天知る地知る




 岩波の「図書」8月号から斎藤美奈子の新連載「文庫解説を読む」が始まった。第1回の冒頭に岩井克人の『ヴェニスの商人資本論』のあとがきが取り上げられていて、おおっと思った。わたしも岩井のそのあとがきについては以前ここで書いたなあと思って検索したら、もう8年も前のことだった*1。光陰矢の如し。
 斎藤は岩井のあとがきについて「読者を煙に巻く、人を喰った解説論。『ヴェニスの商人資本論』の大方の内容は忘れちゃった今も(ごめん)、この部分だけは強烈に覚えている」と書いている。あらら、あんたもそうなんだ。わたしも『ヴェニスの商人資本論』は面白かったなあという記憶だけあって、内容は霧の彼方である。そういうものだ。
 斎藤はつづけてマルクスの『ルイ・ボナパルトブリュメール十八日』の岩波文庫版、国民文庫版、平凡社ライブラリー版を取り上げて、平凡社ライブラリー版の柄谷行人の解説を「解説の解説が必要だ」としながらも肯定的(たぶん)に批評している。
 いま発売中(ていうか配布中。わたしはいつも書店で無料で戴いてくる)の9月号・第2回では、漱石の『坊っちゃん』の各社文庫解説を比較検討して、読みごたえがある。斎藤の博捜は岩波少年文庫奥本大三郎解説)、角川つばさ文庫(後路好章解説)と「子ども向け文庫」にまで及び(角川つばさ文庫というのがあるのを初めて知った)、斎藤の並々ならぬ意欲を髣髴させる。
 さて、斎藤は連載第1回の末尾に「まだまだ奥が深い文庫解説の世界。これぞという解説(秀逸なのもポンコツなのも)に心当たりのある方はご一報を」と書いていた。わたしもこれで文庫との付き合いはけっこう長い*2。心当たりはゴマンとあるけれども「ご一報」するつもりはない。斎藤はむろん承知のはずだが斎藤慎爾編『永遠の文庫「解説」名作選』(メタローグ)なんて本も出ているし。斎藤(慎爾じゃない方ね)の新連載に触発されて、わたしも文庫解説について二、三、書いてみようかと思ったのだけれど、斎藤が次に書くつもりのものを先に書いてしまうと悪いと思ってひと月待ってみた。まあこんな片々たるブログに何を書こうと遠慮会釈は必要ないのだけれど。


 というわけで、文庫解説でわたしがすぐ思い浮べたのは小沢信男さんの『裸の大将一代記』(ちくま文庫)の鶴見俊輔の解説である。二頁ちょっとの短文で、鶴見にしてはどちらかというと「ポンコツ」のほうかも知れない。冒頭、鶴見はあるエピソードを紹介する。1950年代のはじめ、鶴見が東京工大で哲学の講座を持っていた頃、一年生に「自分がはじめて社会に気づいたとき」という題でレポートを提出させた。そのなかにこんな文章があったという。以下は概略。
 そのレポートの主が小学生だった頃、かれの父親が新聞の投書を読んで「こんな若者が出てくるのでは、困ったものだ」と憤慨していた。投書したのは中学生で、政府を批判しているという。かれはレポートを書くために朝日新聞縮刷版を調べた。「たるんだ仕事場」を批判した勤労動員の中学生の名は小沢信男とあった。
 鶴見はそのレポートのコピーを小沢信男に送った、と解説に書いている。だが、その投書はじつは匿名だった、と小沢さん自身が明かしている。つまり、鶴見の解説のあとに「著者敬白」として鶴見の記憶違いを正しているのである。
 小沢さんは「終戦の日」の集会で鶴見の講演を聞いていたら、その投書の話が出てきた。びっくり仰天してその投書の主は自分であるというと、「こんどは鶴見さんが目を丸くされた」。あとで鶴見がレポートのコピーを小沢さんに送り、それが機縁で小沢さんは「思想の科学」(1965年8月号)に「私の『銃後の記録』」を寄稿することになる。
 「私の『銃後の記録』」は小沢さんの著書『東京の人に送る恋文』(晶文社)に収録されており、くだんの投書「大人への抗議」(1945年8月9日掲載)の全文も読むことができる。中学生とはいえ旧制(府立六中、現・都立新宿高校)なので満十八歳である。小沢さんは病気のために三年生を三度くりかえし、三度目の中三だった44年の暮れから八ヶ月間、明電舎の大崎工場に動員される。


 「行ってみれば、まるで仕事がない。現・参議院自民党のボス重宗雄三社長は、当時軍部かどこかと結託して、労働力のスペアを確保したのである。で、当分私たちは、横のものを縦にしたり、それをまた横にしたりしてヒマをつぶした。ようやく仕事にありついてからも、空襲のサイレンのたびに作業中止。私は当時から怠け者だったから、なにかあのころは雑談ばかりして暮らしていたような気がする。」


と「私の『銃後の記録』」に小沢さんは書いている。とはいえ、当然のことながら内心はそれほどのんびりしたものでなく、「少年たちは八月十五日のおヒルまで、特攻隊にかりだされ爆弾抱いてタコツボにもぐりこむ時の覚悟のほどを、眼の前につきつけられていた」のである。八月十六日、小沢さんも宮城前広場へ行き、「むらがる民草の一人として玉砂利に土下座して涙をたれた」というから皇国の少年のひとりであったのだ。
 のちに小沢さんは動員中学生だった頃のことを「徽章と靴――東京落日譜」という短篇小説に仕立てる。大空襲で隅田川に無数の死体が浮かんだ落日の東京。その焼野原を彷徨する少年たちの明るいニヒリズムを詩情ゆたかに描いた傑作である。
 ところで、鶴見俊輔の文庫解説の投書のくだりはじつは焼き直しである。このエピソードは、小沢さんの『若きマチュウの悩み』(創樹社)の解説「戦時の投書から――小沢信男論」にすでに書いている。この部分を削れば解説は一頁ほどになってしまう。「ポンコツ」という所以である(『若きマチュウの悩み』の解説は「秀逸」といっていい)。
 小沢さんは『裸の大将一代記』の鶴見解説を補足した「著者敬白」の末尾にこう記している。「(新聞の投書に過ぎないけれど)文章というものは懸命に書いていれば、おおかた梨のつぶてでも、天知る地知る、どこぞにぶちあたっているらしいのでありました」。わたしのこんな片々たるブログでも「天知る地知る」、懸命に書いていればどこぞにぶちあたっているのかもしれない。
 ちなみに、文庫解説のあとに著者がそれに対してさらにコメントを附すというのは珍しい例だと思う。次回、その珍しい例について、もう少し書いてみよう。

裸の大将一代記―山下清の見た夢 (ちくま文庫)

裸の大将一代記―山下清の見た夢 (ちくま文庫)

*1:id:qfwfq:20061105

*2:文庫が好きで、こういう文庫があったらいいなあという思いがこうじて、ついに作ってしまった。編集者の個人的趣味で作ってるなんて言われましたが。