ハルビンの大庭柯公



 戦争に関する文献を50冊もまとめて読むと、気分はもう戦争、である。ついでに、録画しておいたNHKスペシャル「玉砕〜隠された真実」に、BSハイビジョンの「偽装病院船〜捕虜となった精鋭部隊」「王道楽土を信じた少年たち〜満蒙開拓青少年義勇軍」もまとめて観る。世界は知らないことで溢れている。
 折りも折り、『満洲の情報基地ハルビン学院』(芳地隆之著・新潮社)が刊行されたので、これも読む。三か月ほど前に長谷川四郎さんの詩の朗読と歌の会を見て(id:qfwfq:20100509)シベリア抑留についてもっとよく知りたいと思っていたので、好機逸すべからず。ハルビン学院やシベリア抑留については、内村剛介著作集(恵雅堂出版)の第一巻が未発表のものもふくめて関連の文章を集成してくれている。芳地の新刊と内村の著作集第一巻とは相補うものである。こちらも精読しなければならない。
 さて、『満洲の情報基地ハルビン学院』を読んでいて意外な名前にぶつかった。よく考えると意外でもないのだけれど、思いがけないところで出合ったので「おお」と思ったのだ。
 おおばかこう=大庭柯公。この人の名前は中公文庫の随筆集『江戸団扇』『露国及び露人研究』などで知っていた。『江戸団扇』はたしか買って持っているはずだが読んでいない。『古本屋太平記』という著書もあるそうだが未見。要するに名前しか知らないということだ。やれやれ。
 本名大庭景秋、ジャーナリスト。同書によると、二十四歳のときにウラジオストクの商館に勤める。二年後に帰国、陸軍参謀本部のロシア語通訳になり、日露戦争後にふたたびウラジオに行くがスパイ容疑で拘禁され強制送還となる。新聞記者となった大庭は第一次大戦時にペトログラードへ行き、十月革命に遭遇し、日本へ記事を書き送る。1921年5月、極東共和国ソビエト政権がシベリアへ出兵した日本軍と戦うためにチタに建てた傀儡国)の取材にシベリアへ赴く途次、ハルビンの日露協会学校(のちのハルビン学院)で講演を行い、そのおよそ一か月後に日本へ送った記事を最後にかれは消息を絶った、という。このあたり、ウィキの記述と齟齬があるが、信頼のおける伝記がないのかもしれない。
 大庭柯公にあらためて興味を抱いたのは、同書の次のような記述によってである。


 「ロシア帝国時代から続く強固な官僚国家は、ソ連邦になっても続くであろうと彼は予感していた。歴史のなかで培われてきた国民性が、政治イデオロギーによっておいそれと変わるものではないと考えたからである。」


 ロシア革命の熱狂のただなかで、その後のスターリニズム国家を予見していたわけである。
 大庭柯公を読まなければならないと思い『江戸団扇』を捜したが、どこに埋もれたかわからない。ならばとインターネットで検索し『柯公全集』の一冊を注文する。第一巻「随筆集」、大正十四年の刊行である。
 長谷川如是閑が序文でこう書いている。「柯公大庭君の前半生と後半生とは、二つの異つた色彩を帯びてゐた。前には国家主義的色彩を帯びてゐた君は、後には社会主義的色彩を帯びるに至つた」。陸軍参謀本部に入るあたりまでが前半生ということになるのだろうか。
 第一巻の随筆集には書誌情報が記載されていないので、いつごろどこに書かれた文章か不明である。長短の随筆が133本並んでいるだけだが、国家主義的色彩も社会主義的色彩もまるで帯びていない、江戸末期〜明治の世相風俗を写した洒脱な随筆ばかりだ。カフェー、銀座繁盛記、曝書気分、愛書癖、十二階下、外来語、維新史挿話、ハイカラ史、電車哲学…といった具合。ちょっと魯庵の随筆を思わせなくもない(「丸善内田魯庵先生」の名も出てくる)。
 なかに「江戸団扇」のタイトルもあるので、中公文庫版『江戸団扇』に収録された随筆も多く含まれているのだろう。A5判で400頁以上あるので全部は無理だが、抜粋して『新撰 江戸団扇』といった文庫にするとちょっと面白いものになりそうだ。