アイルランドの飛行士は死を予見する

 

『幸せの答え合わせ』という映画を見た。2019年製作のイギリス映画で、原題はHope Gap、劇作家でもある監督のウィリアム・ニコルソンが自作の戯曲「モスクワからの退却 The Retreat from Moscow」をアダプテーションしたものだ。「モスクワからの退却」は、ナポレオンのロシア戦役における敗退を意味するが、物語は歴史的な戦争をテーマにしたものではなく、現代英国のある家庭における夫婦間の諍いを描いたものである。

 映画の冒頭、イギリス南部の海辺の町シーフォードの「ホープギャップ」と呼ばれるゴツゴツとした入り江で遊ぶ少年の姿が現れる。腰をおろして少年を見守る母親。回想シーンであることを示すように、成人したのちの少年のボイスオーバーが画面に流れる。「母親はなにを考えていたのか。幸せだったのだろうか」と。

 彼女は海辺から家へと向かいながら、パラグライダーの男に声をかける。「孤独な歓喜の衝動?」「なんだね、それは」と問う男に、彼女は「W・B・イェーツの詩よ」と応える。そして「戦いに駆り立てるのは法や義務でも、政治家や民衆でもない。孤独な歓喜の衝動が私を騒乱に向かわせた」と彼女の詩を読む声が続き、それは彼女が家に戻って机の前で珈琲を飲みながら詩集を開いている場面へとつながる。「すべてを比較し考えを巡らせると、将来がむなしく思えてくる。過ぎ去った年月も同じだ、生と死が等しい今の状況においては」。彼女は詩のアンソロジーを作ろうとしていて、この映画のなかでいくつかの詩が引用されもする。冒頭のイェーツの詩は、これから始まる物語のメタファーの役割を担っているのかもしれない。

 これは「アイルランドの飛行士は死を予見する」というタイトルの詩で、別の映画で印象的に、映画のテーマと分かちがたい形で引用されたことがある。それは『メンフィス・ベル』という1990年のアメリカ映画で、監督はマイケル・ケイトン=ジョーンズ。映画は第二次世界大戦でイギリスの基地に駐留するアメリカ空軍の若い兵士たちを描いたもので、メンフィス・ベルは彼らの乗る戦闘機の愛称だ。ナチスドイツを爆撃するための出撃の前に、アイルランド出身の兵士ダニーが詩を暗唱する。それがイェーツの「アイルランドの飛行士は死を予見する」なのだが、ダニー自身はそれを自分のつくった詩だと思い込んでいる……。

 大江健三郎はエッセイ集『新年の挨拶』のなかの1章で、この映画とイェーツの詩について詳述している。エッセイのなかの大江自身の訳でこの詩を引用しよう。

  アイルランドの飛行士死を予見する

 

 私は知っている 最後の時を迎えることを

 あの高みの雲のなかのどこかで。

 戦う相手を憎んでいるのではなく

 衛る者らを愛しているのでもない。

 私の郷土はキルタータン・クロス、

 わが同郷人はキルタータンの貧しい者ら、

 どのように終ってもかれらが損をこうむることはなく

 以前より幸いになることもない。

 法律や義務が戦いを私に命じたのではなく、

 役人らによってでも喝采する群衆によってでもない。

 喜びの孤独な衝動が

 雲の間のこの騒乱へとかりたてたのだ。

 私はすべてを計量し、思い浮べてみたが、

 これからの年月は呼吸の浪費と感じられたし、

 これまでの年月も呼吸の浪費にすぎなかった

 いまある生、ここにある死と計りあうなら。

 大江健三郎は、詩を引用した後、こう記す。

 この詩が、実際の戦闘に向かおうとして奮い立ち、また怯えてもいる若者の記憶の深みからよみがえる。そして、書きつぶしにみちたノートのなかでまとまったかたちをとる。しかもいったん出撃した後、負傷して恐慌状態にありながら、若者が啓示を再認するようにそれをイェーツの詩だったと認めるシーンに胸をうたれた……

 イェーツのこの詩「アイルランドの飛行士は死を予見する An Irish Airman Foresees His Death」は、筑摩世界文學体系71『イェイツ エリオット オーデン』の巻に田村英之助訳で収録されている*1。ちなみにこの巻の3人の詩人たちは、いずれも大江健三郎にとってデビュー時から変わることなく霊感源となってきた大きな存在である。『新年の挨拶』というこのエッセイ集のタイトル自体、オーデンの詩「A New Year Greeting」からとられたものだ。

 イェーツの詩に付された田村氏の注釈によれば、「アイルランドの飛行士」とはイェーツと親交のあったアイルランドの劇作家グレゴリー夫人の息子ロバート・グレゴリー少佐で、第一次世界大戦中にイタリア戦線で戦死した。キルタータン・クロスはアイルランドの地名。この注釈では「イタリア戦線で戦死」とのみ記されているが、大江健三郎(が繙読した研究書)によれば、英国空軍飛行士ロバート・グレゴリー少佐は、イタリア空軍の誤爆によって戦死したのだった。そしてイェーツがこの詩を書いた1920年には、イェーツは、そしてグレゴリー夫人も、「少佐がイタリア軍にあやまって撃墜されたことを知らないままだった」……。

 大江はここからさらに「誤爆による死」へと考察をすすめる。のちに『ヒロシマの「生命の木」』という本にまとめられることになるテレビ番組の取材で、大江はプリンストン大学理論物理学フリーマン・ダイソンにインタビューをした。ダイソン博士によれば、第二次大戦時にイギリス空軍が考案した迎撃システムは、レーダーで探知した敵機(ドイツ戦闘機)を自動的に射撃する機銃装置なのだが、「このシステムでは敵戦闘機一機に対して味方の爆撃機を四百機も撃ち落してしまう」というものだった。つづくダイソン博士の話はさらに驚くべきもので、1945年以降、ワシントン州の美しい小さな島に「ソヴィエトにいつでも核爆弾を落せる態勢にある戦略空軍司令基地」があり、「爆撃機も飛行士もみなつねに準備ができていて、誰かが声をかけさえすれば、すぐに世界を破壊しにでかけられる」のだという。戦争が終わり、平和な日常を取り戻した美しい小さな島で、出撃の合図を待ちながら年老いてしまった白髪の飛行士が、いまもなお所在なげに出撃の時を待ちつづけている光景を思い浮べて暗い笑いがこみあげてくるのを抑えられないが、飛行士は当然入れ替ってゆくのだろう。

 ダイソン博士は「そこにいる人たちに、世界はもうかれらを必要としていないということを、なんらかの方法でつたえねばならない。かれらにとって、自分たちがまったくなんの役にも立っていないという事実を受け入れるのは難しいことでしょう。かれらはじつに辛い事実に直面しなくてはならないのです」と語る。無意味な課役に携る若者に思いをはせるダイソン博士の想像力は称賛されるべきだが、彼がそう語ってから、世界は果たしてあるべき姿に向って前進しているだろうか。ほんとうに「世界はもうかれらを必要としていない」といえるだろうか。大江健三郎はこうしるす(30年前のことだ)。

このところのアメリカとロシア双方の核軍縮への意気込みは、すくなくとも両大統領の提案に見るかぎり非常なものだが、とくにロシア側軍部の核体制への固執をあらわす発言が少しずつ聞えてくるのは、当の課題の、制度化した凶々しさ、ともいうべき側面をあらわしている。

 そして、いまを「核による冷戦の終りの時」とするなら世界の壊滅の危機を乗り越えたというべきだが、祝祭の気分などどこにも窺えない。それぞれの国や国民を覆う「重い暗さ」がしだいに軽減されるとするなら、それはどのような手続きによってなのか。そしてそれに「わが国はどのような役割をはたしうるのだろう?」と大江は問いかける。

 大江が問いを発してから30年。「冷戦」は形を変えていまなお継続し、「世界の壊滅の危機」はさらに現実性を増しているかのようだ。核兵器は減少するどころか、いくつもの国に広まり、「誤爆」が引き金となって核戦争が起こる可能性はますます高くなりつつある。そうした現実の転換に「わが国はどのような役割をはたしうるのだろう?」……。

 

 映画『幸せの答え合わせ』に話を戻すと、冒頭近くで、ナポレオンの軍隊がロシアから退却する際に兵士たちがつけていた日記が数多く現存する、と語られる。戯曲「モスクワからの退却」はその兵士の日記に由来するのだろう。夫のボイスオーバーで語られる兵士たちの書き残した過酷な状況は、妻のボイスオーバーで語られるイェーツの詩と同じく、年老いた夫婦が辿って来た遥かな道のりと現在の二人のありようを暗示してもいるのだろう。

 物語の終盤、家を出て行った夫が暮す女の家を妻が突然訪ねる。訪問というより無断の侵入だが、そのシークェンスにダンテ・ゲイブリエル・ロセッティの詩「Sudden Light」が、妻すなわちアネット・ベニングのボイスオーバーで流れる。彼女はその詩の第1行目「かつてここにいた I have been here before」をアンソロジーのタイトルにするつもりだったという。アネット・ベニングの朗読は絶品だった。彼女が朗読する詩のCDがあれば購入したいと思ったほどだ。

 その詩「閃光 Sudden Light」を『D. G.ロセッティ作品集』(岩波文庫)より松村伸一氏の訳で掲げておこう*2。 

     閃光

 僕はかつてここにいた。

  ただいつどうしてかはわからない。

 僕は知っている、ドアの向こうの芝生や

  甘く刺すような香りや

吐息のような音や、岸辺の光を。

 

 君はかつて僕のもの――

  どれくらい前かはわからない。

 ただあのつばめが舞い立つ方に

  君はこんなふうに首をめぐらせた。

面紗(ヴェール)が落ちた――すべて遠い昔に知っていたこと。

 

 あの頃、今――たぶんさらに今一度!……

  ああ僕の目のあたりに君の髪房が揺れる!

 かつてみたいに寝ころんでみないか?

  愛のためにこんなふうに。

ねむってめざめて、なお鎖は断たない。

 そして最後、彼女のつくった詞華集が息子の手によってインターネットのサイトとして開設される。サイト名はI have been here before。検索窓に単語を入れると、それに関連する詩が現れるという仕組みだ。息子は「希望」と入力する。現れたのは母が好きだといっていたアーサー・ヒュー・クラフの詩  ”Say Not The Struggle Nought Availeth“。これもアネット・ベニングの gently な朗読で流れる。こんな詩だ(平井正穂編『イギリス名詩選』岩波文庫より)。

   苦闘を無駄と呼んではならぬ

 

 悪戦苦闘しても無駄だ、

   骨折り損だし、怪我をするだけだ、

 敵は一向に怯まないし、逃げる気配もない、

   結局元の木阿弥だ、などと言ってはならない。

 

 希望を抱いて馬鹿をみるなら、心配が杞憂に終わることもある。

   もしかしたら、ここからは見えない戦場の一隅で、

 まさに今、君の戦友が逃げる敵を追っているかもしれない。

   君さえいなければ、勝利は味方のものかもしれないのだ。

 

 疲れきった様子で浜辺に打ち寄せている波も、

   いくら苦労しても一歩も前進してはいないように見える。

 それでも、ずっと彼方の湾や入江では、じわじわと、

   そして、黙々と、大きな潮がみちかけているのだ。

 

 夜明けの時にしても、東側の窓からだけ、

   光が射してくるのではない。

 東の空に太陽が昇るのが、どんなに遅々としていても、

   西の方を見るがいい、天地はもう明るくなっているのだ。

 アネット・ベニングビル・ナイの夫婦、ジョシュ・オコナーの息子、ほぼ3人だけの地味な映画だが、引用される詩が本歌取りの「本歌」として物語に陰影を与えている。見ごたえがあった。

【追記】文中《イェーツがこの詩を書いた1920年には、イェーツは、そしてグレゴリー夫人も、「少佐がイタリア軍にあやまって撃墜されたことを知らないままだった」》の「この詩」は、「アイルランドの飛行士は死を予見する」ではなく、「報復」という詩であり、原文はイェーツとグレゴリー夫人は、ロバート・グレゴリー少佐の死は知っていたが、誤爆による死であるとは知らなかった、の意味である。訂正する。ちなみに、グレゴリー少佐が亡くなったのは1918年、「アイルランドの飛行士は死を予見する」は、1919年刊行のイェーツの詩集The Wild Swan at Cooleに収められた(『対訳 イェイツ詩集』の注)。この詩はグレゴリー少佐を追悼する詩といっていいだろう。(2022年11月13日記)

        

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*1:『対訳 イェイツ詩集』岩波文庫には、高松雄一氏の訳で「アイルランドの飛行士は死を予知する」の題で収められている。

*2:訳注によれば、最終連「あの頃」以降の5行は1870年版に従ったとのこと。1881年版では、次のようになっている。「これは前もこんなふうだったのか?……/逆巻いて過ぎゆく時はこんなふうに/死のあらがいを受けてなお/僕等の愛を命と共に取り戻すのか?/昼と夜はもう一度一つの歓びを与えてくれるのか?」