マチャアキの最後っぺ



 平岡正明の『人之初(ひとのはじめ)』という本を書店で見つけた。「未発表だった《自伝》が遂に陽の目を見る」と腰巻にある。これは、読まないわけにいかないな。
 買って、とりあえず鈴木一誌さんの「解題」に目をとおす。ほほう、鈴木さんも平岡正明の愛読者だったんだな。鈴木さんは書いている。
 「平岡や大藪(春彦)を読むと、からだの底からフツフツと『やってやろうじゃないの』との気力が湧いてくるのだった。いささか暗いが重たさのある情念とでも言おうか。」
 オールナイトで健さんやくざ映画を見て、小屋から朝のまぶしい陽射しのなかに出たときの高揚感だね。平岡の文章は、読む者ミンナがハイになる。ハイミンナールなんちゃって。
 「情念だって? だからゼンキョートー世代はうぜえんだよ」という声が聞こえてきそうだが、上等だよ、後続世代は先行世代を蹴飛ばすのが正しい倫理というものだ。AKB48の麻里子さまもゆってるじゃん、「つぶすつもりでかかっておいで」って。
 『人之初』は、幼年期、学生時代、犯罪者同盟の三部に分かれている。小中高、そして早稲田の二文に入るまでが幼年期。文京区立汐見小学校6年2組の同級生33人の名前と特徴を列挙する記憶力にはおどろく。これだけの数を思い出すのは大学時代の「ブンドの盟友」だけ、「『六年二組』は俺の思想の底になるほど強烈だったのだ」と書く。
 次がブント活動家時代。「世界革命に生涯を捧げることを誓う」というガリ版刷りの誓約書に署名したのが入学してひと月後。入学が60年だから、とたんに安保だ。まずは武闘ありき。出会いがしらにポカリと一発殴ってから、殴った理由を考えろ。安保闘争後の7月、レーニンの『国家と革命』の学習会をやるというように。翌年11月、犯罪者同盟結成。レーニンのいう「左翼小児病」――沈滞、頽廃、分裂、不和、裏切り、猥談、そして神秘主義――を綱領に掲げた分派。
 第三部は犯罪者同盟結成から文筆家時代。谷川雁とやったテック闘争。相倉久人との出会い。60年代最後の年、澁澤龍彦責任編集『血と薔薇』を受け継いで第4号を編集。『血と薔薇』4号は出なかった。「本刷り段階で神彰が倒産した」と書いている*1
 平岡が死んだとき(おお、もう3年になるのか)ここで触れたが*2、その後、生家から掘り出してきた『血と薔薇』第4号が手元にあるので概要を書いておこう。幻の第4号はたぶん見本が倉庫からゾッキに流れたのだろう。
 特集は「生きているマゾヒズム」。巻頭に吉岡康弘撮影の「子宮幻想」12頁。モデルは若林美宏か。刑法175条ワイ陳に引っかかった『赤い風船あるいは牝狼の夜』のコンビだろう。平岡の本は『韃靼人宣言』(これと『犯罪あるいは革命に関する諸章』は現代思潮社版でなく復刊されたもの)以降20年間に出た四十数冊はすべて買ったが、犯罪者同盟の『赤い風船』だけは持ってなかった。古本屋で中身は見たが、高くて買わなかった。若林美宏の「ヘアヌード」はたいしたことなかった。猥褻は別件だろう。平岡の著作でいまも手元に残っているのは『石原莞爾試論』と『西郷隆盛における永久革命』それに、知り合いに好意で譲ってもらった海賊版の「あねさん待ちまちルサンチマン」、それぐらいか。学生時代に買った『韃靼人宣言』から『南方侵略論』あたりまでは生家のどこかに埋もれているはずだ。
 夢野久作「火星の女」の復刻と沼正三の「家畜人ヤプー」が小説のハシラ。この年(69年)、三一書房夢野久作全集の刊行が始まる。久作リバイバルに先駆けての復刻だ。特集筆者は、足立正生佐藤重臣唐十郎稲垣足穂ら、ほかに田村隆一の詩も。いかにも60年代的だね。平岡自身は「いそぎんちゃくの思想――菊屋橋101号ノート」(「菊屋橋101号」は、東大安田砦で逮捕された緘黙の女性闘士)と「小説 美女破壊工房」を執筆。最終頁に次号予告がある(特集は「戦後エロティシズムの原点」。吉本隆明「月経論」ほか)。
 『人之初』にもどると、記述の終わった翌年、つまり70年にわたしは大学に入り、平岡と出合った。わたしが「あねさん待ちまち」をことさら好むのは、これが70年に三田新聞で始まった連載だからかもしれない。平岡はこの自伝を70年以降も(つまり三バカ以降も)書き進める意図はあったようだが、早すぎる死で中断した*3。死の予感のようなものが、あるいはあったのかもしれない。平岡の自伝というには薄すぎるのが残念だ。
 未発表ということは筐底に秘されていた草稿ということか。文章のグルーブ感は平岡独得のものだが、何ヶ所か、マチャアキらしからぬもたつきがあった。推敲していないからだろう。しょうがないやね、死んじまったんだからさ。だけど誤植の多さには呆れた。それに70頁の2行目から6行目は96頁の6行目から10行目とおんなじだろ? しっかり校正しろよな、生きてる奴が。「フロンシュタット水兵」(138頁)なんて、平岡が見たら泣くぜ。
 ジョージ・スタイナーに由良君美平岡正明ときたら、40年前と同じだね、メンツが。つくづく進歩のない奴だな俺も。

人之初

人之初

*1:神彰は興行プロデューサー。『血と薔薇』の版元・天声出版のオーナーだった。大宅壮一が「呼び屋」と名づけた。わたしは学生時代に五木寛之の小説「梟雄たち」で「呼び屋」の世界を知った。

*2:id:qfwfq:20090711、本書の奥付は7月9日、平岡の命日だ。

*3:早過ぎはしたが、おもしろい一生だったのじゃないかね、平岡さん! 人の一生なんて、死ぬときに「ああ面白かった」と思えるかどうかだ、と上野千鶴子が書いていた。俺もそう思う。