭和のカストリ雑誌」ふうスタイルは「確信犯」だったわけです。〈「WIRED日本版」「とサイゾー」〉は末尾に(以下次号、かも)とあるので、いま発売中の11月号を立ち読みしてこよう。

 この連載をふくめて、連載が30本ちかくあるというじつに盛りだくさんな内容で、これ1冊すべて読もうとしたらひと月はかかりますね。読みませんけど。